いとおしさはただの憎しみだったのか、燃え盛る炎はすべて燃やし尽くしてしまったのか。僕は小さなそれを保つために必死で守っていたのに、いとも簡単に握られてしまったのはもう恐々諦めるしかなかった。
ぐちゃぐちゃになっている机の上を眺めながら、ベッドに横たわる彼を意識した。

「兄さん」

呟いた声は大した音にもならずただ落ちてゆく。小さく唸って身をよじる兄はどことなくかわいらしくて幼い。それに少しだけ咽を鳴らした自分が嫌で、舌打ちした。

「兄さん」

何度か呼ぶ。兄と呼ぶことでそれが抑えきれるならどれだけよかっただろう。僕はただ兄を兄としてあいせないことが堪らなく悔しかったのだ。
何もかもを裏切っているような感覚がする。僕を家族としてあいしてくれた彼らを、手酷く見放しているような気がする。見限られてしまっているような気が、した。

「兄さん」

兄は気持ち良さそうに息をつくだけで返事はない。それでも僕は兄のことを呼び続けて、兄さん兄さんとまるで縋っているかのように。あの頃の僕のように。僕のこれがどこから来たものなのかはっきりとは分からないけれど、もしかすると兄の背中を見つめていたあのときからなのかもしれないとぼんやり思った。
相変わらずぐっすり寝ている兄の頬を薄くなぜた。こともすると自分の中のそれにぱくり、なんて喰われてしまいそうで酷く恐ろしいのだ。だから兄と呼び続けて、けれど返事は返ってこない。



噛み付かれた。
驚いて指をそこから引き抜こうとするのに、尖った歯に止められる。いつの間にか兄は目を覚ましていてなんだか冷たい目で僕を見ていたのだから不安になった。あおい炎に焼かれているようで恐ろしくなる。

「に、…さん?」

掠れたまま呼んでも先程と同じで返事は返ってこない。ただ、兄が目を開いているのだけが違う。
兄は僕の指を軽く噛んでいる。かり、かりと小さな音をたてながら大して痛くもないそれを続けて、合間たまに、思い出したかのように嘗めるのだ。
ぞくり。背中が粟立った。
だめだ、これは、だめだ。
ぞくぞく背筋を這いのぼるそれ。僕は慌てて指を抜こうとするのだけれど、そう簡単に思い通りにはさせてくれないようだった。

「にいさん…!」

随分切羽詰まった声が出た。兄は変わらず僕の指を噛んでいる。噛んで、甘噛みして、ああまるでそれが僕には愛撫のように思えてとまらないのだ。
息が荒くなる。こわい。これ以上は。
情けない姿なんてこれ以上兄には見せたくないのに、どんどん露顕していくのが嫌で怖くて辛くて気持ち良くて、たまらない。

「にいさん……っ」

小さく音を立てて放された指には透明な唾液がつう、と伝って酷く淫靡な感じがした。どきどきと心臓が止まない。

「………兄さん?」

返事は変わらずない。ただ、覗いた顔は妖艶な笑みを浮かべていて、これは本当にあの兄なのだろうかと不安に思った。

「雪男」

これまでで初めて兄が言葉を口にした。それは思いのほかずしりと空気を重くして背にのしかかる。僕は生唾を飲み込んで「なに、」と聞いた。それだけなのに嫌に緊張した。

「俺、しってる」

にやりと笑う兄は悪魔というのがぴったりで、そこにいるのは今まで同じ時を過ごしてきたはずなのに兄でないような気がした。何度も呼んだ兄が、まるで別人のようで。

「なに、を?」

聞いてはいけないような気もしたし、聞かなくてはいけないような気もした。相反する気持ちに不快感を覚えながらも、僕は口にする。「なにを?」
兄は笑みを深くして、ゆっくり口を動かした。



「雪男が俺を、好きだってこと」


もうだめだ、と思った。
深い笑みを浮かべた兄を、そのまま押し倒して口づけた。
燐、燐。何度も呼んであれだけ兄だった人間を、(いいや、もう悪魔だったのだ)いとも簡単に僕はこうして貪っている。心地好い背徳感に押し潰されそうだ。ねえ、燐。薄く開けた目には燐の青い炎が映って。ああ、もう戻れないのかもしれない、何となく思った。後悔はひとつもなくてただ気持ち良いだけだったけれど。





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