「アニ、」

「なんだい」

「ちょっと笑ってみて」

「は?…なにさ突然」

就寝前、いきなり私の隣の布団を陣取ってミオは私に笑えと言い出した。突然すぎるし意味が分からない。私に笑顔を要求する意図が読めず不審に思いながらもきっぱり嫌だと断ればミオは「そうだよね」と一言言ってあっさり諦めた。…一体何だというのか、今日はミオと特に会話を交わしていなかったため気にしていなかったが何だか様子が変だ、と何となくそう感じた。まったく、こっちは疲れが溜まって今すぐにでも寝たいというのに余計な気をかけさせないでほしいものだ。

「…あんた、どうしたわけ」

「え、なにが」

「なんか様子がおかしい」

「……」

その私の言葉にミオは少し考えるようにしながらも身体を横にして毛布の中へと入った。自分から声をかけておきながら私より先に寝る体勢になったミオに呆れてため息をつく。なんだかどうでもよくなって私も続けて寝転がれば暫くしてからミオが口を開いた。

「なんか、アニが笑ってくれたら私も笑えるのかなって思って」

「…なに、あんた意味もなく笑いたいの?」

「そうではないんだけど、」

笑えたら少しでも楽になるのかな、と思っただけ。
そう呟かれた言葉に、天井に向けていた視線を隣で横になっているミオに移す。ミオはいつもの表情で天井をまっすぐ見ていた。

「…本当にどうしたの」

「明日の兵站行進、」

「なに」

「アニの班はどこなの」

「…八列目だけど」

「そう」

明日は一日かけて得点の大きい過酷な兵站行進の訓練が行われる、そのためにも今日は早く眠りにつきたかったのにミオは私の班の位置なんて聞いてどうするというのか。私の班と近い、と言うミオの班はどうやら七列目らしい。

「それがどうかした?」

「私、生きて帰ってこられるかな」

「…なにそれ」

「明日、天気悪いんだって」

「教官があえて天気が悪い日にしたんだろ」

「まあ、そうだろうけど」

「…珍しく弱気だね」

「そうかな」

いつも訓練を怠けて受けているミオがこんなに弱気になるのは見たことがない。一体なにがそんなに彼女を不安にさせているのか、今までどの訓練もろくに受けていなかったというのに。

「私には、自分の限界が分かるの」

「どういうこと」

「私一人の力量で可能な事と不可能な事の見分けが感覚で出来るってこと」

「…へえ、」

「だからアニも、私と話すのはこれが最後かもね」

そう言ってミオはこちらに視線を向けた。その言葉はもう明日の訓練を諦めているように聞こえた。ひどく冷たく、私に突き刺さった。私はこうやって強くもないのに一人で解決しようとするミオが嫌いだ、自分で孤独に逃げてどうするというのだ。自分が何を言っているのか分かっているのだろうか、ミオの矛盾した物言いに苛立ち上半身を起して隣の彼女を見下ろす。

「あんた、バカじゃないの」

そう自分の口から出た言葉は意外にも震えていて自分でも少し驚いた。でも馬鹿げた考え方をしているミオに言ってやりたかった、あんたは間違っているのだと。私の言葉が予想外だったのかミオは少し目を見開いてこちらを見ていた。

「あんたは調査兵団に入りたいんだろ、こんなことで挫けて出来ないって分かったらすぐに諦めて逃げるの?世界はそんな都合良くできてないんだ、…悪いけど私には今のあんたが巨人の餌にしか見えないよ。巨人はあんたの都合で待ってなんかくれない」

「………」

「ほんと残念だよ…あんたにはもっと根性があると思ってた」

私の知っているミオはこんな弱音を吐かない。たしかにいつも訓練は怠けてはいたかもしれないけどやる時はやる奴なんだ、私は知っている、ミオがこんなところで終わってしまっては駄目だと。あんたがそうして落ちこぼれて辛うじて兵士になったところで巨人に喰われるだけだ、そんな瞬間を私は見たくないし考えたくもない。あんたが他の巨人に食べられるくらいなら私が食べてやる、あんたの惨めな死に様を私が嘲笑って見届けてやる。今さら兵士を辞めるだなんて許さない、絶対許さない。
ぐっと右手を握りしめる、爪の痕が付きそうなくらい握りしめた。自分でも分からないくらい感情が荒れていた、それもこれもミオが変なことを言うからだ。眠気はすっかり覚めていた。

「ごめん、アニ」

「…別に、謝られても困る」

「訓練そのものを諦めたわけじゃないよ」

「そういう言い方したのはどっちだか」

そう言ってから私は再び横になって彼女に背を向ける。つくづくミオは面倒だ、表情は変化しないし考える事は予想出来ない。私は別に謝られたくなんてない、何故自分はこんなにもミオの最後という言葉に動揺しているのか。頭の中はごちゃごちゃだ、もうミオなんて私の知ったことか。そう思いつつ無理やり寝ようと眠気が覚めきった瞼を閉じるものの再び後ろからミオの声が自分の耳へ入ってきた。

「アニは、私を励ましてくれているんでしょう」

「…どうしたらそう聞こえるわけ」

「アニが優しいこと、私はもう知っちゃったから」

「……あんたの頭は意外と能天気だったんだね」

「私、頑張るよ」

「なにを」

「明日の訓練」

アニの言葉に背中押されたよ。
その言葉に振り返れば、こちらを見ていたミオと目が合った。そう言う彼女の言葉は相変わらず淡々としていて心から本当にそう思っているのかは定かではない。それでも確かにミオは先ほどとは変わっていて、もうそこに弱気だったミオはいなかった。

「…あんたは本当バカだ、大バカだよ」

「え、なんで」

「単純すぎるんだよ」

「そう、かな」

いまいち自分が分かっていないだろうミオは不思議そうに私を見てから天井に視線を戻した。私はそんなミオの瞳を横目で見つめる、私を優しいだなんて思うあんたは相当バカだよ。私はただ思ったことを言っただけなのに。さすがに気づけなかったのは暗い過去を持っているであろうミオが複雑そうに見えてこんなにも中は単純な思考だったことだ。

「…ま、せいぜい頑張んなよ」

「うん。おやすみアニ」

「……おやすみ、ミオ」

部屋の明かりが落とされて辺りは一瞬で真っ暗になる。なかなか寝付けず暫くしてから暗闇の中もう一度だけ隣のミオを見てみれば彼女は安心そうに眠りについていて、それを見た途端に眠気が取り戻されていった。あのミオのことだ、何も無かったかのようにいつもの表情で飄々として難なく訓練を終えるはずだ。心配ない、ミオならきっと無事に帰ってこれる、そう自分に言い聞かせながら胸のざわつきを抑えるように瞼を閉じた。


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