「おいアニ、お前一体どうした」

「なにが」

「何でお前の服をミオが着てるんだ」

訓練の合間の僅かな休憩。ただでさえ身体が重たいというのにこちらにやって来たライナーは焦った様子で何があったのかと私に質問を繰り返してくる。そんな事こっちが聞きたいくらいだ。私に聞かないでほしい。
訓練兵が上着の下に着る服は暗い色の服が多くみられた。自分が今着ているミオの服も黒だ。そのせいもあってか普段黒を着ているミオがジャケットからフードが出る私の白いパーカーを着ていると随分と目立つものだった。なんだか新鮮すぎて逆に似合っていないように見えてくる。私も今まであんな風に目立っていたのだろうかなんて不意にどうでもいいことを色々と考えてしまった。以前ライナーはミオに気をつけろと忠告していたが何がそんなに怖いのか。ただ服を交換しただけだというのに分かりやすいくらいに動揺していた。その姿を一瞥して思わずため息がこぼれる。

「どうもこうも、ミオが替えの服が無いって言うから貸してやっただけだよ」

「お前が誰彼構わず物を貸すような奴には思えんが」

「別に。まあ実際はミオが服を押し付けてきたようなもんさ」

そう言えばライナーは眉間に皺を寄せてどういうことだと聞き返してくる。態々一から説明する気にもなれないので「借りは作りたくないらしい」と一言でそう言ってやる。事実、本人がそう言っていたのだしあの時は妙に私も納得してしまったものだ。未だにミオについて分からない事は多々あるが変に説得力だけはあった。

「……そうか」

「聞きたいことはそれだけ?そろそろ戻った方がいいんじゃない」

ちらりと古びた時計を横目で見て時刻を確認すればもう次の訓練が始まる頃合いだった。ライナーにそう声を掛けてみれば頷きはしたものの何か言いたげな顔をしたままでこの場を動こうとはしなかった。まだ何かあるというのか、こっちは昨日の頭痛の影響も残っていて疲れているというのに。彼なりに心配しているのか、そうは言っても私はそんなに心配されるほど警戒心が薄いわけではないと思うのだが。

「アニ」

「なんだい」

「…目的を忘れるなよ」

そう小さく言い残してライナーは自分の配置へと戻っていった。僅かに震えたその言葉は自分に言い聞かせてでもいるようだった。いや、多分実際に言い聞かせていたのだと思う。ここ最近でライナーは周りの人間に心を許し始めている。私にはそれが分かる。溺れ過ぎるといずれ自分が抜け出せなくなることを分かっているのかいないのか、それでも周りは彼を信頼して頼り彼は周りを親身になって助けている。そんな彼にああ言われてしまうなんて自分も落ちたものだと心の中で自嘲した。
私はライナーとは違う。ミオとは成り行きで服を交換しただけだ。それで何かが大きく変わるわけではない。そうは思っているが、昨日の彼女との会話がやけに引っ掛かるのは何故だろう。ミオは正論を言える人間なのかもしれないが昨日の会話だとどうなのか。そんなことを考えてしまう時点で私の心が少しずつ侵食され始めているということにこの時の私は気づけなかった。すると周りのざわめきが段々と強くなっていき今度は一体何だと顔を上げてみる。そうして目にしたその光景に思わずぽつりと言葉が漏れた。

「…ライナー、そう言うあんたの方がとっくに忘れてるよ」

遠くでコニーとライナーが大笑いしているのがよく見えた。私の知っている作られた顔じゃない、きっとあれは心からの笑顔だ。何がそんなに面白いのか二人の声は部屋中に響き渡って次第に周りもつられていき最終的には皆が笑っていた。ああ、止めてくれ。私は自分が大事なんだ、辛い思いはしたくない。何があっても私は他人と深く関わらないと決めたのに。今この瞬間が暖かいだなんて、暖かさを求めてはいけないのにどうして。意思とは関係なく勝手に動く自分の感情に苛立つ。こんな感情、とうに捨てたと思っていた。
そこでふと一瞬で思い浮かんだのはミオの顔だった。そうだ、私と彼女は似ている。彼女も、今この瞬間に笑っているのだろうか。私が笑っていないのなら笑っていないのかもしれない。彼女を見つけようと周りを見渡す気力があるわけもなく、その疑問は分からないまま自分の中で朽ちていった。ああミオ、あんたが一体何を考えて生きているのか分からないよ。唯一確信できるのは私ときっとそう変わらないってことだけだ。根拠なんてない、昨日のミオの言いたいことが分かった気がした。

「…私は、忘れないよ」

たとえ心を許してしまっても、裏切って辛い思いをするのは自分なんだ。周りに誰もいない空間で自分に言い聞かせるよう一人呟くと同時に訓練開始の鐘が鳴り響いた。卑怯だと周りから罵られようが、私は自分が助かりたいだけなのだから。


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