「おい、蔵からこれと同じものを持って来い」

「リョウ、お茶」

「なにボサっとしてるんだ、働け」

「………だああああ!!!!」

箒の柄を折れんばかりの勢いで握り締め、言葉にならない苛立ちを指先に込めて叫ぶ。まるで小姑のように五月蝿い兵助の声を背後に聞きながら、ギッと後ろを振り返った。

「うるっさいわこの薄情者!働いてるだろうがお前のそのクソでかい目ん玉は節穴か!!!」

「それが雇い主への口の利き方か」

「はいはいそりゃ悪うございました大黒屋の若旦那様!大体雇い主も何も、私はまだ納得なんかしてませんから!」

フンと鼻息も荒くそう返してそっぽを向く。私が借金の片に両親に売られたとか言う理由でここへ勤め始めて三日が経った。納得は未だにできていない。けれども借金の証文とかいう決定的な証拠を持ち出されてしまっては抗うことも出来ない。この八百屋町で廻船問屋といえば荷の運搬や売買、保管・管理・諸税の徴収などなどそれはもう幅広い分野で活躍する商人を指し示す。しかもこの大黒屋はかの会津藩御用達ときている。江戸の町でも一・二を争うほどの大店の息子、久々知兵助。しかもこの廻船問屋では副業として金貸しが営まれている。大いに繁盛しているのだろう。まさかあの気弱でちっさい男の子がそんなボンボンだとは露知らず。世の中って不公平だ。大きく溜息を吐いて、ザッザッと箒を動かす。

(それにしても…)

本当なのだろうか、私の両親は私を借金の片に売ったと兵助は言った。私にはそんなことちっとも実感も沸かなかったし、そもそも信じられなかった。貧しいながらも真面目な親だった。博打にも手を出さないで毎日地道に生きていた。一体何がどうして借金などという自体に陥ってしまったのか。私は少しも事情を理解できないままここで過ごしている。

兵助は、何か知っているのだろうか

ふとそんな疑問が胸を過ぎった。金貸し側なのだから何か少しでも事情を知っていたりはしないだろうか。そう思ったが最後、気になって気になって堪らなくなってきてしまった。元来落ち着きの無い性格の私がこんなところで大人しく箒で掃除しているというのもおかしな話である。そもそも納得していないんじゃなかったのか私は。どうして言いなりになっているのだろう。ふつふつと何だか言い知れぬ怒りが沸き怒る。そうだ、聞きに行こう。絶対あいつは何かを知っている。こんなところで大人しく掃除なんかしている場合じゃない。

カラン、と箒を投げ出しその場から駆け出す。このだだっ広い屋敷で兵助の姿を探し回る。いない、ここにもいない。見つからない。兵助は、昔から鬼事は苦手だったけれど隠れ鬼だけは得意だった。どこを探しても見つけられなくて、でも、そのうち寂しくなったのか自分からひょっこり見つかりに出てくる。そんな奴だった。それなのに、久々に会ったあいつはまるで別人だった。瞳にも顔にも全然感情が見えない。何を考えてるのか分からない。笑いもしない、泣きもしない。私はひどくそれに寂しさを感じた。ああもう、私のことなど忘れてしまったのだろうか。今はもう、あいつにとって私は…ただの借金のカタに売られた一人の貧乏な女にしか思えないのだろうか。

「…ふざけないでよ…」

例えば短い時間だったとしても、あいつを引っ張りまわして共に過ごした時間があったことは決して嘘じゃない。あいつが私の後ろを必死で付いてくるのもたどたどしい話し方も、うっすら笑う下手くそな笑顔も、私はちゃんと覚えてる。だからこそ、あんな今の兵助を私は私の知ってる兵助と思えない。何があったのか必ず問い詰めてやる。私の両親に何があったのかも、そして、兵助が変わってしまった理由も。

今までほとんど立ち入ったことのなかった屋敷の奥へと足を踏み入れる。北側にあるせいか屋敷の中でもほとんど太陽の差さないそこは何だか僅かに寒い気もする。少し足音を忍ばせながらほとんど物音のしないその廊下を恐る恐る進む。さっきとある部屋で拝借した何かよく分からない壷を両手に抱えながら、私は耳を澄ました。とりあえず誰かに遭遇したらこの壷を兵助に届けるように申し付けられたとでも言って誤魔化せばいい。一介の下働きの女中がこんなところをウロウロしていて怪しまれても面倒だ。そう心の中で何度も自分に言い聞かせながら、板張りの長い廊下を進む。すると、どこかから微かに話し声のようにボソボソとした声が耳に届いた。低いその声は男のもののように聞こえる。もしかして兵助だろうか?その声の方へと爪先を滑らせるように近付いて行く。ボソボソとした低い囁きが徐々に言葉として輪郭を伴っていく。何故だか、心の臓が破裂しそうなほどに脈打っていた。自分の心音に掻き消えてしまいそうなほど小さいその声を必死で拾い上げようと、神経を耳に集中させる。やがて見えた一つの部屋から、二人の男の声が漏れ聞こえた。

「…それにしても会津藩様々ってな、最近は黒字続きで嬉しいことですな」

「そうさな、御用達の銘を頂いてから商売繁盛で売り上げも右肩上がり、有難てェ有難てェ」

「あとは旦那様が抜け荷なんてお上に逆らうような恐ろしい真似さえしてくれなきゃいいですが」

「さぁな、人間ってのは欲深ぇもんさ。商売繁盛して黒字が続きゃもっともっとと利益を求める」

「怖や怖や」

カラカラと笑う声が部屋に響き渡る。どうやらここにいるのは兵助ではないらしい。話の内容から察するに小番頭と手代か…、そうとなればここに用は無い。抜け荷はこの江戸において死罪となるほどの重罪だが、この大黒屋がどうなろうと私には知ったことではない。さっさと壷を抱えて踵を返そうとしたその時だった。

「そういえば、兵助の若旦那…借金の肩代わりなんて大層な真似しちまってたが、あれは旦那様はご存知なんで?」

ピタリと足を止める。借金の肩代わり?一体何のことだ…、引き返しかけた足先を再び部屋へ向ける。もしかして、私のことだろうか。僅かに汗ばむ掌で壷を抱えなおし、再び耳を欹てた。

「ああ、あのどっかの町娘を下働きとして雇ったってんだろ?何でもその両親がどっかの悪徳金貸しからこさえた借金肩代わりして、娘がその金貸しに売り飛ばされんのを坊ちゃんが助けたって、大番頭が言ってたな」

「泣かせますね兵助の若旦那…、あっしは小さい頃から坊ちゃんを見てますがね、日に日に何考えてるか分かんなくなってきちまって心配してましたが、いいところもあるもんだ。しかしその娘と坊ちゃんの間に一体何の繋がりがあるってんで?」

「なんでも、小さい頃の友人だそうでさァ。友人の危機に金も惜しまず手を差し伸べる、粋な江戸っ子ってのァ若旦那みたいなのを言うのさ」

二人の声が、何だか遠く聞こえた。借金の肩代わり、私を助けた、信じられない言葉の数々が頭の中をぐるぐると回っている。どういうことか全然理解できない。だって、あいつは、兵助は、そんなこと一言も私には言わなかった。ただ、一言。「今日から俺の店で働け」ただ、それだけだ。だから、私はそんなこと知りもしなかったし、ずっと納得だって、できなかった。震える指先で抱え込んだ壷をぎゅっと握る。息が詰まりそうで、どうしようもなかった。けれど、それなら…一体私の両親はどうして姿を消したの。

(兵助…!)

今度こそ、その場を駆け出して来た道を戻る。誰もいない板張りの廊下を私の足音が響き渡った。弾んだ呼吸が口から零れ落ちる。どうして、探していない時にはいつもひょっこり顔を出すくせに。働く私の後ろに張り付くみたいにあれこれ口煩く言ってくるくせに、どうして私が会いたい時にはそこにいてくれないのだ。昔からそうだ、自分から引っ付いてくるくせに、私が振り返ったその時には、もう兵助はいなくなっていたのだから。

「…あの馬鹿男…、昔から何考えてるのか…分かんないっつーの!!」

邪魔くさい抱えていた壷をそこらの居間へと放置し、足元ではたはたと翻る着物の裾に見えない振りを決め込む。隠れ鬼上等、どれだけ隠れていようがこの私に見つけられないわけがない。私を助けただとか、そんなの、本人の口からちゃんと真実を聞かなきゃ分からない。だから私は、今あんたに会いたい。出て来い、出て来い兵助。


「兵助ぇぇぇー!!!!!出て来ーい!!!」





地獄にもはいるらしい






あんたがまだ、私のことを友だと思ってくれているのならば。


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