夜直という名の夜の見回りは面倒くさい。とにかくこの一言につきる。明日も訓練があるというのに何故寝る間も惜しんで他の奴らの監視のために自分が起きなければいけないのか。意味不明だ。誰かを脅してでも代わってほしいなどと半分冗談でそう愚痴を溢せばクリスタが自分が代わると言ってくるのでどうしようもないし教官にバレたらバレたで後々面倒くさい事になるということは目に見えていた。

ほんの数時間寝ると夜中に交代だと起こされる。もちろん気分は優れない。名残惜しくも仕方なく布団から出れば少し肌寒く感じたので上着を一枚羽織る。クリスタが規則正しい寝息を立ててぐっすり眠っているのを確認しつつ部屋から出て教官に名前を報告しランプと白紙の報告書を手渡される。ああ本当に面倒くさい。とりあえずさっさと終わらせて眠りにつきたいと思いながらも夜直の待機場所である舎管室へと足を進めた。毎日夜直は順番に二人ずつで回ってくる。教官によるともう一人は既に来ているらしい。

暗い廊下を歩いていけば舎管室から明かりが漏れているのが分かる。一体今日は誰が私と同じ夜直なのかと思いながら遠慮なく扉を開けるとそこにいたのは平然と座って、いや、机に突っ伏して寝ていたミオ・ローゼリアだった。報告書を下敷きにして手にはペンを持っているあたり書いている途中に睡魔に呑まれたのだろうか。その光景に小さく舌打ちをして奴の肩を揺さぶったり背中を叩いたりして起こす。もちろん遠慮なんてしない、私が起きていてこいつが寝るなんて理不尽にも程があるからだ。

「おい起きろミオ・ローゼリア。お前仕事放棄する気か」

「ん…、誰あなた」

「運悪くお前と夜直が当たったユミルだ」

そう言ってから何だか今の言い方初日の教官みたいだったな、と考えると気持ちが悪くなり少し後悔した。でも本当に運が悪いから仕方ない。顔をあげたそいつは眠たそうな目でこちらを見上げてきた。それにしても寝ぼけているのかずっとこちらを見つめてくるのでいたたまれなくなって睨み付ける。

「なんだ」

「…ああ、あなたクリスタとよくいる」

納得した、とでも言うように手を叩き無表情ながらも大げさなリアクションだなと意味もなく思っていれば、何を思ったのか再び奴は机に顔を伏せて眠りにつこうとしていた。なんだこいつ喧嘩売ってんのか。これは誰でもイラッとくるだろう。感情に身を任せて容赦なく奴の頭をたたく。そうすると肩をびくっと揺らして叩かれた頭を押さえながらこちらを見た。

「痛い」

「自分だけ寝ようったってそうはいかねぇよ」

ふん、と目前の奴を一瞥して自分も報告書を広げる。一体夜中の訓練兵を監視して何の報告をするのかよく分からんがこんなものは適当に書いておけばいい。そう思いつつ奴の報告書をちらりと盗み見れば文字とは呼べないレベルの黒いミミズが紙の上を這っていた。全くもって何が書いてあるのか読めたものではなく呆れてため息が出た。私も今日の訓練の疲れが出てそれなりに眠いが、こいつどんだけ眠いんだよ。先ほど頭を手加減なく叩いたという今でさえ目を閉じかけている。
眠たくなる気持ちも分からなくはないが宣告通り今度は机の下にぶら下がっている奴の脛を蹴飛ばす。さすがに痛かったのか頭を叩かれた時より反応は素早く、驚いたように目を見開いて痛みに悶絶するので思わず声を上げて笑ってしまう。こいつ、普段は仏頂面で平然とすましてるがちゃんと表情は人並みにあるじゃないか。意外な一面を見た。

「あっはっは!悪い悪い、さすがに脛は痛かったか」

「…う、クリスタの嘘つき」

「あ?クリスタ?」

「前にクリスタが、ユミルは優しい子だって嬉しそうに言ってたから」

だから寝ても許してくれると思ったのに、と脛を擦りながら呟くミオの言葉に反応が遅れる。そういえば記憶を巡らせてみれば確かにクリスタに言われたことがある、優しいと。生憎私には私が優しいなんて理解できないがこいつにもそんなこと言っていたのか。

「ああ、そういえば私もクリスタにお前の話を聞いたことがある」

「…へえ、なんて」

「人に借りを作りたくないやつなんだってな」

そう私が言ってやればミオは一瞬だけ動きを止めたが私はそれを見逃さなかった。奴の顔を覗き込めば無表情なまま視線を反らされた。こいつ、何かある。ふと奴の左頬の痛々しいガーゼに目をやれば思い出すのはあの入団式。

"家畜以下の男"、それは確かに親を憎んでいるような口ぶりだったのを覚えている。いや、あの場にいた全員が初日ということもあり印象強い記憶となったことだとは思うが。

「父親は家畜以下の男なんだったか?」

「………」

「親を憎む理由はなんだ」

「………」

「おい」

反応がないミオに声をかけるが相変わらず返事をしようとしない。余程話したくない理由らしい。まあ誰も自分が憎む相手について饒舌になる奴がいないのは当たり前か。少しでも弱味が握れるかと思ったが奴の様子を見る限り相当酷そうだ。いつもの仏頂面は崩れはしないものの無意識のうちに肩が、身体全体が小刻みに震えていたのだ。ふう、と息をついて仕方なく謝って深追いはしないと諦めて言えば奴は安心したように礼を言ってきた。

「なんだ、クリスタ嘘つきじゃなかった」

「は?」

「ユミル、優しいね」

まあ分かりにくそうではあるけど、と続けるミオの頭を小突く。なんだってクリスタもミオも口を揃えて優しいなんてわけの分からん言葉を私に向けて言うんだ。理解不能の域だ。弱味を握ろうと過去を聞き出した奴のどこが優しいと言える。馬鹿だ、こいつはただの馬鹿だ。私という私をろくに見ちゃいない。

「いてっ、なに照れてるの」

「照れてるんじゃねぇよ阿呆か。私はさっさと報告書書いて寝る。んで後の見回りはミオに任せる」

「え、自分で寝かせないって言っておいて」

「私が寝ないとは言ってない、あとはよろしくな」

ささっと報告書の全ての欄に異常なしの字を書いて机に伏せる。この私が照れるなんて、世の中の巨人が一瞬で絶滅するほどあり得ないことだ。やっぱりミオは馬鹿だ。私が寝ようとしても私のように無理やり叩き起こしたりはしない。お前の方が私より十分優しいって言葉がお似合いなんじゃないのか。

数時間後、目が覚めて顔を上げる。辺りはまだ薄暗い。私が置いておいたはずの報告書やら見回りのランプやらは既に無くなっていて向かいではミオが寝ていた。なんだこいつも結局寝てるのかと思うが報告書やランプが無いところをみるときちんと見回りをしてくれたようだ。時計を見ればもうそろそろで交代の時刻になるところ。それまで寝かせといてやるかと前で伏せているミオを見つつ自分の羽織っていた上着をかけてやる。ああ、もしかしてこれが優しさってやつなのか、と自分で自分の自然とやっていた行動に驚いたのはまた別の話だ。


back