身体は眠いと言っているのにふと目が覚めた。時刻は三時過ぎ、やけに頭が冴えていた。明日の訓練のために二度寝を試みるもなかなか寝付けないので寝るのは諦めた。きょろきょろと辺りを見渡せば皆は訓練で疲れているため当然だがぐっすり眠っている。逆に夜中に目が覚める俺がおかしいのか。とりあえず誰も起きていないことを確認してそっと部屋を抜け出す。
今夜は星が綺麗だからとつい最近見つけた穴場スポットもとい屋根上に向かおうと思い立ったのだ。夜直がいる舎管室は避けて裏口を開け外に出る。実は以前も何度か抜け出したことがあるので裏口までは余裕だった。閉めようとゆっくり扉を引けば大きく軋む音がして一瞬焦ったもののなんとか閉めることに成功した。

外に出ればもう心配はなく薄暗い道を軽い足取りで進む。そうして物置に立て掛けてある梯子を上手く使って屋根の上へよじ登る。結構屋根が低めなのでこれも余裕。屋根上へ立った途端に目前に映る驚きの光景に一瞬落ちそうになって慌てて両手でバランスを取る。なんとこんな夜中に、しかも屋根上に座っている人影があったのだ。嘘だろ、と目を凝らすがどうも見間違いではなさそうだ。…ま、まさか幽霊とかではないよな。あれ、でも確か前に丑三つ時がなんとかってアルミンが…いやそもそも丑三つ時って何時だ?焦りながらも頭を必死に回転させていると唐突に声をかけられた。

「ねえ」

「うわっ!」

「…なに驚いてるの」

こっちが驚きたいんだけど、とため息をつく声には聞き覚えがあった。暗い中いったい誰だと相手の顔を見れば次第に夜目がきいてそれがミオ・ローゼリアであることが分かってさらに驚く。

「え、…もしかしてミオか?」

「…そうだけど、あなたは」

幽霊ではなかったことが分かり安心すると全身の力が一瞬で抜けた。なんだ驚かすなよちょっと本気で焦ったじゃないか。エレンだよ、と名前を名乗り冷や汗を袖で拭いつつ隣に座る。なんでこんな時間にミオがここにいるのだろうか。てっきり屋根上なんて俺しか登らないと思っていたのに。

「ああ、死に急ぎ野郎」

「なっ、それジャンの受け売りだろ!」

「ごめんごめん。まあジャンから見れば私も死に急ぎ野郎だけど」

そう言うミオの言葉を聞いて思い出す。そうか、てっきり忘れていたが確かミオも調査兵団を目指していると言っていた。周りに自主的に調査兵団へ行くって奴が少なすぎて入団式の時に声をかけてみたいと思っていたんだった。

「エレン、調査兵団志望なんだって」

「ああ、ミオもだろ?」

「うん。何でエレンは調査兵団なの」

質問しようと思っていたことを先に質問されてしまった。空を見上げれば星がきらきらと光を放っていた。どれだけ残酷な世界でも空は変わっていなかった。一呼吸おいてから口を開く。落ち着け、冷静になるんだ。

「…ミオは、巨人を見たことがあるか?巨人がどうやって人を……っ」

そう呟いた直後思い出されるのは自分の無力さと現実を思い知らされたあの日。偽りの平穏と壁を壊された日…初めて巨人を見た日だ。やはり数年経った今でさえ思い出すと吐き気がする。気持ち悪くて思わず口元を手で押さえるとミオが背中を擦ってくれた。

「ごめん。無理に話す必要はない」

「……いや、大丈夫だ」

深呼吸をしてなんとか落ち着きを取り戻す。ミオはなんとなく理由を聞いたのかもしれない。それでも同じ調査兵団を目指しているからか自然とミオには聞いてほしいと思った。そうしてミオに今の自分がここにあることの経由を少しずつ話していく。アルミンと憧れた外の世界、巨人による母の死、それを前にしても何も出来ない自分の無力さ。そして巨人を一匹残らず駆逐すると決意したこと。ミオは隣でそれを黙って聞いてくれた。

「エレンなら調査兵団になれる」

話し終えるとミオが俺の肩を優しく叩いてそう言った。もちろん言われなくとも何がなんでも入団するつもりではあったが、ミオから発せられたその言葉は妙に確信がありとても心強い言葉だった。ありがとな、と笑って返せばミオは首を縦に振って頷いた。
ミオは不思議な奴だ。ミオが入団式で教官に叩かれるのを覚悟して断言していたあの時からずっとそう思っていた。何故あんなに自信を持っているのか。同じ兵団を目指しているものの、自分にないものをミオは持っている気がした。

「…巨人の餌には絶対ならないってミオが言った時、正直羨ましいと思った」

「………」

「そりゃ俺も絶対なりたくないけどさ、不安が完全に無いわけじゃないんだ。なのにあんなに自信持って言えるミオが、羨ましかった」

ミオは俺にないものを持ってるよ、そう声をかけるが反応がない。不思議に思って隣を見れば目が合うもののすぐにミオは視線を下に向けて俯いた。

「……違う。自信なんかじゃない。あれは、ただ強がってる弱虫の言葉。エレンの方が、私にないものを持っている」

「…ミオにないもの?」

「…………エレンは、家族に愛されてる。家族を、愛してる」

ミオの目から一筋だけ涙がこぼれた。突然のことに驚きを隠せず目を見開く。それはすぐに左頬に貼られたガーゼに染み込んで落ちることは無かったが、俺は見逃さなかった。
…今のは、ミオが泣いたのか?いつも冷静で表情を変えることないあのミオが、まさか。信じがたいことだがでも確かに見た。月明かりに照らされたミオの頬を伝う雫。無神経なことを聞いてしまっただろうかと次第に焦りが出てくる。

「…ミオ、」

「今日は、星が綺麗だね」

なんと声をかけるべきかと戸惑いながらも名前を呼ぶとミオは空を見上げてそう言った。先ほど泣いていたようには見えないほどミオは普段通りだった。その言葉に俺も空を見上げる。暗い夜空の辺り一面に広がる星は数えきれない。

「…ああ、綺麗だな」

そう返すと同時に涙が自分の頬を伝った。あれ、何で俺まで泣いてんだよと慌てて涙を拭うがそれは次第に止まらなくなっていた。ああ、なんて情けないんだ。でも泣く原因は分かっている。ミオの言葉だ。そうか、俺は知らないうちに愛されていたのか。なんで今まで気づかなかった、なんで失ってから気づくんだよ。なんで、なんで、

「…っ、なんで最後まで、下らない口喧嘩して……、なんで俺はこんなに無力なんだよ…!」

ミオがいると分かっていても感情が抑えきれない。自分に怒りがわいてくる。結局これだ。今まで自分の意見を主張して、他人の意見を聞き入れずに自分が正しいと思い込み、今こうして後悔している。全部悪いのは自分、無力な自分だ。

「私たちは強くなる」

ごちゃごちゃした思考の迷路をさ迷っていると、凛とした声が響いた。顔を上げるとミオの真剣な目が俺の目を捕らえた。ミオの言葉が心にじわりと染み込むように溶けていく。それが心地よく感じた。

「絶対、強くなる」

ミオは不思議な奴だ。ミオが入団式で教官に叩かれるのを覚悟して断言していたあの時からずっとそう思っていた。何故あんなに自信を持っているのか、不思議でしょうがなかった。ミオはそれを強がってる弱虫の言葉だと言った。でもそれは違う気がする。たとえ本人がそう思っていても、弱い俺はミオの言葉一つでこんなにも勇気をもらった。背中を押してもらってる。それにミオが気づいているかは分からない、それでも背中を擦ってくれている手は心強い。ああ、今だけは泣いてもいいか。そんで泣き止んだら言ってやろう、ミオ、やっぱりお前は勘違いしてるって。だって弱虫がこんな優しい手してるわけないんだからな。


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