人の足音がして、ああまた誰か来たのかとぼんやり思った。がちゃり、扉が開いてから「はあ、もう誰もくんなって言ったろ…」なんて呟こうとしたのだけれどそれを最後まで言うことはできなかった。

「あれ、兄さん。まだこんなところにいるの?」

眼鏡に特徴的なホクロ、それに祓魔師のロングコートを着込んだ男が部屋に入ってきたからだ。おかしい。俺がびっくりして何も言えないでいるとその男は何食わぬ顔で俺の机の隣に座った。

「ふう。疲れたよ本当…アイツら下っ端だと思って人のことこき使うんだから」
「……」
「ん?なに、どうしたの兄さん。僕の顔に何かついてる…って、ホクロがついてるとか言ったら殴るからね」

…なんだコイツ。
さっぱりわからなくなってしまった。あまりにも自然にこの部屋の扉を開け、あまりにも自然に隣の机に座り、あまりにも自然に俺と話そうとするから。うっかり勘違いしそうになった。

「お前、誰だよ」
「は、なに言ってるの?」
「答えろよ!」

突然怒鳴った俺に男は驚いた顔をした。なんだ、何なんだよお前。その表情まで、動作まで、勘違いしそうで、くるしい。
男はにこりと笑った。

「もちろん、雪男だよ。それ以外の誰に見えるの」
「違う!!」
「何で?」

違う、だって、雪男は。

「雪男は、もう何十年も前に死んだ…!!」

そうだ。雪男も塾生のみんなも全員何十年も前とっくの昔に死んでいた。それでもまだこの寮にいるのはただの意地だったのに。

「僕の死体、見た?」

男はにこりと笑って雪男のフリをする。それが許せなくて身体が怒りで震えた。

「黒焦げだったでしょ」
「…っ」

確かに、雪男が任務で死んだと連絡を受けて返ってきたのは黒焦げで面影すらない残骸だった。けれどそれは一部の人間しか知り得ないはずの情報なのに。

「あそこまで黒焦げだと、見分けなんてつかないよね」
「…は、あ?」
「だから、見分け。死体の見分けなんてつかなかったでしょ」

ぞくり、瞬間背中に何かが走った。きっとそれは悪寒だとか言われる類のもので、このとき俺は何かしら対処すべきだったのだろう。それでも頭が考えることを拒否していた。考えたくもなかった。

「ねえ、流石に兄さんでもわかった?この意味」
「外道…っ」
「はは、人でないもの」
「…人でない?」
「そう、悪魔だから」

薄ら寒い笑顔を表面に浮かべているこの男は人の命を何とも思っていないのだろうか。恐らく、きっと、雪男の代わりに殺されただろう人のことを思うとやるせない気持ちになる。悪魔だから一体なんだというのか。俺だって。
はっ、とした。俺だって、なんだ。俺だって悪魔だけれど?そんなこと考えたところで無駄じゃないか。
目の前の男は変わらず薄気味悪く笑っている。

「兄さん、僕が雪男だって認めたくないの?」
「…うるせぇ!お前は…お前なんかが雪男なわけねぇんだ!雪男は、雪男は…お前なんかとは違う!」
「…兄さんを迎えに来たんだ」
「…っ」
「今はもうあの頃の僕じゃない。力を手に入れた。邪魔者もいない。やっと…二人だけで、また小さい頃みたいに暮らせる」
「…うるさいっ、黙れ…!」
「兄さん」
「黙れ…、っ!?」

男はいきなり俺の肩を掴んで床に叩きつけた。激しい衝撃に息がつまったその瞬間、喉仏のあたりをぐり、と掴まれる。

「か、は…っ」

ギリギリ締めつけられて呼吸ができない。必死に酸素を取り込もうとする身体がびくりと跳ねた。男の顔が数センチ先にあって、見れば見るほど雪男に似ていることが辛い。
男は喉を絞める手とは反対の手で俺の頬を殴った。久しぶりの感覚に頭がついていかない。何度も何度も頭が痛みを理解する前に殴りつけられる。繰り返し殴られた頬は流血するどころかえぐれているようで細かい肉片が床に飛び散った。それでもどうせ、そんなものはすぐ治る。それよりも。

「兄さん、」
「…っ…あ」
「…僕を、見てよ」

笑っているのに、笑みは張り付いたままなのに、男は何故か泣きそうに見えた。その顔が、ああ昔の雪男そっくりで。認めてしまえよ、頭の端で細胞がちらちらうそぶく。目の前が真っ赤なのは飛び散った肉片のせいか。
みしっ、小さく鳴ったのはきっと絞められた首の骨が圧に耐え切れなくなった音だろう。このまま骨が折れたらどうなるのだろうか。もちろん傷は治るだろう、けれど意識を失って次に目覚めたとき俺はどこにいるのだろう。この男と、どこまでも行けるのだろうか。俺は。
手を伸ばそうとするがあがらなかった。酸素が足りないのかもしれない。
ゆきお。
触れられなくとも、音にならなくともせめて。唇でだけ名前をなぞった。それを見た男はゆっくりとしあわせそうな笑みを浮かべ始める。
ゆきお。
しあわせそうな顔。まぶたが重いせいでまともに見れやしないけれど、とてもしあわせそうな顔。それこそ数十年ぶりの。認めてしまえよ、ああそうだな。これは弟だ、俺の愛しい弟。ずっと死んだと思って生きてきた、弟。もう人間ではないけれど、しあわせそうな弟。雪男。涙がこぼれた。また雪男とあの頃みたいに、一緒に。ああ、でもその前に今は、少しの間だけさようなら雪男。骨がもたないかもしれない。何十年も待ったんだ、あと少しくらい待てるよな。俺が一瞬死んでる間にどこか遠くへ連れていってくれ。ここでなくともいい、二人でまた暮らそう。雪男。二人で飯食って、寝て、ケンカして、暮らして。なあ雪男、これからずっと、二人で行こう。

ばきり、骨が折れる音がした。





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・つばめ様へ
遅くなってしまい申し訳ありませんでした!一ヶ月以上もお待たせするなんて、本当にすみません…!
とってつけたような弱グロ表現ですがよろしかったでしょうか…?無駄な未来設定までつけ足してしまいましたし…本当に申し訳ありません;
書き直しは喜んで受け付けさせていただきますのでどうぞ遠慮なさらずにお願いします!
では、企画参加ありがとうございました!!
ざわ





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