空腹を感じて作ったカップ麺を食べる気力すらなくなって床にうつ伏せた。ソファとローテーブルの脚を眺めながら深夜らしい適当なバラエティの笑い声を聞き流す。耳障りではないけれど内容は全く頭に入ってこない。疲れた、眠い。睡魔がじわじわ足元を這い回る音がするようだ。まぶたは重さを増して今にも閉じてしまいそう。横になっているのがいけないのだとわかっていても起き上がれないのはもう人間の性なのではないだろうか。自分の怠惰を人類の責任にして眠気と闘う。鼻腔をくすぐるダシのにおいが唯一意識を保つ手段であった。お揚げの食感を思い出すんだ。きっと起き上がれるはず。無理だ。とりあえず手の届く範囲にあった携帯電話を引き寄せて、床に置いたまま人差し指でぽちぽちメールを打った。こんな夜中に起きているはずもない、迷惑極まりないことは知っているけれど送らずにはいられない。だって夜中はこんなにも孤独で空腹で、涙が出そう。目尻には徐々に水分が溜まっていた。もちろんあくびによるものである。
予想を外れてあっさりと返信が来た。あんまりにも震える携帯に思わずそこまで会いたいのかなんて馬鹿げたことを考えて。動いたせいで涙がこぼれ落ちてしまったけれど、ただの生理現象なので気にしない。メール新着一件。ボックスを開いて内容を見ると真っ白な画面に彼の名前と自分の名前、短い言葉が映っている。
『いや、今深夜ですよね?思わず時計見ちゃいましたよ』
ふむ。それに返す言葉もまた決して長くはない。顔文字絵文字なんて面倒なものは一度も使ったことがないのだけれど、若い彼がそれを素っ気ないだなんて言ってくることはなかった。俺に合わせているのか彼も面倒くさがりなのかは知らないが文面は今時の若者にしてはシンプルだ。白と黒の文字しか浮かばない画面。特別思うこともないけれど。再び震えたそれを手に取る。『そんなに眠いなら寝てください。身体に悪いですよ』『そこまでやったら食べられるよね!?ていうかどんだけ面倒くさがりなの!?』『仕事しろよ!!!』何度かやりとりを繰り返して携帯をソファに投げた。急に面倒になって。またうつ伏せになると今度はテレビが通販番組を流し始めている。ああ深夜だなあという感じ。ものすごく汚れが落ちるスポンジの実演。うわあよく落ちるな。掃除なんか滅多にしないオレには必要ないけれど。テーブルの上でほったらかしのカップ麺はぐにゃぐにゃになっているのだろう。ちょっと遠くの方からバイクがエンジンを吹かす音がした。元気だなあ、その元気を少しでも分けて欲しい。そうすれば未だ煌々とするパソコンに向かって残った仕事を片付けられるのに。夜は駄目だ、眠いし、空腹だし、何より孤独だ。元々ひとりぼっちなのを棚に上げて夜をじとりと見つめた。
ガチャリ、扉の開く音がしたけれど特に驚くこともない。がさがさビニール袋の擦れる音も聞こえて、視線を向けると入り口で履き慣れたスニーカーを脱ぐ彼の頭が目に入ってきた。「うわ、暗っ!電気つけないと目悪くしますよ…」部屋の電気スイッチを入れられて、オレは情けない声を出しながら近くの毛布で頭を覆う。眩しくて無理だ目があかない。彼はそんなオレを気にすることもなく勝手知ったるとばかりにずかずか上がり込んだ。彼の部屋とオレの部屋の構造はほとんど同じなのでまあ当たり前と言えば当たり前なのだけれど。

「何度も言ってますけど、きちんと戸締りしなきゃ駄目じゃないですか…。また鍵開いてましたよ」

そのおかげで入ってこれたんですけどね。いたずらが成功した子どものような顔で笑うなあ、と思ってから彼は実際に子どもだったことをふと思い出した。なんだかんだ世話を焼いてくれるので忘れがちだけれども、そういえばまだ高校生だったか。ローテーブルの上にあるカップ麺を見て「うわあ…本当にほったらかしだ」とちょっと顔をしかめている。きっと不味いだろうそれをもったいないからと言いながら食べてくれるのが簡単に想像できた。彼はそういうところが甘いから。それに乗っかるオレが言えたことではないけれど。

「一応夜食っぽいもの持って来ましたから」

ビニールから出されたのは鮭のおにぎりと栄養ドリンクだ。隣部屋に住んでいるのに来るのが遅かったということはわざわざコンビニか何かで買ってきてくれたのだろう。これで伸びたカップ麺まで処理してくれるのだから至れり尽くせりじゃないか。もうこの子と結婚しようかな、なんて阿呆なことを考えた。

「高校生が夜中出歩くなんて補導されても知りませんよ」
「いやアンタがこんな真夜中にメールしてくるせいだよね!?」

彼はジャージの上にコートを羽織った格好で、確かに寝る前だったのだろう。それでも、来て欲しいだなんて一言も伝えていないのにこうして訪ねて来てくれるのだから、もう何も言えない。ローテーブルの前に座り込んでカップ麺に手をつける彼を下から眺めてぼんやり考える。うわあ、レッドフォックス…赤い狐が赤いきつね食べてる。案の定美味しくなかったのだろう、微妙な顔をしながら通販番組を流し見ている彼の横顔は昔と全く変わらない、いいや少し幼いかもしれない。

「共食い…」
「え、それってボクがうどんだって言いたいんですか?」

思わず漏れた言葉にもいちいち反応してくれる少年はオレのような人種に好かれてしまうのだろうなと少し哀れに思う。深夜だからか抑え気味な声色で、なんとなく落ち着いて。別段貶めようとしたわけでもからかおうとしたわけでもないのだけれど、今の彼には言っても理解できない話だろうし理解しなくても良いと思っているので反応を返さずに黙っておいた。伝わらないギャグというか。まあどうでもいいことだ。沈黙を貫いていると諦めたのかまたうどんを食べ始めた。ずるずる啜る音とテレビの音、あとは床に耳をつけた自分の鼓動の音だけが聞こえる。深夜はいつだってこんな風に感情がゆらゆら動いてしまう。寝不足なせいで胸のあたりがずしりと重く、呼吸をする度に何かが喉から出てきそうだ。人間ってすごいな。どうやってこんな気持ちを処理しているのだろう。たかだか二十数年の人生じゃそんな方法わからなくて、年下の少年ですらこうして普通の顔をしているのに自分ときたら。昔はどうしていたのか思い出そうとしてもいまいちはっきり思い出せないのはきっと、どんな感情も時間という薄め液でひたすらにのばしていたからだろう。のばしてのばして、元の味がわからなくなるくらい薄まったその感情を適当に飲み下して生きていたのだ。だからひとりぼっちだって大したことなかった。それならばたった数十年、良くて百年しか生きられないような人間というものはどうやってこの奔流に流されないよう生きているのか。不思議で仕方がなかった。そうして今日も床に突っ伏して死んでいる。
うどんを食べるうどんくんは夜中のお供に丁度いい。何故だろう、この子は昔も今も何の気なしに困っているなら誰だって助けてしまうのだ。平和な今の世の中じゃあ勇者なんて必要ないけれど、彼は今だって堂々と勇者をしているのだった。あぐらをかいた彼の元へずりずり這い寄って腰にしがみつく。いきなり引っ付かれて驚いたのか少し身体が震えたけれど文句を言われることもなかったので、それに甘えることにした。耳を当てるとごうごう血液の流れる音がして。今この瞬間生きていることを確認して。さんざひとりだなんだ言っておきながら目の前の体温にいとも容易く縋っていることの情けなさに呆れながら。目をつむって耳を澄ます。少年の腰は細く、たくましさなんて微塵も感じないけれど、確かに安堵している自分がいる。波は寄せて返して、頭をぐらぐら揺らして。伸びてきた手がオレのぼさぼさな頭をゆるくなでる。なんてことはないインスタントのダシのにおいがして思わず笑いそうになった。涙がこぼれた。今度はあくびのせいなんかじゃなかった。





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