食堂が騒がしい。そう思うのはいつものことだが今日はやけにそう感じつつ隅の席に座る。ミーナは当番があるとかで今日は食堂に来ないと言っていたことを思い出す。自然と耳に入ってくる話からして、どうやら話題はあのミオ・ローゼリアのことらしい。本人はこの場にいるのかなんとなく気になり辺りを見渡すがいないようだった。
あいつが笑ったのを見たことがあると輪の中心で自慢気に話しているのはコニーだ。あのミオ・ローゼリアも笑うのか。なんとなく彼女の顔を思い浮かべれば出てくるのはあの無表情。入団式のあの日、私が感じたのは普通の兵士とは違ってミオ・ローゼリアの雰囲気が異質だと思ったこと。ただ、それだけだ。

味気のない夕食を食べ終えて部屋へ戻るため廊下を進み階段を上がる。食堂からは相変わらずざわついた声が響いていた。なんだか今日は頭が痛い、そう思いながらも部屋の扉を開ければ案の定そこには先ほどまで話題だったミオ・ローゼリアがいた。唯一いつもの彼女と違ったのは私の白いパーカーを着用していたことだった。予想外の光景に目を見開く。一体なにを間違えてこうなったのかはこの状況だけでは理解し難い。

「…何してんの」

「あ、あなたアニ・レオンハート?ごめん勝手に借りた」

どう見ても私のパーカーを着て平然としているミオが言うには、どうやらミーナと同じ馬小屋清掃当番だったらしく結果的に服が汚れ、着替えを洗濯中だったミオはミーナから私のパーカーを受け取ったとのことだった。そういえば今週はミーナが服を洗濯してくれていたんだったと思い出す。

「あ、もちろんお風呂入ってから着たよ」

少し濡れた髪と手元のタオルを見れば分かるが心配されないようにかミオはそう付け足した。まあ確かに知らない間に自分の服が他人に着用されて何も思わないわけではないが着替えがないのなら仕方ない。馬小屋は強烈な臭いだ。逆に着替えないで部屋に戻られた方が困る。

「ミーナは、」

「さっき入れ違いでお風呂行った」

そう言うミオの言葉を聞きながら自分の荷物を漁る。そこでふと明日の着替えがないことに気づいた。そういえばそうだった。もともと彼女が着ているパーカーを明日の訓練で着る予定だったのだ。まさか自分の服を誰かに貸すなんて思うはずもなく後ろの彼女を振り返って見る。

「…それ、明日着るつもりだったんだけど」

「ああ、ごめん。代わりといっちゃアレだけど明日は私の服で我慢してくれるかな」

明日になれば乾いてると思う、とミオは言いながら布団を次々と敷いていく。そんな彼女の言葉にどうするべきか悩む。人に物を借りるのは好きではない。あのパーカーも今晩ミオが着るだけで汚れはしないだろうし別にあれでも構わないかと彼女を見ながら思考を巡らす。

「…いや、いいよ。それ明日着るから」

「え、駄目だよ」

「は?なんで」

「私の着て。私が明日もこれ着る」

今まで彼女と話したことがないとはいえ、こんなにも自分の意見を主張するような人物だとは思いもしなくて少し驚いた。誰に干渉するわけでもなくもっと周りに流されるように見えたが、何故そこまで自分の服を押し付けてくるのかが理解できない。

「借りは作ったままにしたくない」

そう呟くように言ったミオに妙に納得してしまう。そうだ、私の知る限りのミオ・ローゼリアはこういう人物だ。表情は乏しく他人と関わろうとしない。どこか私に似ている、と思いたくもないが思ってしまう自分がいる。
ミオを見るとまるで自分を客観的に見ている気分だった。彼女の第一印象はとてつもないものだったが、今では他の訓練兵と話しているのをよく見かけるようになった。それが怖いと思うことがある。自分も気を許してしまえばいつかああなってしまうのではないかと。私は他人と深く関わることはしない、ミオもそんな雰囲気だった。それでも彼女は次第に関わりを持ち始めている。それが無性に怖かった。
ライナーが前にミオ・ローゼリアには気をつけろと言っていた。何故彼がそう言ったのかはいまいち把握できていないが、彼女が普通ではないことは初日の様子で分かりきっていた。

「…ねえ、」

「なに」

「……アンタの敵って誰なの」

話しかけるつもりは無かったはずなのに、なんとなく気になっていて気づけば声を掛けていた。放っておけばよかったかと言ってから少し後悔する。他の人はまだ食堂にいるのか部屋には私とミオの二人しかいなかった。彼女は私の質問を聞くと布団を敷いていた手を一瞬止めるが再びそれを再開する。少し沈黙が流れてからミオは言葉を発した。

「…さあ、誰だろ。誰だと思う」

「そんなの私が知るわけないだろ」

「そう、じゃあ知らなくていいと思う」

答えになっていない返事をしてミオはやっと最後の布団を敷き終えた。その布団の数は明らかに前より減っていてどれだけ脱落者が出たかをより明確にしていた。抑揚のない返答を聞いて思わず彼女を蹴り飛ばしたくなったがそんな考えは一瞬で吹き飛ばされた。

「…まあ、なんでそんなこと聞くか知らないけど。私アニの敵にはならないよ」

「は?」

「え、そういう意味で聞いたんじゃないの」

首を傾げるミオに言葉が出てこない。なんだそれ。そんな考えを聞くために質問したわけじゃない。それでも心のどこかで安堵した自分は一体なんなんだ。そもそも自分は何が聞きたくて彼女に質問したのかすら分からなくなってきた。もともと答えなんて求めないで出任せで質問したようなものだ。ああ、もう考えるのはやめよう。なんだか頭痛が酷くなった気がする。そう思っている思考とは逆に勝手に口は動いていた。

「……私の敵にならないって、根拠はなに」

「根拠なんてないよ。ないけど、なんかアニは私に似てる気がした」

ただ、それだけだよ。そう言ってからミオは大きな欠伸をして目を擦った。そんな眠そうなミオとは逆に私は動揺を隠しきれずにその場を動けなかった。なんだ、彼女も同じことを思っていたのか。私だけではなかったのか。安心する自分の感情がいまいち分からない。自分で自分が分からないのはこんなにも気持ちが悪いのか。

ざわざわと騒がしい声が近づいてきた。どうやら食堂から何人か帰ってきたようだった。その声にはっとして明日の準備を再開する。帰ってきた女子たちは布団を敷いたミオにお礼を言っていた。ただ彼女は淡々と「自分が寝たかっただけ」と返すだけだった。そんな彼女に女子たちは苦笑いで食堂での話題だった彼女が笑う、ということに疑問を抱いているようだ。

私もミオが笑うことは信じがたい。彼女は私に似ている。私はそう笑わない。だったら彼女も笑わないのだと思う。私はあの無表情しか知らないし見たことがない。それでも少し彼女が笑ってくれることを期待している自分がどこかにいる。彼女が笑ってくれたら、私も笑い返せるのだろうかと。笑いたいわけじゃないのにそう思ってしまった。
そもそも私は他人と関わらないと決めたのに何故こんなに彼女のことを考えているのだろう。考えるべきじゃないことなのは分かっている。でも分からない。どこまで私と彼女が似ているのか分からない。ごちゃごちゃしてきた思考に頭痛が更に酷くなった気がした。


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