ごつごつとした表面に顔が激突して痛みが走り眠たさを残した思考は一瞬で冴えていった。上半身だけ起こしてみれば隣には岩の壁がある。どうやら寝返りをした際に壁に顔を打ち付けたようだ。ああそうか、ここは洞穴だ。確か昨夜雨を凌ぐために最悪にもあいつと同じ場所に来ちまったんだ。じわじわと痛む顔面を手で押さえながらも次第にサバイバル訓練の最中という事を思い出していく。早朝で明かりもないため辺りは薄暗い。昨日の雨は止んだようだったが空気は日が昇っていないせいもありとても冷えていて肌寒かった。
いつまでも寝ぼけてはいられないので出発する準備を始める。雨が止んだので昨日の遅れた分は今日で取り戻せるだろう。それにしても起床したばかりだからか異様に身体が気だるい。こんな立体機動装置すら使わない下らない訓練はさっさと終わらせたいのが本音だ。まあ道にすら迷わなければ順調にクリア出来そうなので不安などは全く無いのだが。

外の方へと視線を移せば、ふと奥の方で未だに眠っているミオの影が視界に入った。まったく緊張感が見られない寝息がこちらまで聞こえてくる。そんな些細な事にさえ苛ついてしまう自分をなんとか抑えつつ、気にせずに準備を再開しようとしたところで小さなくしゃみが聞こえた。一回聞こえたかと思えば二回三回と次々に連続で耳に入ってくるそれに振り向かずにはいられなかった。気が散って準備どころではない。
奴の寝ている位置は自分よりも外への出口に近い。外の冷気と近い場所となれば寒さも大分変わってくるはずだろう。仮にも訓練中に風邪なんてひいたら最悪の状態だな、と他人事のように考えながらも近くまで来て様子を伺う。

「……こいつ阿呆だ、」

その言葉は自然に口から呟くようにこぼれた本音中の本音だった。薄暗い視界に映し出されたミオはただ隊服のまま横になっているだけで防寒対策が皆無だったのだ。寒くなることは予想されていたというのに、いくらなんでもこれは訓練をなめすぎている。唖然としていればまたミオはくしゃみを一つした。どんだけくしゃみをすれば気が済むんだと内心で毒づくが実際この状況では仕方がないのかもしれない。
一度見たからにはなんだか放っておくことも出来なくなってしまい一体どうすべきかと悩みに悩む。こんな奴に罪悪感なんて感じる必要がないのは重々承知してはいるが俺の寛大な良心が痛むので仕方ないと思い込むことにする。いっそのこと起こすべきなのか、と思い至るが奴に声をかけることには抵抗がある。自分から起こしてやるのもなんだかプライドが許さないのだ。ぐるぐると思考を支配され最終的には何故こんなに奴への手助けのために自分が時間をかけて悩んでいるのかと次第に苛立ってきたので、もう手早く済むものなら何でもよかった。
自分が着ていた隊服のジャケットを脱ぎ、寝ているミオに適当にかけてその上にコートも同じようにかけてやる。これで寒さはある程度凌げるはずだ。瞬時に思い付いた簡単な防寒をミオに施して自分は寝袋を羽織る。さすがにジャケットを脱いだだけでも寒さが増すなと思いつつ、寝袋すら持ってきていない様子で訓練に対してやる気が見られないミオを見る。せっかく自分は早めに準備を終えもう出発出来たというのにこれでは早く起きた意味がない。この状態で自分が出発すれば体調を崩すのは必ず自分だ。奴に上着を寄越して自分が寒さにやられるなんてそれこそ馬鹿馬鹿しい話だった。

早く起きてその上着を返せと念を込めながら起床を待つこと数十分。どうやらやっと起きたようで上半身を起こしたミオは暢気に欠伸をして目を擦っていた。こいつは人を苛つかせるのが随分と得意なようだ。ふと俺に気づいたのか眠たそうな目でこちらへ視線を向けてきた。いざ起きるとなると何も言葉を掛けられずに少しの沈黙が流れた。それでも奴の目はずっとこちらを見たままだ。

「………」

「………」

「………おはよう」

「…全然早くねえよ!お前の場合おそようだ馬鹿!」

微妙な沈黙を破ったあまりにも平凡すぎる挨拶に思わず腰を抜かしそうになる。なんだこいつ、寝ぼけてんのか?普段とは違ってぼけっとしている気がする。とりあえず起きたのだからもう必要ない自分の上着を奴から取り上げて着用する。まったくとんでもない奴に随分と巻き込まれてしまった。そんなことを考えつつ内心でため息をつくと未だにミオはこちらを見ていた。一体なんだというのだ。

「なんだよ」

「……それ、かけてくれてたの」

「…別に、お前が何回もうるせぇくしゃみするからだよ。それだけだ」

本当にそれだけだからな!とミオに念を押す。こいつが自分のためにしてくれたとか勘違いしないようにだ。…決して自分に言い聞かせているわけではない。なんだかミオの顔が見れなくなって荷物を背負い早くこの場所を出てしまおうと出口を抜けて外へ出る。雨上がり独特の匂いが鼻を掠め、洞穴の中の空気とは違い一気に気温が下がったように感じられた。すると後ろから足跡が聞こえたので少し驚きつつ振り返ればミオが自分に続いて平然と後ろを歩いていた。

「なんでついてくんだよ!」

「だって向かう場所は同じだし」

仕方ないじゃん、とミオは普段の表情でそう言ってのけた。もう頭は冴えたのかその表情には眠たさの欠片もなかった。奴の言っていることはもっともだが気にくわないものは気にくわない。何が楽しくてこいつと一緒にゴールを目指さなければならないんだ。いくら疲れていたとはいえ、やはり昨日場所を変更すべきだったのか。そう昨日の自分に後悔していればうっかり気を取られ不意に泥濘に足を滑らせた。やばいと思った時には身体が後ろに仰け反り足に力は入らない。そうして谷に転げ落ちそうになった瞬間、ぐっと強い力で前に引っ張られなんとか落ちずに済んだ。どうやらミオが咄嗟に腕を引っ張ってくれたようだ。不覚にもこいつに助けられてしまった自分が悔しい。

「これでおあいこね」

「…は?」

「さっきの上着の借りは返したってこと」

ありがとね、そう呟いたようにミオから発せられた言葉に耳を疑う。一体何が起こったのかと呆然としていれば奴は俺を横切って道を先に進んでいた。あのミオ・ローゼリアから感謝の言葉が出るなんて想像出来ないのも無理ない。たった今自分は感謝されたのかと理解が遅れる。あり得ないことすぎて今からでも槍が降ってくるのではないかと思わず空を見上げてしまった。そんなことを意味もなく考えながら我にかえって自分も道を進んでいく。あいつのためにやったんじゃない、ただ煩いのを紛らわせるためにやったことだ。だから礼を言われる必要はない。自分に言い聞かせるのはこんなにも難しいことだっただろうか。まあ俺の超寛大な心が奴の感謝を仕方なく受け取ってやろうとしているのだから仕方がないと思い込んでおこう。


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