俺は昔からとにかく口が悪かった。正直口よりは手や足のほうが先に動く質ではあったけれど、それでも口が悪かった。

「うるせぇ近寄るなさっさと消えろクズ野郎」

最近それが一層ひどくなった、というよりおかしいくらいの罵倒が口から転げ落ちるのだ。お礼を言いたいのに悪態をついてしまったり、褒め言葉を口にしたいのに悪口がこぼれ出る。ぼろぼろぼろぼろよくもまあそこまで出てくるもんだと感心してしまうくらいあっさり口から落ちるそれに違和感を感じていた。自分で言うのも何だが俺はそんなに言葉を知っている方ではないはずだったのに今では自分でも知っているのかわからないような言葉で他人を罵っている。それがひどく不自然で不安だった。優しくしてくれた人に嫌な思いしかさせていなくて、どうしようもなく嫌になって遂に誰とも口を聞かなくなった。いくら話しかけてもだんまりな俺に話しかけ続ける奇特な人間なんているはずもなく、当たり前にひとりになった。俺はそれに安心しきって、ああ、もう誰も傷つけないし嫌な思いもしない、だから大丈夫だと満足した。そのうち言葉も忘れてしまえば良いなんて馬鹿なことばかり考えていた。

「兄さん」

ひとりおかしな人間がいる。それは俺の双子の弟で、誰よりも俺と近く、誰よりも俺とかけはなれた人間だ。何も口にしない俺に毎日のように話しかけては勝手に楽しそうに笑って勝手に嬉しそうにして勝手に俺をどうにかしようとする変人で、それでも頭は良くて言葉もたくさん知っていた。俺より何倍もの言葉をその頭に詰め込んでいて中にはきっと俺が口にしていたような汚い言葉もあるだろうに、それは一切出てこない。おかしいくらい何でもないような言葉しか出てこないのだ。俺とはちょうど正反対だった。だから苦手だった。一応弟だから、大切ではあったけれど。苦手だった。

「兄さん。僕、何年兄さんの声を聞いてないと思う?」

知るか。

「もう二年だよ。二年もずっとだんまりなんだから」

そんなん数えるくらいヒマなんだなお前。

「お願いだから何か話してよ」

黙れ。

「兄さん」

ともすれば嫌な言葉を吐き出してしまいそうで必死にこらえる。弟にまで嫌われたくなんてなかった。自分からひとりになったのにも関わらず本当の意味でひとりになることは嫌がるなんて俺はどこまで身勝手な生き物なのだろう。

「兄さん」

肩を掴まれて思わず閉じていた口が開いてしまった。


「したかんでしね」

久しぶりに出た声は拙く掠れていてよく聞き取れないものだったけれど瞬間の悪意はこもっていたからきっと伝わってしまっただろう。
二年。二年も我慢していたのに。
あっさり訪れた終わりに呆然として動けなかった。ああ、もう、だめだ。ぱっと正しく浮かんだのは終焉の意味で。俯いて何か反応を待つことしか出来ないのがひどく恐ろしかった。

「良いよ」
「え」

何か、想像していたものと違う言葉が落ちた。それは罵倒でも悪態でも悪口でもなくてただ許諾するものだ。

「良いよ。兄さんが言うなら」

にこりと笑っておかしなことを言う弟はそれでも目だけは真剣で、背中につうと汗が伝う。あ、だめだ。ゆっくり浮かび上がったのは先程と同じような言葉なのに意味は全く違う。ぞくり、身体が震えた。

「久しぶりに話した兄さんのお願いだしね、叶えないわけにはいかない。あ、でも舌噛みちぎってもほとんど死ねないってこと知ってる?だから噛みちぎった後銃で頭を撃ち抜いて死ぬことになると思うけどそこは妥協してね」

楽しそうに笑って嬉しそうにして頭のおかしなことを口にし続ける弟は表面だけ見ればあまりにもいつも通りなのに、俺にはこの弟が何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

「あと、」

弟は笑顔のまま近づいて俺の頬を掴み、口をこじ開けて舌を引きずり出した。それ自体は大して痛くなかったけれど脳内に異常な恐怖を刻み付ける。

「兄さん、僕だって無害なだけの人間じゃないよ。言葉だけはおかしいくらいに綺麗なものしか出てこないけれど、頭の中は違う。兄さん、僕がずうっと兄さんに何をしたかったかわかる?ねえ兄さん僕が、兄さんに何をしたかったか、わかる?」

ずるりと引きずり出されたままの舌は悪態なんてもちろんつけるはずもなくて、場違いにもそれこそ舌を噛みちぎっておけば俺の悩みもなくなったのかもしれないなんて考えた。弟の目は俺の言葉と同じ色をしているのだ。ああ気づかなかった、コイツも俺と一緒だ。双子だからきっと似ていたんだ。そうかそうか、へぇ。
頭の中がすうっと明るくなった。あんなに感じていた恐怖だとか違和感だとか正しさとかが全部取り払われて途端に頭が軽くなる。俺の舌を掴んだままの手をゆっくり離させた。

「じゃあ、死ぬ前にしたいことすれば良いんじゃねぇの」

弟はきょとん、なんてかわいらしい顔をしていてなんだかおかしかった。その目は「僕の言ってたこと理解できてる?」なんてあからさまに言っている。

「馬鹿にすんじゃねぇよ、そんぐらいわかる」

言葉は相変わらずかすかすしていて聞き取りづらいだろうとは思う。それでも弟は俺なんかの言葉を一言も聞き漏らすまいとしているのだからなんだか腹の辺りがふわふわした。

「ほら雪男。良いぜ、こいよ」

かわいい弟が俺のために死んでくれるというのだから俺だって何かしてやりたい。弟を受け入れるために両腕を広げたのだけれど、たじろぐようにして俺のもとへ来てくれない。

「雪男」

何をためらっているのだろう。ためらう必要なんてない。弟の首に腕をかけて、そのままベッドに引き倒す。俺の上に倒れこんできた弟の心臓の音が聞こえて安心した。死ねなんて口をついて出てしまったことでもちろん本心なんかじゃない。例の病気のせいだ。他人に言ってもここまで後悔したことなんてなかったのにそれが弟相手になっただけでこうも辛くなるなんて。
背中に回した腕に力を入れると弟も恐る恐るといったように俺を抱きしめた。あんなことを言っていたのにいざとなると怯えている弟がなんだかおかしい。

「終わったら、雪男の舌噛みちぎってやるよ」

キスして、そのまま噛みちぎってやろう。そうやって決めておかないと駄目な気がして。
弟は照れくさそうにうっすら笑顔を浮かべた。それがどこか幸せそうで、ああそういえば弟はいつだって俺の前では幸せそうだったなんて思う。幸せなら良いか。おかしなことだってここには二人しかいないのだから関係ない。
そうして俺達はゆっくりキスをした。





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