以前ライナーに気をつけろと言われたミオ・ローゼリア。彼女が何をしたのか僕には分からなかったけど、ライナーがそう言った時の顔色はあまり良くないものだったから彼女とはあまり関わらないほうがいいのだと何となく察知した。だから今まで極力関わらないようにしていたのに、なんと今日の訓練で彼女のペアに選ばれてしまった。名前を呼ばれた時は驚きのあまり思わず声が出そうになり慌てて口を押さえた。さすがにこれは予想外だった。脱落者が多数出ているとはいえ訓練兵の人数はまだまだ多い。まさか彼女とペアになるなんてとても確率の低いことを仮定として考えるはずがないんだ。

今日の訓練は地図などを一切持たずに森の中を進み遠くにあるゴールまでたどり着かなければならないものだった。険しい森は少し登り坂になっていて体力が必要以上に消耗されそうだ。他にも判断力や精神力も必要となってくるだろう。実際そんな訓練への心配より僕は自分が心配で仕方ない。ライナーに言われた手前、一体どうやって自分はミオと接していけばいいのだろう。
ライナーの方へ視線を向けると彼も僕の言いたいことに気づいたのか、少し眉間に皺を寄せながらも首を縦に振った。多分なんとかやり過ごせ、ってことなのだろう。ああ嫌だ、今まで訓練がこんなに嫌だと思ったのはこれが初めてかもしれない。それほどまでに心は拒否していた。

「あなたベルトルト・フーバーだよね」

「えっ、あ、はい!」

「私たちも行こう」

突然後ろから名前が呼ばれたために驚き思わず背筋がのびる。振り返ればミオは僕を見上げていて、そう言ってから前へ歩き出した。彼女の背中を見つつ小さくため息をはいた。ああなんかもう駄目だ、心が折れそうだ。ライナー、こんなのやり過ごせる自信がないよ。

重たい荷物を背負わされて森の中へと進んでいく。前を歩くミオも同じ重たい荷物を背負っている。僕とミオじゃ背中の広さが全然違うけどそれでも荷物の重量は同じだ。それを見て少しかわいそうだな、なんて思ってしまう。たとえ女子だとしても訓練兵ならば皆が平等に訓練を受ける。当然と言えば当然だけれど。
ミオは片手にナイフを持ち、行く手を阻む木の枝を次々と切り落として道を作っていた。こういう作業は男の僕がやるべきなんだろうけど、もちろん声なんて掛けられるわけもなくこの状況になってしまった。僕はただミオの背中に続くだけだ。沈黙が重たい。そう思っているのは僕だけだろうか。前を歩くミオを見ても背中だけで表情は伺えないけれどきっと普段と何ら変わっていないのだろう。
そうしてお互いに喋ることもなく進んでいくと、暫くしてから少し開けた場所に出た。そこで急にミオが立ち止まるので思わずぶつかりそうになるものの全神経を使ってなんとかぶつかることは阻止する。危なかった、と思っているとミオがこちらに振り返った。

「どっちだと思う」

「え?」

「道、右か左か」

そう言われて前方を確認すれば道は綺麗に左右に別れていた。方角的には北がスタート地点、東にゴールがあったはずなので左だと思う。でももしかしてミオは右だと思っているかもしれない。僕は左だと思うけどそれを意見として言えずに口ごもる。これは今回だけに限らない。いつもそうだ。いつも自分の言葉は喉で突っかかってしまう。そうしてずっと周りに流されてきた。

「どっち」

「あ、……えっと、」

「………」

急かすミオが怒っているような気がしてならない。彼女は僕に怒っているのだろうか。どうしよう、頭の中はその言葉一つに支配される。変な汗が背中を伝ったのが分かって少し気分が悪くなった。

「あなた成績上位でしょ。こんなのすぐ分かるんじゃないの」

「えっ、いや…そういうわけじゃ……」

「じゃあ何なの、はっきりしてよ」

そう言ってミオはため息をついた。ああ、彼女は怒っているのかな。僕が決められないから。教官にも言われたっけ、主体性と積極性が欠けてるって。分かってはいるけど直せない。何か言葉を言わなければ、と必死に頭を使う。

「だ、駄目だよ、僕の意見なんて宛にしちゃ」

「なんで。じゃあ私の意見をあなたは宛にするっていうの」

見上げてくる彼女の瞳が僕を映している。肯定も否定もできない。何も言い返せない。こんなにもミオは物事をはっきり言う子だったのかと意味もなく思ってしまう。そんなことを考えていれば少しして彼女が再び口を開いた。

「私はベルトルトを信じるよ」

「え、」

「間違いを恐れてるのか知らないけど、あなたは正確な答えが出せると思う。間違っていたとしても戻ってまたゴールを目指せばいい。違う?」

もっと自分に自信を持つべき、そう言うミオの言葉に目を見開く。僕は正確な答えを出せる。そんなことを言われたのは初めてだった。ミオにそう言われて一気に靄がかかっていた視界が晴れた感覚に陥る。そうか、僕の意見を必要としてくれている人がいるのか。だったら簡単だ。今なら言える、なんとなくだけどそう思った。

「……左、だと思う」

意を決して必死にそう言葉を紡げば少し沈黙が流れた。ミオと顔が合わせられず直ぐに視線を下へと向ける。彼女は、僕の意見を聞いてどう思ったんだろうか。

「…そう、ありがとう」

そうして緊張しつつ言葉を待っていると突然言われた予想外の感謝の言葉に顔をあげる。ミオが微笑んでいて更に驚いた。やればできるじゃん、と言ってから彼女は左へと進み始めた。はっと我にかえって慌てて自分もついていく。

あのミオが、笑っていた。ほんの一瞬だけだったけれど、いつもの無表情からは考えられない優しい笑顔だった。そう先ほどの彼女の笑顔を思い出すと頬に熱が集中していった。駄目だ駄目だ、自惚れてはいけない。コニーも見たことがあるなんて自慢げに言っていたっけ。だから彼女が笑うのはそう珍しいことではないのだろう。そうして前を歩く彼女を見る。そういえばペースが落ちているなと前を覗けばどうやら両端からの木々に苦戦しているようだ。でも今なら言える。もう言えるようになったんだ。

「ミオ、僕がやるよ」

「え、いや、いいよ」

「いいんだ。僕にやらせて」

ぱっと彼女の手からナイフを受け取って前を歩く。どうも、と後ろからミオの声が聞こえる。さっきまで怖かったはずのその声は今では心地よく聞こえた。今まで周りに言われてきても変わらなかった自分の性格。それがミオの言葉でこんなにも変わってしまった自分に少し驚く。ミオの言う通り、もう少し、もう少しだけ自分に自信を持ってみようかな。
気づいた頃には自分の中のミオ・ローゼリアという人物の認識が一気に180度変わっていた。意見を交わしながら進めばあっという間にゴールに着いてミオにお礼を言えば、僕は何もしていないのに彼女からもお礼を言われてしまった。その時からライナーの忠告の言葉はもう既に忘れていた。


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