「しにたい」

兄がぼそっと呟いた。
塾のみんなが聞いたら驚くんだろうなあくらいには思ったけれど特に応答せず机に向かうともう一回「しにたい」言った。本当に何でもないときにいきなりぼそりと呟くのは決して精神が病んでる訳でも命を軽んじてる訳でもないだろう。精神を病むくらい長々悩んでいられるほど兄は気長ではないし、命の貴さだって身に染みてわかっているのだから。

「しにたい」
「へえ、そうなの」
「あー」

適当に相槌をうつと大体母音だけ返ってくる。椅子の背もたれに最大限寄り掛かって、ソーダ味の棒アイスをぴこぴこさせながら。行儀悪いなあなんて思ったけれど注意したって右から左なのだから意味はない。横目でじとりと睨むだけにしておく。

「うあああああ」
「扇風機で遊ばないでよ…」

あまつさえ部屋唯一の扇風機で遊び始めた。それで遊ぶのは指を怪我するから危ないって昔から神父さんに言われてたのに、いつまでも馬鹿な兄だ。変にくぐもった兄の声を聞きながらこうも暑いと僕もやっぱり勉強のやる気が出ないのかもなんてちょっと思った。いつだって常に優等生してる訳じゃないのだ。
ぐだぐだ遊んでいる兄の頭に右手でチョップを食らわせた。あいてっ、小さな声が漏れたのが聞こえる。恨みがましそうな目で見つめてきたけれど逆に睨み返せば慌てて目を逸らした。
兄は唐突に死にたいなんて馬鹿なことを言うけれど決してその残火をひいたりはしない。なかったかのようにとぼけて元通りことをしだすのだ。それもひどく馬鹿馬鹿しくていっそ憐れだ。『憐』れって字は兄の名前とちょっと似てる。関係ないけれど。

「兄さんさ、」
「んー」
「死にたいとか言うのいい加減やめなよ」

こちらをちらりと振り返ったその顔がムカつく。

「…んでだよ」
「ウザいから」
「うっ…ウザいとか言うなよ」

いつもなら食い下がるのにこうして弱気なのはやましいからだろう。兄にも最低限の羞恥心はあるようで安心した。

「ウザいよ本当。兄さん死にたいなんて思ってないじゃない」
「……」
「構ってほしいなら素直に言いなよ子どもじゃないんだからさ」

兄の顔が一気に赤くなった。それを横目に僕はちょっとだけ気分が良くなってまた勉強に手をつけ始める。
兄がしていることはまるで子どもだ。好きな子に振り向いてほしいから虐める構ってほしいから悪いことをする、あれだ。兄は子どもの行動に、ちょっとばかり毛の生えた考えを持って生きているのだからやることなすこと馬鹿で単純である意味扱いやすいのだけれど、毛の生えた考えというのがまた手放しで馬鹿にできないときがある。

「…しにたくないって言えないから」

ぽそっと呟かれたそれにぎょっとして振り向いたけれどそのときには普段の兄で、してやられたような気分になった。
ちくしょう馬鹿のくせに。
少し前の言葉を表面通りに受けとった兄は「ほれ雪男、構え構え」とちょっかいを出してきて先程とは違うウザさがある。ああもう、頭をかきまわしながら結局兄に振り回されていると気づいた僕も大概間抜けなのだろう。





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