さらさら流れる白い砂浜に、底まで見えるようなエメラルド色にも思える海。先を見れば空と海面の境がわからないほど澄んでいる。何やら浅瀬の辺りで騒いでいるらしい少年の声を聞き流しながら、砂の上に座り込んで眩しくない太陽を見た。雲ひとつない青のなかぽつんと佇むそれはぎらぎら照りつけているように見えるが、裸眼で直接見たって失明することもない。視線を少年に戻せば盛大に転んでいる最中で、思いっきり顔から海にダイブしている。流石に浅瀬も浅瀬なのだから溺れはしないだろうと眺めていると叫びながら顔を上げた。激しく咳き込んだ後微妙な表情でこちらを見てくる。

「この水、ブルーハワイの味がする…」
「海に来たことは?」
「うーん、港町には行ったことあるけど…きちんと海を見たことはないんですよね」

やけに透き通った水を掬って弄んでいる。寄せて返す波のような流れは一応海らしい体裁を保っているように見えた。「海の水ってしょっぱいんでしたっけ」その問いに肯定してみせると、彼は小さく唸りながらこめかみに手を当てて目をつむった。一瞬空間が歪むような感覚がして、けれどすぐに治まる。「どうかな」ちょっと掬って舐めると今度はきちんとしょっぱかったらしい。塩辛さに顔をしかめている。一体どれだけ辛くしてしまったのだか。

「…こういう真っ青な海がある地域って限られているような気がしますけど」
「えっ、そうなんですか?普通の海って青くないんですか」
「青くないわけじゃないですが…もうちょっと暗い感じの…」

「こんな感じかな」今度は一面絵の具みたいな濃い藍色になってしまった。これなら先程のほうがまだ実物に近い。伝えると少しだけしょんぼりした様子で元の色に戻した。「そうですね…あとは砂浜にも流木や割れた貝なんかがあって結構雑然としてますよ」興味深そうに頷いている少年はどうやら本物の海を見たことがないらしい。どこから仕入れたのか中途半端で偏った知識とあまり豊かではない想像力のせいであからさまに作りものめいた光景が出来上がっている。きれいすぎて嘘くさい。ほとんどの人間がきれいだとため息をつくような風景が目の前にあって、それでも嘘くささが空間を満たしているせいでイマイチ感動できなかった。はっきり言って微妙、だ。ただの遊びなのであんまり酷評するのも悪いかと口には出さないけれど。
「妄想とか空想とか、悪いように言われますけど実はそんなに悪いものじゃないと思ってるんです」薄暗さと冷たさに満ちた地下牢ではっきりしない笑みを浮かべた顔を思い出す。本人にそういった気はなかったのだろうが、残念ながら周りの環境がおかしかったせいで完全に神経が弱っているように見えた。相手がオレでなければ無理やり外に引きずり出されていただろう。好き好んで引きこもっているのだからそっとしておいてやれば良いのに。そうすればオレもしばらくのサボり場所に困らない。大部分を占める打算とちょっとの仲間意識で続いている現状にもすっかり慣れてしまい、こうしてお遊びに付き合うくらいの仲にはなっていた。彼のそばで目を閉じているといつの間にかこの子の空想の中に入り込んでいる。「たまにですよ、たまにこうして外のこと考えて遊んでるんです」偽の日の下で楽しそうに言った少年には、やはり太陽がよく似合うと思う。けれど所詮他人目線でしかないのだから、本人がしたいようにやらせれば良いのだ。右も左も分からない歳ではないのだし、大して自分に関係ないということも含め特別口出しすることはなかった。それが心地よかったのだろうか、利害の一致というのが近いような気がするこのくだらない関係は細々と、けれど確かに続いている。「この遊び、まだ誰にも言ってないんです。ボクとトイフェルさんだけの秘密ですよ」何か面白いことを企んでいるかのような笑顔で指切りを強請られたのがずいぶん前のことのように感じたけれど、実際はそこまで時間も経っていないのだろう。なんとなくで過ごす時間は飛ぶように過ぎるが、何かしらのある時間はもう少し速度を緩める。つまりはそういうことなのだ。この関係を赤い目の全身黒い人に知られたとき殺されやしないかと今のところそれだけが心配だった。

「トイフェルさん」

いつの間に出したのだろう、砂浜には大きなパラソルと簡易なテーブルセットが置いてあった。その側で手を振る少年の元へ向かうと座る前に椅子を引いてくれる。「動作がなってませんよ」「そういえば本職の人でしたね…」そういえば、とはなんだ。一応執事長を任されているんだぞ、と心底どうでもいいことを考えながら白くて細い椅子に座った。体重の分だけ砂が沈む感覚はリアルだ。ほぼ現実と同じように感じるお遊びの世界で、男が二人ままごとに勤しんでいるのだから引きこもりってやつは最高じゃないだろうか。時間を浪費している。贅沢極まりない。目の前のサンドウィッチに手をつけて海を眺めた。波の音と自分たちの立てる音以外何の気配もしない空間。「プライベートビーチってこういうのかな」卵とハムのサンドをぱくぱく食べながら彼が呟く。プライベートビーチも真っ青な無音加減であることはなんとなく口にしないまま適当に頷いておいた。この空間で食べたものは果たして栄養になるのだろうか。味はまあまあだけれど。何の模様もない白のティーカップに注がれた琥珀色はやたら澄んで見えて、こんなところまできれいにしなくても良いと思う。ここでは何れも完成された形が欠けることなくおざなりに放り投げられていた。醜く不完全に作る方が難しいと聞くけれど、そういった理由なのかはわからない。「うーん、紅茶はトイフェルさんの淹れてくれたやつの方が美味しいですね」眉を下げたちょっと情けない笑みを向けられる。「…まあ、本職ですから」視線をそらして角砂糖を一つ紅茶に入れた。

「トイフェルさんは最近どうですか、お城で変化はありました?」
「いえ、これといって話すようなことは特に」
「ええ…何かないんですか」

不満げに少し頬を膨らませている様子はただの子どもにしか見えない。この子は一体いくつだったろう。少なくとも頬を膨らませて拗ねるような年齢ではなかったはずだが、やけにその動作が似合っていておかしかった。「笑わないでくださいよ!」ぷんぷんというような擬音がピッタリな怒り方もまた笑いを誘う。口元を抑えて堪えようとしても端から漏れてしまうので意味がない。ずいぶん可愛らしい怒りだな、と素直に感心してしまったのも多少はあったのだけれど少年には伝わらなかったようだ。すっかり拗ねてしまった。城の者がオレを探してさまようあの顔や、朝叩き起こされるときの怒声なんかと比べたらあまりに可愛いものである。特に弁解せずにいるとどうでも良くなったのかまたサンドウィッチを食べ始めた。懐が深すぎるだろう、正直呆れてしまった。
それにしても彼にはよく名前を呼ばれるなあと思う。付き合いの長い同僚なんかよりこの子から呼ばれた回数の方が圧倒的に多い。自分の名前を浮かべると一緒に彼の声が聞こえてくるくらいには名前を呼ばれていた。

「え、呼ばれるの嫌でしたか」
「嫌というわけではないですが…そんなにしょっちゅう呼ばれることないので」

あ、カモメだ。海にありがちな鳥がいつの間にかパラソルの上を飛んでいることに気づいた。彼が増やしたのだろう。独特の鳴き声が聞こえて、ああ海っぽいなあと思った。ほんとに海っぽい。あからさまに。取ってつけたように。

「呼びたくなる名前ってあるじゃないですか、響きが好きだとかそんな感じの」
「響き…一応悪魔って意味の名前なんですが」
「そういえばそうでしたっけ。トイフェルさん全然悪魔っぽくないのに。…まあ怠惰を貪る様とか悪魔っぽいように思わなくもないけど」

悪魔らしくないだなんてそんなこと初めて言われたな。魂に触れるという生き物の根幹を揺るがす魔法を使うせいで極悪人のような扱いをされることにすっかり慣れてしまったのだ。今更そんなことを気にする質でもないけれど、なんだか新鮮で、ほんの少しどきりとする。「好きですよ、トイフェルさんの名前」極めつけの笑顔にいたたまれなくなって目をそらした。波の白いところと砂浜の白さが同化している。ずっと向こう側にある海の端と空の端もくっついて継ぎ目がわからない。境がないのっぺりした海を眺めながら目を閉じてみて。「オレも、アルバくんの名前嫌いじゃないですよ」はっきり好きと言えることなど自分にはあるのだろうか。現状口に出せる最大限の好意。少年は目を瞬かせて、そうしてきっと笑うのだろう。嬉しくてもそうじゃなくてもきっと、笑うのだろう。

「へへ…そうですか。ありがとうございます」

案の定笑みを浮かべたその顔に一瞬恨み言でも言いたくなって、やめた。とりあえず食後に現れたシャーベットを口にしておく。気温すら感じない空間で、けれどそれだけはやけに冷たく感じたのだった。






(BGM:Wal/king b/y the se/a)

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -