「倫理、人として行うべき道。ふうん。じゃあ兄さんは守る必要ないね、悪魔だし」

ばさばさと上から辞書が降ってきた。重いし分厚いから角が痛い。文句でも言ってやろうと辞書を落とした張本人を睨むとなんだか薄ら笑いをしていて気色が悪い。

「おいこら雪男、何してくれてんだバカ」
「馬鹿は兄さんだろ」
「はぁ!?今回ばかりは俺一切悪くねえだろ!」
「すぐ怒鳴るし」
「……今回ばかりは俺悪くありませんよね奥村せんせー」
「そうですね」

やっぱそうじゃん。
理不尽だ。弟は大体いつもは理由があって人を怒ったり叱ったりするのに、今日はなんだか様子がおかしい。薄ら笑いは剥がれ落ちて無表情だ。無表情は別に良い、怒るとき弟は無表情になることがあるからだ。ただ、無表情なのに何かしらの感情も漂っていないのが気味悪かった。無表情無感情無動作まるでロボットか人形みたいだ。

「…雪男、お前おかしいぞ。なんかあったのか?」
「さあ奥村くん質問です」
「無視かよ」
「倫理とは何ですか」

いきなりけしかけてきた上よくわからない質問までする弟はきっと仕事のし過ぎで頭がおかしくなってしまったのだろうと納得して、そんな弟に兄ぶって付き合ってやる。

「さっきお前が言ってたじゃねぇか。人として行うべき道って」

そんで、悪魔の俺は守らなくても良いなんてバカぬかしやがった。
下から睨みつけても変わらずの無表情に気味の悪さだけでない何かを感じた。何だろうこれ。気持ち悪い感覚だ。

「そう。これは人の間の事柄ですね。倫理、これを通らない人間は異端者として弾圧され省かれ畏怖や軽蔑の目で見られます。ですが所詮人でないものには当て嵌まらないことです。いえ、むしろこれからはみ出たものが人でないものだと言うべきでしょうか」

どうしよう親父、雪男がおかしくなっちまった。
だらだらとよくわからないことを話し続ける弟を本気で心配していると、ようやく一息ついたのかちらりとこっちを見た。

「兄さん、兄さんは悪魔だよね」

認めたくないが事実だった。渋々頷くと弟はさも当たり前といったように目を細める。

「悪魔の兄さんが人の真似をして倫理を守る理由は何?意味がないよ」

意味がない?
弟は本格的におかしくなってしまったようだった。俺は人で在りたいのに人の決まりを守らないで良い道理があるだろうか。それこそさっきの弟ではないけれど道を踏み外した悪魔だ。悪魔は踏み外した訳でないからちょっと言い回しがおかしいかもしれない。頭がこんがらがってきた。考えるのは嫌いだ。

「俺が人でいたいから、アイツらと一緒に過ごしたいから。理由なんてそんなもんだろ。ていうかそんなんまともに考える方がバカみたいだ」

変な弟に吐き捨てる。弟が変なせいで俺も変だ。いつもはこんなよくわからないことに対して無駄な考えはしないのにここまでまとめて返してしまった。馬鹿みたいだった。
弟はそんな俺を冷たい目で見据える。実は今弟は眼鏡をかけていない。そのせいで目つきの悪さが俺並だった。そうやってると俺たちも双子なんだなあということが少し実感できる。

「兄さんは面倒くさいね」
「は?」
「面倒くさい道をわざわざ進むなんて実はマゾヒストだったりするの?」
「はぁあ?」

ひどい言い草だ。本当に弟はどうしてしまったのだろう。熱でもあるのかと額に手を当ててみたが少しひんやりしているくらいで常とほとんど変わらなかった。蔑む目で見られた。

「……兄さん」

急に声のトーンが下がる。俺の肩に顔を埋めて、なんだか泣きそうな声で縋った。

「僕は兄さんが心配なんだよ」

弟からこんな殊勝な言葉が出てくるなんていつ以来だろう。あのかわいかった昔の雪男を思い出した。背中をぽんぽんと叩いてやる。大きな赤ん坊をあやしているようだ。

「…ったく、雪男は心配性だなあ」
「……」
「心配いらねぇよ、大丈夫だ。色々何とかするから」
「……兄さんは馬鹿だ」
「…バカなのはもう仕方ねぇよ。生れつきだ」
「馬鹿だ…」

甘えられているようでなんだか気恥ずかしかったけれど兄としては嬉しい。自分より高い位置にある頭を撫でると髪質が俺のと似てるなあなんて思う。ふ、と違和感があった。
あれ、雪男って体温高かったはずだよな。
いつもよりひんやりと冷たい弟の身体に、この感触はなんだっけなんて考えたけれど答えは出なかった。

(もっと考えれば良いのにね)





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