故郷に帰る、それこそが最終目標であり訓練兵への入団はそれを叶えるためのただの過程にすぎない。入団したからには周りと自然に接し、そうして信頼を得ては目的のためにと頭は常にそればかりだった。
それなのに、いつからだったか。ふと気づけばその目的すら忘れて生活していたことがあった。勿論何がなんでも必ず達成させるつもりだが、日が過ぎるごとに自然と自分の中で目的意識が薄れているような気がしてならなかった。自分のあまりの変化に少しばかり恐怖心を抱いた。確実に侵食されている、慣れというものほど恐ろしいものはないと改めて思う。もしかしたらベルトルトもアニも既に忘れてしまっているのではないかと不安になった。裏切ることを前提とした周りへの善意はいつしか本来の善意という意味を取り戻しつつあったからだ。自分が他の二人を支えてやらなければと意気込んでおきながら、本当に馬鹿馬鹿しい。俺は中途半端の何者でもなかったのだ。

「ライナー」

「……なんだ」

「さっきから何回も呼んでたんだけど」

後ろから名前を呼ばれて振り返ればそこにはミオが俺を見上げて呆れたようにため息をついていた。人の顔を見てため息をつくとは随分と失礼な奴だ。ミオが言うには何回も俺を呼んでいたらしいが俺には先程の一回しか聞こえなかった。お前の声が小さかったんだろと言ってやれば不機嫌そうに違うと返された。

「ライナーがぼーっとしてただけでしょ、とにかくそこ退いて」

「…ああ、悪い」

そう言われてから自分が倉庫の入り口で立ち止まっていたことに気づく。横に避けて道をあけてやればミオは俺を一度見てから倉庫の中へと入っていった。そんな奴の背中を見て今は作業の最中だったのだと何となくはっきりしない頭で思い出した。

ミオには気をつけろ。そうベルトルトとアニに釘を刺しておいたはいいが、偶然にもそう言い出した俺が今回ミオと同じ班になってしまった。こればかりはどうしようもない。数日後にある兵站行進の訓練に向けて今は自分で背負う荷物を薪で作っていたところだった。訓練の最中に荷物の重さが自分への負荷になると分かっていながらもそれを自分で作るのはやはり気が進まないもので他の訓練兵も浮かない顔だった。どうやら自分もいつの間にか気が抜けて呆然と立ち止まっていたらしい。
目の前の倉庫の中にいるミオは薪を取り出しては両腕いっぱいに抱えていた。他の班員の分も取っているのだろうが、なにも一度に大量に抱えずとも回数に分ければいいのではないかと思っていれば案の定ミオの腕から薪が一つ一つ続けて落ちていった。まあ面倒くさがりのミオなら一度で済ませようと考えるのはあり得なくはない話なのだが。その光景を見て仕方ないとため息をつきつつ自分も倉庫へ足を踏み入れる。

「ほら、半分貸せ」

「…いい、持てる」

そう呟いてから地に落ちた薪を拾いミオは再度挑戦しようとするが今度はまた別の薪が腕から落ちていった。何をそんなに意地を張る必要があるのか、素直に同じ班の俺に持たせればいいというのに。これすらもミオは"借りを作る"のカウントに入れているのだろうか。同じ班でも例外ではないのか、相変わらず何を考えているのか分かりはしない。

今でもあの座学の時の異様なミオの雰囲気を思い出すだけで身体が金縛りになったような気分になる。決して悪い奴ではない、それは何となく分かっている。あの時から少しずつでも言葉を交わしてみてみればそれなりに話の分かる奴だったし少し安心した。ただ曖昧なのは、もしかしたら俺達にとっての害になる可能性が他の奴らより高いかもしれないということだ。確かにミオはあの時人間が憎いと言った。きっと何か事情があることには違いないがその言葉の真意は分からない、一体ミオは何をどこまで知って何を背負っているのだろうか。
そう思考を巡らせて気づいてみればようやくミオは薪を落とすことなく抱えることに成功したのかゆっくりと足を動かし前に進み始めた。その根性には驚きを通り越して思わず呆れてしまう。どうやら意地でも人の手を借りようとしないらしい。そんな根性があるのならもっと他に、例えば毎日の訓練を真面目に受ける事とかに使ってほしいものだと自然に思ってしまった。

「…なあミオ、」

「なに」

「俺は時には人の手を借りることも必要だと思うんだが」

前を歩くミオの背中にそう声をかける。きっと何を言っても助けを受けないだろうと分かってはいるが言わずにはいられなかった。薪を落とさないようにと歩くミオの速度が自然に落ちていくのがもどかしい。それでも俺の言葉を聞いても尚ミオは前を進み続ける。
何故ミオは人を頼らないのか、その疑問の答えが出るわけもないのだが何かきっかけがあるのだろう。人間、人に頼らずここまで生きてこれるわけがないのだ。訓練兵の中で最も頼りになれるだろう存在を培ってきた俺にとってそれは確信できることだった。
ミオ・ローゼリアという存在は脅威になるかもしれない、そう恐怖を感じたあの時がまるで嘘かのように自分がミオのことばかり考えていることに気づくと同時に前を歩くミオが足を止めた。見ればどうやら班員の集まっている場所に着いたようだ。ミオが抱えていた薪を地面に置くのが視界に映った。

「私にそれは必要ない」

「助けが必要ない人間なんていないだろ」

「現に、私はちゃんと一人で薪を運べた」

「俺は危機的状況の時の話をしているんだが」

「一人で解決出来ないのならそこが私の終わり。単純な話でしょ」

今の私が存在してるのも全部自分の力量でしたことなんだよ。そう呟いたミオは、悲しそうに、それでいて嘲笑うように少しだけ口角を上げていた。それは違う、と言おうとしてからその初めての光景を目にして思わず口を閉ざす。ミオは今にも消えてしまいそうだった。

「…そう、か」

「そうよ、私が助けを求めたところで誰も助けてくれはしない」

そう言うミオの言葉に胸に何かが突き刺さった感覚に陥る。俺はなんて勘違いをしていたのだろう。こいつはちゃんと助けを求め続けていた、ただそれでも今まで助けて貰うことが出来なかったのだとミオの表情から自然と悟ってしまった。そうして次第に失われていったのが周りへの信憑性だろう。そう考えるとそれが妙に納得できた。人の手を借りないことも、人間が憎いと言ったことも、そういう事かもしれない。でももしそうだとしたなら、それはあまりにも不憫じゃないか。俺は頼られては周りを助けていた、人には周りからのサポートが必要で時には俺も周りに助けられた。それがいつしか仲間想いと言われ信頼され俺は善意に浸っていた、それが当然になりつつあった。今思えば相当笑える話だ。本当に助けを求めている奴は俺の知らないところに、そしてすぐ近くにいたというのに今まで気づきもしなかったのだから。ミオを警戒しすぎて真実に気づけなかった。疑うことしか出来なかったその事が無性に悔しくなり拳を握りしめた。

「ライナー」

「………」

「…ちょっと、ライナー」

「…ああ、なんだ」

「本当に今日どうしたの。そろそろ進めないと」

「悪い、そうだな」

ミオに呼び掛けられてからはっとして辺りを見渡せば他の班員も既に作業に取りかかっていた。ミオの言葉に俺が助けてやると言える自信は、無かった。信頼され尽くした頼れる兄貴分が聞いて呆れるものだと誰か笑ってくれ。周りに続いて自分も作業に戻ったがミオの言葉が頭から離れることはなかった。


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