「頭痛い」 朝起きて、何かするよりも先に思わず呟いた。 昨夜徹夜するノリでパソコンと向き合っていたからだろうか。それともいきなり突撃してきた双子に思ったよりもダメージを受けていたのか(精神も身体も)、もしやいつもより激しい波江さんの毒舌に流石の俺もやられたのか。 何しろ、やたら頭が痛い。目を左右に動かすだけでズキンと脳が揺さ振られた気になる。 今日は一日フリーだった筈だから、仕方なくベッドに再び身を沈ませる。その僅かな震動でさえ頭に響いた。やばい本当に痛い。 「あー…」 痛い。そう呟いても、一歩遅れて静寂が閉めきった部屋に浸透していった。 誰もいない家。波江さんは今日は誠二君とどうたらこうたらって言っていたから来ない筈。 はあ、と息を吐けば耳はその音だけを拾った。 「………頭痛、ねえ」 そこでちょっとした悪戯を思い付いた。簡単で子供染みた悪戯。 方法は簡単。電話一本で繋がるシズちゃんに「熱が出た、吐きそう」と偽りのメールを送るだけ。絵文字顔文字記号等は使わず、あたかも病人でやつれているのを思わせる文面。 出来るだけ頭に響かないように緩慢な動作で携帯を手に取り、新規のメール作成画面を開く。送信相手は「シズちゃん」で、タイトルは未記入。本文は、先程閃いた物をそのままでいいかな。 一回呼吸をおいて、いつもより力無い親指が送信ボタンを押した。 さあて、シズちゃんの反応が楽しみだ。無視するかな、もしかしたら返信くれるかな。まあ例え返信をくれたとしても今すぐでは無いはずだ。きっと昼休憩の合間にでもくれる事だろう。 のんびりとシズちゃんのバーテン服装備な後ろ姿を思い描いて、目を覚ましてからというもの全く治まらない頭痛に参りながら、瞳を閉じた。起きるのは、シズちゃんの昼休憩頃でいいだろう。 *** 何だろう、いい匂いがする。料理かな。あれ、でも。誰が作っているんだ?というか俺は何で寝ているんだ? ――ああ、そうだ。朝から頭痛が酷かったんだっけ。 ぱちりと瞼を上げる。暗い自室の中、微かながらいい匂いが薫っていた。 ゆっくりと体を起こす。いい匂いといっても、誰が?波江さんでも来たのか?それに、部屋は閉めきってある筈。 ゆるゆると枕元に置いておいた携帯を手に取って、画面に表示された数字に驚いた。 「は、8時…!?」 昼に一度起きようと思っていたのに。アラーム等は一切使用せず、体内時計のみが頼りだったけれど、シズちゃんの昼休憩に合わせて起きようと思っていたのに、うっかり10時間以上も寝てしまった。 おかげで体が重い気がして、ずるずると引きずるように足をベッドから下ろした。 (あれ) 気が付かなかったが、扉が少しばかり開いている。だから匂いがここまで漂って来たのかと納得する反面、閉めてある筈の扉が何故開いているのか、この匂いは何が原因なのかが引っ掛かった。 寝間着姿のまま、寝癖もついているだろうそのままで、扉まで歩く。キィと音を立て覗いて見れば、一階に明かりが点いているのが見て取れた。それも全灯ではなく、あの光は省エネモードか何かだろう。橙色が目に優しかった。 (……波江さんか?) 勘の通り料理でもしているんだろう、時折瀬戸物やステンレスのぶつかる音が耳についた。 そこで再び携帯を開く。シズちゃんの返信をまだ確認していなかった。――のだけれど。 (…あれ、返信きてない) 待受画面も受信ボックスも、何もメールを受け取っていないと主張している。 カチカチと送信ボックスを見れば、きちんとシズちゃんに送っていた。 無意識に溜息が漏れる。何だ、恋人が例え嘘だとしても熱があると訴えていたのに、上司や後輩との仕事が大切か。 シズちゃんはいつまで経ってもシズちゃんだなあ、と若干寂しさを噛み締めながら、一階へと暗い階段を降りた。 一階に降り、階段の手摺りに手を添えながらキッチンを見ようとした時に気付いた。 波江さんだとしたら、何故彼女がここのキッチンを使っている? 扉が開いていたのは恐らく今キッチンにいる人物が中を見たからだろう。という事は、俺の事を気遣って夕飯でも作ってくれているとでも言うのか。何ともおかしな話だ。 波江さんが俺の為に、俺を心配して作っているだなんてそんな事が有り得るだろうか。誠二君が寝込んだなら考えずとも容易に想像がつく。しかし相手は俺だ。うん、自分で考えて切なくなるけれど、波江さんが俺の為になんて考えつかない。 まあ、俺が寝込んでいる事で彼女自身に迷惑が起きる等考えているなら、可能性は出て来るけれど。 漸く脳内会議が一区切りついた所でキッチンへと振り向いた。見えたのは、長髪黒髪ではなく―― 「あ、臨也。よく寝てたな」 長身金髪の見知った男だった。 「………シズ、ちゃん?」 シズちゃんが、キッチンに立って料理をしている。他はどうしたのか、ワイシャツに黒いスラックスを身に纏って、鍋と向かいあっている。 「…臨也、超寝癖ついてる」 びしっと指を差され、頭を触れば確かに跳ねた感触が。ぽかんとしたまま髪を手櫛で押さえていたら、シズちゃんが口を開いた。 「大丈夫か?熱、あったんだろ」 「え、……あ、そうだ」 シズちゃん、君返信くれなかったじゃないか。だから、無視されたんだと思っていたのに。何故君がここにいる。 「…シズちゃん、返事…」 「あ、…あー、悪い。何しろ気付いたの昼だったからさ、寝てたら起こしちまうかもって思って。…だから、こうやって夕飯作りにきたんだけど…」 「………心配、してくれたんだ?」 「なっ、…わ、悪いかよ、……一応、俺達付き合ってんだから、さ」 尻窄みになっていきながらもシズちゃんは手を休めない。もしかしたら、仕事が終わったらすぐにこちらに向かってくれたんだろうか。 段々、段々と嬉しさや気恥ずかしさが胸を駆け巡って、ちょっとだけにやけてしまった。 「…でも、来た時、……悪いけど、お前の部屋入ったんだ。その時もう熱無かったみたいだから、安心したんだけど…。…あ、そうだ、腹減っただろ。腹の調子は悪いのか?」 「お腹は、元々平気だけど…。…夕飯、作りに来てくれたんだ…」 きっと来る時に買い物もしてくれたんだろう。ああ、何だか悪い事したな。今更ながら罪悪感が沸いていた。少しだけど。 「そうか、腹は無事か。じゃあお粥じゃなくていいな」 そう言ったシズちゃんの手元の横には、小さな片手鍋が置いてあった。きっと、中身はお粥だろう。 「…臨也、座んなくて大丈夫なのか?」 「……もう、すっかり元気だから」 「そうか」 安心したように笑ったシズちゃんが、心に響いて、思わず言わないでおこうと思っていた事をばらしてしまう。 俺は、いつまで経ってもシズちゃんには勝てないんだなあと柄にもなく思った。 「シズちゃん、実はね。…あのメール、嘘ついてたんだ」 「へえ」 「……実は、熱なんて無かった。ただ、頭が痛かっただけ」 「ふうん」 シズちゃんの返事が心なしか上の空な気がして、先程の笑顔がいつもの不機嫌顔に戻っている気がして、思わず謝った。 「…馬鹿だな、臨也」 「…え」 無意識の内に落としていた視線を上げると、少し位苛ついているだろうと思ったのに、シズちゃんは優しく笑ったままだった。 何故馬鹿と言われたのか解らず聞き返せば、一層笑われてしまった。 「そんなの元から何となく気付いてんだよ、馬鹿臨也」 馬鹿と聡明 「つーかあれだろ、要するに寂しかったんだろ。具合悪い時に一人っつーのが」 「いやそれはない」 「嘘つけ。そんぐらい解るんだよ馬鹿臨也くんよお」 「シズちゃんに馬鹿馬鹿言われたくないなあ…」 「あ?どういう意味だそれ」 「別に。あ、これおいしい。また腕上げた?」 「え、…あー、わかんね」 「ふーん。…やっぱりおいしい。作りに来てくれてありがとう、シズちゃん」 「えっ、あ、……おう」 |