最近エレンの様子がおかしい。おかしいというのも普段の生活の中で名前を呼んでも反応が鈍く、何度か呼ばないと返事が返ってこないことが頻繁に増えたのだ。どこか具合でも悪いのだろうかと心配にもなったが、その心配はすぐに怪しさへと変わった。いつもエレンが一人の訓練兵をずっと目で追いかけていることに気づいたからだ。

座学の時間、隣に座りメモを取るエレンの手が止まっていることに気づき分からないところでもあったのかと彼を見る。そうすればほら、またエレンはあの女を見ている。ミオ・ローゼリアを見ている。彼女は相変わらず机に顔を伏せて居眠りをしていた。あれで来週のテストを乗り越えられるのだろうか。以前エレンに意を決して聞いたことがある。何故いつもミオ・ローゼリアを見るのかと。返答が少し怖かったもののエレンは訳が分からないといった風に首を傾げたので拍子抜けしたのは記憶に新しい。きっとエレンには彼女を見ていること自体が無意識なのだろう。
全ての原因はあの入団式にあると私は思う。あの日、ミオ・ローゼリアが調査兵団に入るという発言をしたからエレンは気になっているのだと思う。エレンは調査兵団に入るつもりだ。正直私は危険な調査兵団に入ってほしくないが、彼が一度決めたらそれを曲げないのを私は知っている。そのことを踏まえて入団式が原因なのだろうけど、あれからそれなりに時が経っている。何故今ごろ気にかけているのだろうか。それだけが謎だ。入団したての頃こそエレンは強くなるため訓練に全力を注いでいたし、彼女を気にかける素振りすら見せなかった。極力エレンと行動を共にしている私の目に狂いはないはずだ。ならば何故、今さら。

「…おい、ミカサ」

なんでそんなに見てくるんだよ、と言うエレンの声がしてはっとする。どうやら私まで知らない間に意識をどこかへ飛ばしていたらしい。エレンのメモは私が書いたものより既に進んでいて細かい字でしっかり埋まっていた。私の方が何故エレンはそんなにミオ・ローゼリアを見るのかを聞きたいくらいなのだが無意識な彼に聞いたところできりがないだろう。何でもないとエレンに一言返して自分も教官の話に耳を傾けた。



その日の夜。夕食も食べ終わり、私は係の仕事があるため食堂でエレンとアルミンと別れた。本来なら男子寮だろうと入り込んでエレンを目の届く範囲にいさせたいのだけれどそう上手くいくはずもなく、私は構わないと言ってもエレンに全力で阻止されてしまった。だから夜は嫌いだし不安だ。エレンに何かあったらどうしようと毎晩考えてしまうから。
ふと静かになった食堂を見渡す。配膳台を片付ける食事係が私の他にもいるはずだ。さっさと終わらせて早く寝てしまいたい。この嫌な夜を早く寝て終わらせて朝にしてしまいたい。そうして食堂の隅に二人分の頭を見つける。サシャ・ブラウスとミオ・ローゼリアだ。何故だか二人とも机に突っ伏しているが、もしかしてあの二人が当番なのだろうかと思いながら近づき声をかける。

「サシャ、ミオ、二人は後片付けの当番なの?」

「………あ、ミカサ・アッカーマン」

「……ああ、ミカサ…そうでしたっけ、でも私たち片付ける必要がないっていうか何というか」

「何故、当番なんでしょう」

「…でもっ!でも!!私たち夕飯食べてないんですよおおおお」

突然顔をあげて私に泣きすがってきたのはサシャだ。彼女は人一倍食い意地が張っているがこの様子からすると隣のミオと一緒に夕飯抜きの罰則でも受けたのだろう。食欲を叫ぶサシャの目がもう死んでいる。ああ、こうなると彼女は面倒くさいのに。

「バカサシャめ…何で私まで怒られたのか謎すぎる」

「えっでもミオも乗り気でしたよね!?」

「違う。それコニーでしょ…まあ、あいつは逃げて怒られもしなかったけど」

せめて香りだけでもと食堂にやってきたものの、それのせいで余計に腹を空かせたらしい。ただでさえ厳しい訓練を終えた後だ、夕飯を抜くのがどれだけ辛いことか兵士なら誰もが分かることだろう。少し二人が不憫に思えて心の中で同情しているとミオがため息をついて席を立った。

「ほら、私たちも片付けやるよ」

「えええええタダ働きじゃないですか!」

「何言ってんのそれ私の台詞。馬鹿やらかしたサシャは自業自得」

「…も、もうご飯ないとかほんとに私死ぬ寸前なんですほんとに」

「……もしかしたら夕食残り物とかあるかも」
「やりますやりますもちろん、なんてったって当番なんですからね私!」

「よし。ほらミカサも」

突然自分の名前を呼ばれて反応が遅れる。夕飯を抜きにされて辛いはずなのにサシャとは違ってミオは平然としていた。自分が不利な立場でも正論を見据えている。そして何よりあのサシャの扱いに慣れている。こんな人物だったのかと普段の姿を思い出す。いつも怠惰な彼女が今では自分の役割を果たしているのだ。なんだかイメージとは全く違う人物で意外だった。それでいて物分かりがいいようで早く部屋に戻りたい身としては助かる。
サシャは必死に残飯を探し、スープの鍋の側面についた僅かばかりの具に目を輝かせていた。本当に不憫だ。結局残飯はそれだけで、サシャはスプーンでそれを掬い、口に含んだ瞬間幸せそうに頬を緩ませてそのまま倒れた。近寄って声をかけようとすれば、それより先に片付けを終わらせてしまおうとミオに制止される。とりあえず声をかけるのは止めて残りの片付けの作業に戻る。サシャが寝た途端にとても静かになった食堂にはただ片付ける音が響くだけだった。

「よいしょ、」

「…ミオ、背負うなら私が」

「いや、大丈夫」

片付けが終わるとミオはサシャの腕を掴み寄せて彼女を背負った。自分より背が高い人間を背負うのはなかなか大変なことだ。少なくとも私はサシャより身長が高いし、力も結構ある方だ。手を貸そうとするが、それでも彼女はそのまま寮への廊下を歩いていく。さすがに置いていくわけではないと思っていたが、何だかんだでしっかり連れていくのか。普段の彼女からは想像出来ない姿だった。やはり人は見た目で判断できないものだ。そう思いながらも向かう場所は同じなのでその後ろをついていく。
沈黙が続く中、前を歩く彼女を見やる。サシャを背負っているため速度は自然とゆっくりなものになっていた。きっと同じ当番に当たらなければ私とミオがこうして一緒にいることも会話をすることもなかっただろう。この機会にもういっそのこと聞いてしまおうかと思い至り声をかける。

「ミオ」

「ん、なに」

「ミオは、エレンと話したことがあるの」

エレンが様子が変わったのはつい最近からだ。きっと私の知らない間に何かあったに違いない。それしか考えられなかった。そうして少し経ってから「あるけど」とミオは平然と答えつつサシャを背負い直した。やはりそうだったのか、と複雑な気分になる。理由がなければ突然気にかけたりするはずがないのだから。そう彼女の返答に少しばかり動揺していれば再び彼女は前を向きながらも言葉を発した。

「ミカサは、エレンと幼馴染みだっけ」

「……そう、だけど」

「じゃあミカサも調査兵団志望なの」

そう私に質問するミオはちらりと一瞬だけこちらを向いた。私が調査兵団に志望する、ということはエレンが調査兵団に志望するということだ。もしかしたらエレンが何かしらのきっかけで(万が一でもあり得ないだろうけれど)憲兵団へ志願することも視野に入れて成績は上位を維持している。何故ミオがそんな質問を私にしたのかは分からないが嘘をつく必要も無いので私は自身の考えをそのまま伝える。

「私は、エレンが志望するところへ行く」

「じゃあ調査兵団じゃん」

エレンが他の兵団へ行くことは絶対ない、と言いきる彼女に少しばかり苛立つ。ミオにエレンの何が分かるのだ、私の方がエレンのことをよっぽど知っている、だなんてただの妬みにすぎないのだが。そんな自分にも少し苛立った。何故こんな思いしなければならないのか。なんだか気分が悪い。しかしそんな思いは彼女の言葉で直ぐに消え去った。

「ミカサがいるなら頼もしい」

「……何故?」

「首席でしょ。あなたの斬撃はすごい」

頼りにしてる。そう言ってミオは部屋に入っていく。やっと部屋に着いたのか、と頭の隅でぼんやりと思うが先ほどのミオの言葉のせいか足は前に進まなかった。あれは、褒められたのだろうか。言葉の意味を理解するのに時間がかかった。褒められることに特別慣れていないわけではないのだが意外な人物に言われたからだろうか、心にじわりと響き渡ったような言葉だった。言葉一つに動揺する自分が自分でおかしく思えてくる。なんだかミオ・ローゼリアが余計に分からなくなってきた。でも彼女は私が思っていたほど何も考えていないわけではなかった。そして何故かそれにひどく安心した自分がどこかにいる。
一体何なんだろうこの感覚は。今までに体験したことのない感覚だ。ああ、わけが分からない。普段言われても特に何も感じないはずの頼りにしてる、の一言がミオに言われて不思議と嬉しく思えてしまった自分が一番わけが分からない。


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