「ほら、にきびは潰せば治るって言うじゃないですか」
「いやこれにきびじゃないし、にきび治療は清潔に保ってそっとしておくのが一番だから…!」
「まあ俺が潰したいだけなんで気にしないでください」
「気にするわ!!」

狭く薄暗い牢屋の壁に張り付いて距離を取ろうとする勇者さんの腕には、見える部分だけでも十数個の目がついていた。そのどれもが好き勝手な方向にぎょろぎょろ黒目を動かしているため、見ていてかなり気持ちの悪いことになっている。いつの間にそんな状態になってしまったのか、本人すら気づかなかったらしくあまりの鈍感さに呆れてものも言えない。囚人服の裾をめくると腹や背中にも目が広がっていた。この調子だと身体中いたるところにあるのだろう。膨大な魔力を抱えてしまった影響か、魔界生活もそれなりになるからか、原因は明確にならなかったが、ただ一つだけ思うことがあった。そうだ潰してしまおうと。

「大丈夫痛くないですよ多分」
「今お前多分って言ったろ!」

無理無理、絶対痛い!うるさく喚き散らすのでぶん殴って馬乗りになる。「ほらアレですって、天井のシミを数えてる間に終わるってやつです」「それなんか違っ…あっ…!」人差し指で手ごろな目を一つ潰してみた。ぐちゅりと嫌な感覚がして、潰れた目からは赤い液体が流れ出ている。血だ。先ほどまで動き回っていたそれはゆっくり塞がっていき、最後には古傷のような筋になった。見ている限りではかなり痛そうだったが、勇者さんの様子をうかがう分にはそうでもなかったのだろう。二つの、彼が元から持っている目を丸くしてオレを見ている。「痛くなかったでしょう」「い、痛くなかった…」まるで潰しても痛くないことがわかっていたかのような物言いをしてしまった。

「でも触られるとなんか嫌な感じ…本当に目をつつかれてる、って感じがする」

勇者さんは自分の目を片手でおさえて、それからぎゅっとつむった。たくさんの目も同じように閉じられ、同時に開く。粘膜がくっついて離れる音。正直気持ち悪い。全部潰してしまえば良いと思った。

「潰してしまいましょう」
「いや…確かに痛くはなかったけど、でもボクにはこれが簡単に潰して良いものに思えないよ」

そう言うと思って、彼が寝ている夜中にこっそり潰してしまおうと決めていた。気づかないうちに全部終わらせれば良い。あの人の見た目がばけものじみていくことに当事者でないオレの方が追い立てられているような気分だった。
最初の夜は二つだけ潰した。寝息が聞こえる暗闇のなか、音を立てないように忍び寄る。勇者さんは昔と比べれば他人の気配にすっかり敏感になってしまったけれど、敵意さえなければどれだけ近づいたところであの頃のように無防備な姿のまま寝こけている。頬をつねったって髪を引っ張ったって起きない。念のため、催眠効果を持つにおいのする花を材料にして作ったスプレーを吹きかけておいた。これで眠りは深くなるはずだ。のんきに寝こける顔を見ていると鼻をつまんで息を止めてやりたい気持ちが湧いてくるが必死にこらえた。彼の右手をとって、手の甲にこびりついている二つの目にそっと指を突き立てる。ぐちり、前潰したときと同じように気色悪い感触がして、二つは血を流した。血が流れるということは、一晩にあまり潰しすぎると良くないかもしれない。そう考えてその日は立ち去ったけれど、実際は手に残る居心地悪い感触をさっさと洗い流してしまいたいだけだった。
帰ってから手をきれいに洗った。石鹸を泡だてて爪の隙間、指のあいだ、手首まで丁寧に洗った。さっぱりとした気分でその日は床に就く。夢の中ではあの人がよくわからないどろどろしたものになっていて、それにはたくさんの目玉がついていた。退治されるべき、退治してきたような、モンスターのような見た目をしていた。モンスターの勇者さんはうぞうぞ冷たい地面を這って近寄って来る。オレがいつもの調子でからかうと、いつものとは到底言い難い速さでぐちゃぐちゃの手を伸ばしてきた。べち、オレの腕をたたく。たたくというより乗せるという感じだ。これでツッコミのつもりですか、笑えます。とオレが口にして、勇者さんはたくさんの目玉をそれぞれぐるぐる回して抗議する。あんまりにも回すのでオレの目も回ってしまいそうだった。起きたら吐いていた。クレアに心配されてしまった。次の夜にはもう少し潰した。気持ちの悪さはまだ残っていたけれど、前にみた夢のせいで、早くどうにかしなければならないという気持ちは強くなっていたのだ。勇者さんの身体を伝う数本の赤い筋を手でこすって、血は布につくと落ちないんだよな、と考える。朝起きたらベッドに血が染みついているのは良い気分でないだろうと、服やシーツに血がつかないように配慮してやった。
何度か通えばいくぶん余裕も出てくる。身体をひっくり返してどこに目があるのか確かめてみた。思ったとおりに全身ぎょろぎょろした目玉だらけで、足の裏にまであったのだから驚きだ。尻にあったときは少し笑って、最後までとっておいても良かったのだけれど、尻にあっては座りが良くないはずだと思い、早めに潰しておいた。
毎晩とはいかなかったそれも、かなりの頻度で繰り返すうちに少しずつ数が減ってゆく。ただ潰して帰るだけなのもなんだかもったいないように思えて、たくさんあるうちの一つをじっと観察してみる。足の裏にあったそいつは魚の目を彷彿させ、見れば見るほど気持ちが悪かった。見ているうちにそいつが目なのかもわからなくなりそうで、そうなったときは勇者さんの顔を覗き込む。穏やかな寝顔。彼の黒い瞳を今見ることはできないが、まぶたを引っ張ってしまえば簡単にのぞく。これが本当の目だと確かめる。間違って潰してしまわないように。
こんなにも頻繁に顔を見ているのに、この前の家庭教師以来全く言葉を交わしていないのだから会っていないも同然だ。夜中こっそり忍び込んで彼の目を潰すだけの日々。今は彼の話を聞きたくないような気がして、それはそれで良かった。言葉を交わさない分、目を見つめることが多い。無数の目と目を合わせながら指で押し潰していく作業はおかしくなりそうでいて、けれどただの作業だ。何も考えず潰して。たまに彼のまぶたを引っ張る。そしてまた潰す。
足の裏の目は今日も気持ちが悪い。じっと見つめていると魔が差したのか何なのか、気づけばそれを人差し指の腹で撫でていた。表面の滑る感触とぬめりけのある粘液が指に残る。黒目の部分がぎょろぎょろ動いて、オレに触られないよう位置を変えるので追いかけて触る。嫌だと言うかのように逃げ回るそれは意志を持っているんじゃないかと勘違いしそうなくらいだった。仮にそうだったとして、どうということもない、他と同じように潰してしまうだけだが。次の家庭教師予定日までにすべて潰すつもりだ。今はとにかく、これを潰し終えるまで勇者さんと話をしたくなかった。
その日も夢をみた。勇者さんはこの前とは違ってほとんど人間の姿をしていたのだけれど、身体中にあったはずの目が顔に集中している。平らな面に無理やり乗っけたようなそれが一斉にうごめき、これはこれできつい。勇者さんは目ばかりで口がないため喋れないようだった。ツッコミのない勇者さんなんて。大丈夫です、今潰してあげますから。顔の目は、本当の目がどれだったのかわからなくなってしまうので手をつけたくなかった。それでも勇者さんがこうでは幼い子どもに怖がられるだろう。せっかく世界を救った勇者になったのだから皆から大切にされる存在になってほしい。だから潰そうと手を伸ばした。そこで目が覚める。疲れているのかもしれない。
たまには違う目を見るのも良いだろうとクレアやルキの目を見つめてみた。どちらも勇者さんのものとは違っている。当たり前のことに納得できた代わりに頭の心配をされてしまって、オレの心配をするよりあんな目だらけになってしまった勇者さんの心配をしてくれと思ったところで、この二人はそのことを知らないのかと察す。あんな風になったらあの人は事実を周りに隠そうとするだろう。隠す前にばれてしまっただけで、オレが何も気づかなければ、それが当たり前かのように隠そうとしただろう。腹が立った。今の今まで気づかなかった自分に。

「勇者さんはどうしてそうなんでしょうね」

深い眠りに落ちている彼に問いを投げかけたところで返ってくるはずもない。勇者さんが勇者さんであることはオレにとって幸いなことだ。腹を立てても仕方のないこと。苛立ちのまま足の裏の目を舐めた。逃げ回る黒目を追って、そのまま潰してしまうくらいの圧をかける。味はしない。ただ心なしかひんやりとしていて、舌の温度とは違っている。
この目が最後だ。他は皆潰し終えて傷跡になっている。これを最後まで残したのは微妙に愛着が湧いてしまったからだが、押し潰してしまうことには変わりない。愛着があろうがなかろうが。勇者さんの足が唾液まみれになる前に潰して。他と同じように人差し指を押し込んだ。もう慣れた感覚に目を閉じて、これで今日からはゆっくり眠れる。そう思った。



「いつの間にかあんなにあった目がなくなってたんだよね」

苦笑いのような情けない顔で頬をかいている。勇者さんの目は二つだけだ。顔にちょんちょんと乗っていて、きちんと口もある。ちゃんと人間している。
勇者さんはオレが夜な夜な彼の目を潰していたことを知らない。知らせるつもりもないので、適当に話をつけておく。不安になったことも心配したことも知られたくない。適当に、適当に、あたりさわりなく。
潰れた目が徐々に傷跡へ変わっていくうち、これは勇者さんの身体に元々あった傷だとわかってしまった。傷跡のあるところに、目が出来たのだろう。オレがいない一年のうち彼がたくさん怪我したことをルキは語ってくれた。旅の間の面白いこともつらいことも等しく話されたので、足の裏にあった傷跡の理由も知っている。
アルバさんたら夜中に突然寂しくなって泣きそうだったからって、裸足で外を走り回ってきたんだよ。泣かないためにとか言ってたけど、足の裏がざっくり切れちゃったから結局痛くて泣いてた。靴くらい履けば良いのに、勢いで飛び出すんだから。ほんとうバカだよね。
これは笑い話の一つだったか。それを聞いてなぜか素直に笑えなくて、確かにおかしかったけれど、うっかり泣きそうになった。ルキもその場に居合わせたときはきっとそうだったに違いない。思い返すから笑えるのだ。
オレはたくさんの目を潰して勇者さんの傷跡を元に戻した。あったものを元の形にしただけで、不安だったり心配だったり、そういうものは初めからいらないものだった。だから、いらないものはなかったことにする。潰す感触の気持ち悪さと引き換えに勇者さんの傷跡を作り直して、泣きそうな笑い話をオレの唾液で上塗りしてしまった。隠し事がばれないようにうまく言い訳をしている気分。

「うーん…なんかよくわからないけど…直ったしまあ良いか!」

いつもの許容範囲の広さで簡単に流してしまう勇者さんは、今回のこともいつか笑い話にしてしまうのだろうか。オレにとっては笑えないのに、勇者さんにとっては、はにかむ程度の話なのだろうか。自分でごまかしておきながらそうやって悩むのはどうかと思うけれど。

「勇者さん次何かあったらその目潰してあげますね」

いつもの冗談、らしく聞こえるような言葉を選んだ。人差し指を伸ばして勇者さんの目に手を伸ばす。もう簡単に潰せてしまえる。躊躇できないくらいに慣れてしまったのだから。

「嫌だよやめてよ!」
「何も起きなければ潰しませんよ多分」
「お前また多分って!」

勇者さんの本当の目を潰してしまったら傷跡になんてならないだろうに、ゆっくり閉じて塞がる様がまぶたの裏に映る。「勇者さん大丈夫、何も起きなければ良いんですから」きっとそんなことは無理だろうから、その目はオレに潰されるのを待つだけの物体だった。





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