スーパーまで買い物に出かけたら、最近よく話すようになったおばさんに遭遇した。おばさんは大袈裟に反応して話しかけてきてちょっと前なら面食らってしまっていただろうけど、今は慣れたもので普通に返事を返すことができる。ちょうど買い物始めだったこともあり、二人で世間話をしながら店をぶらぶらまわることにした。おばさんはいろいろ鬱憤が溜まっているらしく愚痴に近いことばかり漏らすけれど、その分お礼と言って買った野菜を分けてくれたりするので嫌いじゃない。
そろそろ何々が旬の時期ですねなんて会話を軽く笑いながらできるようになった俺は昔と比べてとても進歩したと思う。敬語は未だにおぼつかないときがあるけれどずっとマシなものになった。その辺は昔の俺を知る人たちに誇れる部分であったりするのに、実際それを話してみると呆れられたり苦笑いされたりたまに感心されたり反応は様々だ。学生の頃の友人たちは今でも良い友人で、俺はとても恵まれているのだと思えるようになった。誰に負けることもない困難を抱えていようとも俺にはこんなに良い仲間がいるのだからそれでチャラだろう。俺の周りには、良い人が多い。もちろん弟も含める。弟とは昔と変わらず二人暮らしをしているわけだけれど当時より一緒にいる時間は短い。二人とも祓魔師として働いているのだから仕方ないとは思ってもいくらか物足りなく感じるのはおかしくないはずだ。特に晩飯なんかは作っておいても食べずに朝まで放置が当たり前だったりするのが不満だ。飯くらい食え!と毎度思っている。食事は身体を動かすために重要だしおろそかにしても良いことは一つもない。何回言って聞かせてもなおらない。というより成人してからはより酷くなっている気がする。栄養ドリンクのビンやらカロリーメイトの空き箱やらが山積みになっているのはどうにかならないものか…。最近弟が飯食ってくれないんすよ。とそのくだりを口にした辺りでやってしまった、と思ったけれど一度出てしまった言葉は元に戻ってくれない。あらそうなの。そうなんです…。幸い会話は流れたけれど、何というか、嫌なものは残ってしまった。あからさまなしこりが無かったかのようになって会話が続くのには違和感しか抱けない。おばさんは何にも知らずに話している…。異様な空間だ。そのまま愚痴に戻ってきたころ、そういえば最近弟さん見ないわねえ。なんてつぶやきが聞こえる。最近仕事忙しいみたいで。だからか余計飯食わないんすよ…。俺もほとんど愚痴になっている。嘘はひとつ吐くと重ねるのは当たり前になってしまうらしい。気持ち悪い。俺の中で作られた虚像の人間が存在している。違和感に首を傾げる前に吐き気とぐるぐる回るものがあった。余りにも俺の顔色が悪かったのかおばさんは早く会話を切り上げて、ついでにりんごをくれた。ありがとうございますとお礼の言葉も曖昧なままの思考で口に出来たか定かでない。今度会ったときにはきちんと礼をしないといけないだろう。
俺たちは学校こそ卒業してしまったが、一応学生寮だったあの古びた寮に誰を入居させる予定もないからとそのまま住まわしてもらっている。多少の監視というのも名目上はあるだろうけれど、割合自由にやらせてもらえるのはありがたい。だからあの頃と変わりなく、俺はこの寮で暮らしてこの寮から仕事へ向かうのだ。これからもここでの暮らしは続いていくのに、今この寮は一部別物へと変化してしまっていた。その部屋からは気配だけでも異様なものが漂って来る。ドア越しの異様さは表しようのない異常で異端だ。たった数日前からなのでたいして周りに影響はないのだけれどそろそろ色んなことに差し障りが出てくるのではないだろうか。ドアを開くとひんやり底冷えするような気配があふれて、生理的な嫌悪感がじわりと這い寄ってくる。俺としてはそこに在るものを嫌う理由なんて無いからか生理的だろうがなんだろうが嫌悪するというのはいささか不憫がすぎる気もする。薄暗い、あと独特のにおい。これは腐るにおいではなくて、そういう、…説明はうまくできないが少なくとも腐乱臭ではない。夏場でないのが唯一の救いだった。まだ腐敗は始まっていない…と思う。ぎりぎりセーフってやつだ。もうだいぶアウトに近いような気がするが。「ったく、風呂くらい入れよな…」と言いつつそんなことは無理だともちろんわかっているので俺が入れてやるしかないのか。馬鹿言え、もっと取り返しのつかない段階までひょいひょい足を引っかけていくようなものだ。結局何も手を尽くせないまま俺の作った晩飯みたいに放置されて数日経っている。当初は人間って意外となかなか腐らないんだなあとか思った。もう触れない。触ったら崩れそうだ…比喩でなく。涙は今のところ出ていない。実感がないのが大きいのではないか。実際さっきも当たり前のように話題に出してしまったし。こんな状況誰に話せるわけもないのでどうしようもないと言えばどうしようもないが。
気づいたら死んでいた。というと薄情な気がしても本当にそうだったのだから救えない。俺たちは最近それぞれ忙しい日々を送っていたからまあ仕方ないのかもしれなかった。弟は俺の飯を食えないくらいだったし。それは今も同じだったりするのだが、あまり言ってやるのも可哀相だろうか。飯は相変わらずに二人分用意してあって、材料が無駄だ。だって食べない弟が悪い…。作ってる方の気持ちも考えてほしい。で、弟が死んでからも俺は普通に暮らしていたわけだけれど、いい加減何か変わっても良いんじゃないかと思う。連絡のつかない弟を誰かが探しにくるとか。何かないのか何か。俺はどうにも納得がいかなくて憤慨していた。弟がこんなふうに放置されるほど何もない人間だったはずはない。努力家で誰にでも認めてもらえるそんな自慢の弟だった。だから何かないのか。放置している本人がこんなこと言うのもアレだとは思うけれど、言い訳できるなら手の出しようがなかったと言いたい。死ぬなんて思わなかったんだ。いきなり動かなくなるなんて。だって俺たちは双子だった。だから片一方が動かないなんて変だ。…ちょっと自分でも何を言っているかわからなくなってきている。今日も俺が家に帰ったら「ただいま」「おかえり」の応酬があったはずでいつかの日は当たり前であったことがこんなふうに無くなるなんて思いもしなかった。現実では「ただいま」「……(何かのにおい)」が出迎えてくれるわけだけれど俺は一体どうすれば良いのか。今日も弟の死体が腐りながらお家でおとなしく俺の帰りを待っているんだ…。





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