身も心も結ばれて、ちゃんと恋人になってから、初めて逢引きをすることになった。 誘ったのは、兵助だ。 リョウも兵助も一人部屋ではないので、二人だけになる機会を作るのは大変だ。 夜に屋根の上で逢引きするのが精一杯である。 実は、恋人になる前も一緒に町へ外出したことはない。 三郎や勘右衛門は、良く兵助が逢引きなんてことを思い立ったと感心した。 しかし、行き先の候補が豆腐屋巡りだったので、それは止めた。 兵助の提案に、リョウは照れたように承諾した。 「あのね、町の入り口で待ち合わせにしたいな」 「え、一緒にここから出かけるじゃいやなの?」 兵助の表情が曇った。 佐々木家のお家騒動もどきがあったので、二人はほぼ公認の仲だ。隠す必要はない。 「そうじゃないけど、家でもこっちでも、待ち合わせはしたことないでしょう? ……だめ?」 軽く首を傾けて遠慮がちに見上げられて、兵助に否が言えるはずはなかった。 星明りの下のリョウは、今まで以上に見る機会の多くなった女の子の表情をしている。 「ほら、待ち合わせって、恋人っぽいなって。……子供っぽい?」 手を出しそうな意志を理性で抑えていたため、すぐに反応できなかった兵助の様子に、リョウは慌ててそう付け足した。 「ん、良いよ。今回は待ち合わせしよう」 理性の手綱を手放さないよう慎重に、リョウの肩を抱き寄せながら、兵助は答えた。 リョウは、嬉しそうに兵助の腰に抱きついてくるので、そっと頬を寄せる。 勘ちゃん、今日、野宿かろ組の部屋に泊まってくれないかなぁと、兵助はぼんやり考えた。 さすがに屋根の上で、ことに至るわけにはいかない。 「ふふ、くすぐったい。ね、兵助、そうしたらね、行きたい紅屋と甘味処があるの」 これまでは希少価値だった女の子のリョウは、今では大盤振る舞いだが、とにかく可愛い。 「それから、お豆腐屋さんも行こうね」 逢引きの予定をうきうきと話すリョウの双眸を、兵助は正面から覗き込む。 それだけで、リョウには意図が伝わり、ぱっと赤くなると唇を閉じて兵助を見つめ返した。 兵助が顔を近付ければ、ゆっくりとリョウは目を閉じた。 触れ合う唇のやわらかさに、兵助は何度でも安堵する。 ここに居るのはリョウで、自分の恋人だ。 その実感に酔い痴れる。 何度も、何度でも。 「何を着よう?」 休みの前日。 部屋にあるだけの服を並べて、リョウは悩んだ。 「ああ、明日、久々知と逢引きするのでしたわね?」 セツは、呆れたように言った。 耳蛸になるほど繰り返し、逢引きの約束の話を聞かされているのだ、呆れもする。 幼馴染みで、それこそ少女らしからぬところまで知り尽くしているのだ。 兵助は、リョウであればどんな格好でも気にしないだろうに。 リョウだって、初めてのお出かけ逢引きに張り切るような性格には見えない。 恋は、本当に人を変える。 くのいちが身体だけでなく、恋愛の駆け引きも武器にするわけである。 「授業で仕立てた小袖は? まだ一度も来てないでしょう?」 「えー、こんな可愛い色、似合わないよ」 淡い桜色に、大きな赤い花の刺繍が一つ入った小袖だ。 小袖に仕立てることと、刺繍が課題だった。 「新鮮で良いんじゃなぁい?」 「初々しくて、初逢引きにはお似合いかと」 いつの間にか、茜と蝶子も現れ、問題の小袖を広げる。 「でも、そうね、リョウちゃんには少し地味かしら」 「白糸で刺繍足しましょうか?」 「良いわね、セツちゃん。でも、色味が寂しいわね。青糸も足しましょうか」 蝶子とセツは、二人で話し合いながら、裁縫道具を取り出した。 「ちょっ」 「はぁい、リョウちゃんはこっちよぉん」 茜の手が強引に、リョウの顔の向きを変えた。 「お化粧と髪はどうしようかしらぁ?」 「茜先輩、あの小袖に合わせるなら、この紅で艶っぽくするか、こっちの紅で可愛らしくかが良いと思いまーす」 いつの間にか梨花も居る。 「そうねぇ、初々しい可愛らしい雰囲気でまとめるかなぁ?」 「髪は下ろして」 「そうねぇ、ちょっと捻って編んで前に垂らしたらどうかしら?」 「大人っぽくなっちゃいません?」 「あら、リョウちゃんなら、お嬢様っぽくなるくらいでは?」 どこから聞き付けたのか、五六年生のくのたまが続々と現れ、好き勝手に準備を始める。 由良も気付けば、刺繍の仲間入りをしている。 リョウの意見の余地はなかった。 当日。 門の前でかち合ったのでは、意味がないからとリョウは早く忍術学園を出た。 町の入り口、街道沿いの一本松のところが待ち合わせだ。 必ず来るとわかっている相手を待っているのは、楽しかった。 忍術学園の方向から、人影が見えたので、まだ早いけど兵助かとリョウは表情をゆるめた。 しかし、近づくうちに人影が一つでないことに気付いた。 「三郎! と、みんな?」 「よ、リョウ」 兵助以外の仲良し五年生たちだった。 「逢引きとは聞いてるが、随分、めかし込んでるじゃないか」 「もー、三郎はすぐそうやって言うんだから! 佐々木さん、似合ってるよ」 「うん、可愛いよー」 「何て言うか、別人?」 「竹谷、あんた、殴って良い?」 リョウは拳を握って微笑んだ。 「え、や、誉めたつもりたんだけど……」 「教育的指導、必要かな? 主に体罰で」 「何だと、やるか、んの」 「まあ、まあ」 「その辺にしておきなよ」 「佐々木さんだって、せっかくきれいにしてるのに、八左ヱ門相手に暴れる必要ないから」 勘右衛門と雷蔵が、睨み合うリョウと八左ヱ門の間に入った。 三郎はにやにや笑っているだけで、傍観に撤している。 「僕たち、美味しいってきり丸に聞いたうどん屋さんに行くんだ」 「兵助と、楽しんでおいでね」 八左ヱ門を引きずるように、三人は町の方へ去って行った。 「様子見に来ただけ? 暇ねぇ」 佐々木はその後ろ姿を見送りながら、呟いた。 一方、五年生たちは。 「なんつーか、化けたな」 「良家のお嬢様だよな、いや、実際、そうだけどな」 「もう、二人は、何でそんなことばっかり。素直にきれいだった、可愛かったで良いじゃない」 「いやー、兵助の反応が楽しみだよねぇ」 勘右衛門の言葉に同意しようと顔を向けて、雷蔵は首を傾げた。 なぜか、にやにや笑っているからだ。 「雷蔵、あれはくのたまからの牽制だぜ」 三郎も同じように、にやにや笑っている。 「あれだけ隙なく飾られたら、口付け一つだって、ばれるよねぇ」 「だよな。手出しできないよな、あれは」 「ええー、でも、でも、別にそんな、え、だって町で逢引きするのに?」 「ばーか、町だって、探せばいくらでもあるぜ、連れ込み宿」 「で、でも、兵助がそう言うつもりには見えなかったけど」 「それはそうだけどねぇ、理性って脆いよね、はち」 「特に佐々木に関しての兵助はな」 雷蔵は、兵助の無事で平穏な逢引きを祈った。 五年生たちより少し遅れて、待ち合わせより早く、兵助はやってきた。 今度こそ兵助だったので、リョウは満面の笑みを浮かべた。 「兵助、こっち」 「あ、リョウ。もしかして、待たせた?」 「ううん、待ってたかったの」 はにかんたリョウに、兵助は見惚れた。 普段の姿と比べると、リョウは見違えるほどに女らしい格好をしていた。 髪は癖も生かして捻りながらゆるく編んで前に垂らして、大人っぽい。 淡い桜色の小袖は、初めて見るが、左の膝下辺りに赤い大輪の花、裾には白と青の縁取り、右の肩には生地より少し濃い桜色の花が二輪、刺繍されている。 相当、手間をかけた小袖で、新品だろう。 化粧も薄化粧だが、小袖に合わせた甘そうな色をした紅に、どきりとする。 「兵助? やっぱりどこか変?」 リョウの声に我に返って、兵助は首を振った。 「どこも変じゃない。大人っぽくて可愛い」 ふわっとリョウの頬が染まった。 「みんなに、あちこち弄られて、不安だったんだけど、良かった」 「みんな?」 兵助は眉を寄せた。 逢引きのため、兵助のため、装ってくれたのではないのか? 「服とかどうしようと思ってたら、みんなが集まっちゃって。これも刺繍、たくさん足してくれたし、髪もやってくれたし、紅も借り物だし」 それを聞いて、兵助はリョウの姿に目に見えない牽制を感じた。 翻訳するなら、本日はお手つき厳禁、と言ったところか。 あの髪は乱れたら直せないだろうし、紅は借り物だから剥がれたら直せないし、細かな刺繍に圧力を感じる。 別に、二人きりでゆっくりできれば良かったのだが、何だか面白くない。 しかも、今まで見たことがない大人っぽい感じに、挑発的な意図を感じる。 「兵助?」 「あ、うん」 「どうしたの?」 「何でもないよ。行こう」 兵助が手を差し出すと、リョウは嬉しそうに手を繋いだ。 「ん」 それを、兵助は指を絡めるように繋ぎ直した。 「行こう」 「うん」 驚いたような表情をして、それからゆっくり微笑んでリョウは兵助に寄り添った。 リョウの動きが兵助に任されたのがわかった。 「紅屋、行きたいんだっけ? どこの?」 「西側の、ほら、小間物屋の一番端の」 「ん。新しいの買うの?」 「うん、色の任務が増えてきたから、種類増やそうと思って」 その言葉に、兵助は目に見えてむっとした。 「兵助?」 「ん、わかってるけど、それって他の男のために選ぶってこと」 「あー、ごめん。やっぱり、止めようか」 今更ながら失言に気付き、リョウは申し訳なさそうに首を垂れた。 「わかってるって、言っただろ。行こう」 「いやじゃない?」 「一番最初につけたとこ、俺に見せてくれるなら、我慢する」 「うん、わかった。約束ね。紅だけじゃなくて、全部、これからそうする」 きゅっと強くリョウから手を握られたので、握り返す。 そうすれば、見上げてくるリョウの笑顔が見れたので、兵助も笑い返す。 くのたまたちにも、任務やそれ以外でリョウに近寄る男たちにも、負けるものかと思う。 リョウを愛する気持ちなら、百あろうが、千あろうが、絶対に譲らない。 この一つの愛で、充分にリョウを満たしてみせる。 リョウに、兵助の一つの愛よりその他の百の愛なんて、絶対に選ばせない。 楽しそうなリョウの横顔を眺めながら、兵助は強く自分にそう言い聞かせた。 「あーあ、そんなことだろうとは思ってたが、見てられねぇ」 「胸焼けしそう」 「何だよ、佐々木。あんなべったりくっついて、良く歩けるよな」 「はち、それ、嫉妬?」 「ばっか、んなわけないだろ!」 「兵助、あんなに佐々木さんばっかり見てて、忍びの訓練してなかったら、まともに歩けないよねぇ」 「まったく、あんなに見つめられて、リョウは気にならないのか?」 うどんを食べた後、二人を尾行していた四人は、紅屋に着く前に止めた。 はっきり言って、とても見てられない。 くっついて歩いているとは言っても、手を繋いでいるだけなのに、桃色空気と言うか幸せな空気が漂っている。 「しかし、リョウ、あいつ、本気で兵助相手だと、別人だな。女の子じゃん」 三郎が、笑う。 二人の関係を取り結んだのは、結局のところ、三郎だから、口では何と言っても満足なのだろう。 「八左ヱ門はお役ご免かな?」 勘右衛門が、からかうように八左ヱ門に言った。 「な、最初から友達で、それだけだろーが! 何も変わらねぇよ」 「まあ、好きな子の前では格好つけたいだろうし、まだ、はちの役目はなくならないんじゃない?」 「佐々木の身代わりかよ」 雷蔵にまで言われて、八左ヱ門はがっくり肩を落とした。 こうして、初めて逢引きは穏やかに過ぎていった。 しかし、その後も何度か、くのたまたちの悪戯に兵助は晒されることになる。 兵助から自重が失われるまで、あと少し。 祝・10000hit! 20100919 -------------------------- 「深森」の水輪さんより、10000HITのお祝いをいただきました!深森様にて連載の『ありのみの花簪』の番外編をリクエストさせていただきました。大好きなんです…!本当にありがとうございました。大切に飾らせていただきます! |