※パラレル


触らぬ神に祟りなしと言うようにそれは確かに的を射ている。むやみに関係を持とうとしなければいくらかの面倒は避けられるというものだ。ただ、それにも例外はある。

「…おい、お前。今見たことは誰にも言うんじゃねーぞ」

少し下の方から睨みつけてくるのは随分目つきの悪い少年だ。僕と同じ高校のかなり着崩した制服を着て肩に竹刀を入れるような袋を引っかけている。光の加減でちらちらと青色に輝く瞳が印象的だった。

「…と言われても……」

言うも何もただ少年が躓いて転んだ現場に立ち会ってしまっただけで、そんなことは逐一誰かに話題として話すことでもない。なのに彼は勘違いしたのかこうして掴みかかってきているのだ。途端に面倒になって適当に謝ればよかったものを変に口を出してしまったのがいけなかったのだろうか。彼の目が釣り上がった。よくもまあそこまで怒りをあらわに出来るものだとなんだか感心してしまう。そんな態度もかんに障るのだろう彼は派手に舌打ちをしたあと掴みかかっていた手を勢いよく振り離してそそくさ何処かへ行ってしまった。
怒りで突っかかってきた姿とは裏腹にひとりで歩く姿は何処か浮世離れしているのが気になって、事勿れ主義であったはずなのにらしくもない、ぼんやり考えた。



「あ」

無表情なのに口だけはぽっかり空いているのがおかしくて吹き出すと変わらずの顔で「笑うな」なんて言われた。笑うなと言われても。この前と似たようなことを考えてまたおかしくなった。

「何笑ってんだよ」
「…いいや、何でもないよ」
「ならさっさと笑うのやめろっ」

苛立った声で言われて沸き上がる笑いを押さえ込む。少しばかり変な顔になっているかもしれない。
この前中庭で会った彼とはこうしてまたすぐに会うことになった。彼はあの時とほぼ変わりない体で居たが、ただ一つ変わっていたのは小さな包みの弁当箱らしきものを持っていることだ。ここの学食は一級品を扱っているだけに値段も高いのでごく一部の生徒は弁当を持ってきているらしい。彼もその類なのだろう。ただ粗暴な雰囲気のある彼がそれを持っているのに少しの違和感が混じっていた。

「お弁当?」
「…わりぃかよ」
「いいや、全然。隣良い?」

あまり表情は変わらなかったけれど少し驚いた顔をされる。彼はどことなく表情に乏しいような気があった。

「まあ、別に…」
「そ。なら座るから」

自分はここまで他人に興味を持つような人間だっただろうか。違和感は付き纏うものの特に気にもせず彼が座る隣へ同じように座った。
かぱりと開かれた弁当箱の中には彩り鮮やかなおかずがきれいに納められていて思わず感心してしまった。きらきら光ってすら見えるそれに何だか羨ましくなってしまったのは言えるはずもない。規則正しい速さでぱくぱく口にする彼は味がわかっているのかそうでないのかすらも判断しづらいけれど、少なくともこの見た目でまずいなんてことあるはずがないのだ。
ぼんやり眺めていたのが気になったのか、彼はちらちらとこちらを伺って「………食べるか?」と卵焼きをひとつ弁当箱のフタにのせて差し出した。

「え、くれるの」
「そんなふうに見られてたら気になんわ」

言い捨てられた言葉に甘えてそのきれいに焼き上がった卵焼きを口に入れた。途端に広がるほんのり甘くて優しい味に何にも言葉が出てこなかった。酷く、優しい味だ。作った人の優しさが滲み出るような。何かが胸に詰まって息をするのに苦労した。

「…どうだ」

ほんの少し瞳を揺らしながら聞いた彼に「うん…おいしい」と返せた方が不思議なくらいで、くらくら目が眩んでいるような気分になる。まさかあの中には何か入っていたんじゃないか、なんて馬鹿なことを考えるくらいには頭がおかしくなっていた。

「…ありがとう、おいしかった」

言うと動かない表情が少しばかり和らいだ気がして、形に出来ない何かが胸を掠めていった。

「…名前、名前教えて」

この人と何か繋がりを持ちたい。縋っているのに近い気持ちで名前を尋ねたけれど唐突だったかもしれない。様子をちらりと伺えば何か混じったような顔をしている。

「…駄目?」
「いや、そんなん初めて言われたから…」

なんて反応したら良いかわからなくて。
そう言われたけれど、僕自身もなんて反応したら良いかわからなかった。どうすれば良いかなんてわからない。それでも拒絶されている訳でないことに少し安心した。

「僕もこんなこと聞くの初めてだよ」
「そーなのか?」
「うん」
「……そっか」

少し納得したみたいに頷いていたけれど表情は全く動かなかった。感情の機微が浅いのだろうか。

「…燐」

拾った言葉が何なのか始めはわからなかったけれど少し置いてそれが彼の名前だと理解した。

「燐…綺麗な名前だね」
「……それも初めてだ」

彼は一瞬哀しみだとか虚しさだとかそういった類の感情を織り交ぜた声をするから、何か気に障っただろうかと思ったけれどそうでもないみたいでほっと息をついた。

「お前は?」
「え」
「お前の名前。俺も教えたんだから…教えろよ」

自分が聞かれることはすっかり失念していて反応が遅れてしまった。ぽかんと見つめる僕に「やっぱ駄目か?」なんて言う彼を慌てて制した。

「雪男だよ」
「雪男?」
「そう」
「雪男かあ…」

そっちのがきれいな名前じゃん。

呟いたのが酷く寂しげな響きで何も言えなかった。





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