寒い。 寒くて、熱い。 作兵衛は自分の呻き声を遠くで聞いた。 途中で、何度かリョウが名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。 最初は必死に、途中からは疲れたように。 「作兵衛」 そして、今度は静かに優しく呼ばれた。 答えようとしたが、作兵衛の喉からは呻き声しか聞こえない。 「ちょっと待って」 その言葉から間があって、水が口内に流れ込んできた。 それを必死で飲み下しながら、ああ、喉が乾いていたのだと作兵衛は悟った。 「作兵衛」 「……、リョウ?」 視界が開けたと思ったら、リョウの顔と土の天井が見えた。 「って悪ぃ」 自分の頭がリョウの膝の上だとすぐに気づいて、作兵衛は跳ね起きようとして、痛みに再びその膝に沈んだ。 「たんこぶになってるから、大事はないと思う。でも、頭を打ったから、急に動かない方が良い」 そう話しかけながら、リョウの手が作兵衛の額を撫でるように前髪を退けた。 都合の良い夢なんじゃないかと、まだ夢を見ているのではないかと作兵衛は思った。 リョウの口調は硬いが、声音はいつもより優しいし、膝枕だ。 「吐き気とかはない?」 「ああ、平気だ」 答えた作兵衛の声は、かすれていた。 「もう少し、水飲む?」 「ああ」 返事をしながら、今度はゆっくりと起き上がる。 リョウの膝が名残惜しかったのは事実だが、夢心地より状況を把握するのが優先だった。 「それで、結局、何があって、どうなった?」 「上流ではもう雨が降ってたみたいで、濁流があったのは?」 「覚えてる」 「それで、作兵衛は私を引っ張り上げてくれたんだけど、濁流に乗った大木が後頭部に直撃して意識なかった」 「あー、悪かった」 頭を抱えそうになりながら、作兵衛は謝った。 助けようとしたのに助けられて、格好悪い。 「ううん、作兵衛、それでもちゃんと私と自分を岸に引き上げた。倒れ込んでだけど。そのおかげで助かった。ありがとう」 「その後は?」 「ここまで、作兵衛引きずってきたんだけど」 そこで、リョウは気まずそうに視線を逸らした。 「火は熾したし、服は濡れてるから脱がした方が良いとは思ったんだけど、ちょっと体格差が大き過ぎて脱がせられなかった」 確かに、傍には焚き火がある。 多少臭いがするのは、木が湿っているからだろう。 「私も作兵衛も、手持ちは全部濡れてるから拭くものもないし、干すから、作兵衛、脱いで」 リョウの口調が速かったのは、作兵衛の気のせいではないだろう。 作兵衛も確かに濡れた服は気持ち悪いし、体温を奪うのは事実なので、素直に上を脱いだ。 「下も!」 そう言われて、作兵衛はためらった。 袴だって濡れているので、その必要性はわかる、それは認める。 しかし、ここで脱げとそう言われても、はい、そうですかと脱ぐのは抵抗があった。 いくら必要だからと言っても、好きな相手と二人きりの状況でほぼ全裸になれと。 「早くっ」 強い口調で急かされて、作兵衛は仕方なく袴も脱いで渡した。 さすがにふんどしも脱げと言われなかったので、安心した。 「火の方へ行って」 顔を作兵衛から逸らすようにしながら、リョウにそう指示され、作兵衛はさっさと火の傍に座った。 座るのが、一番肌が空気に触れる面積は少ない。 そして、火の傍は確かにあたたかいが、背中側が寒いのが難点だった。 気づけば、作兵衛の身体は悪寒に震えていた。 「はい、お湯。飲んで」 水の入った竹筒に、火の中から取り出した石を入れてリョウが突き出した。 リョウも視線のやる場所に困っているようだ。 そう思ってから、作兵衛ははたと気づいた。 作兵衛と同じように、リョウも濡れたはずだ。 「……言いにくいんだが。リョウ、おまえも脱いだ方が良いんじゃねぇのか?」 「わかってます! 作兵衛の世話が終わったら、脱ぐし、干す!」 唇を尖らせ、ぷいっと顔を背けて、リョウは作兵衛の袴を片手に表に向かい、しばらくして戻ってきた。 「外に何かあったか?」 「一応、仕掛けた罠の確認と、引きずったから袴は泥だらけだから、簡単に洗ってきただけ」 そのままリョウの動きを追うと、そこには、作兵衛の着ていた服が縄に干してある。 袴も縄にかけると、リョウが作兵衛を睨んだ。 「……わかってると思うけど、振り向いたら殴る」 「了解」 わかってるから、頼むから、これから脱ぎますと予告するようなことを言わないで欲しい。 熱湯ではないが、充分にあたたかい水を飲みながら、作兵衛は自分の耳が敏感に背後の音を拾うのを誤魔化せなかった。 衣擦れの音は、水を含んで重く、そして響く。 水を絞る音が聞こえれば、つまり、リョウはその分、脱いでいると言うことだ。 縄に布を滑らせる音がして、一度、リョウの気配が静止して、ひたひたと足音が近づいてきた。 ちょっと待て。 作兵衛は思考が凍った。 それで、服を脱いだリョウはどうするのだ? 暖をとれるのは、作兵衛の前にある火だけだ。 向かい合って座るのも、隣り合って座るのも、どうにも作兵衛の目と下半身に都合が悪い。 せめて乾いた手拭いの一つでも残っていれば良かったのだが。 どうする、どうなる、どうすれば。 「絶対に振り向かないでよ」 すぐ後ろでリョウの声が響いて、そして、あたたかくてやわらかなものが背中に押し当てられた。 「…………っ」 大声で叫ばなかったのを、だれか褒めて欲しい。 状況が状況だが、惚れた女に、お互い裸に近い状態で密着するほどに抱きつかれて、平静でいられるはずがなかった。 それどころか、脚が作兵衛の脚に絡んできた。 「ちょ、おまっ」 「黙って。私だって、好きでこんなことしてるわけじゃない」 ぴしゃりと硬い声音でリョウは答えた。 「これが一番、あったかいんだから仕方ないじゃない」 続いて手が前に回ってきて、作兵衛の手を包み込んだ。 「作兵衛の方が冷たい」 その声が不意に優しくなったので、勘違いしそうになる。 「あ、ああ」 もつれる舌で返事をしながらも、作兵衛の五感はリョウの存在を感じている。 一応、尻の辺りには布の感触があるので、リョウもさすがに腰巻は巻いたままらしい。 しかし、背中のやや下辺りに当たるやわらかい感触を、これを、どうにかして欲しい。 リョウの手が冷えた作兵衛の手をさするが、作兵衛の頭には血が上っていた。 顔だけが異常に熱い。 これだけ密着しているのだ。 作兵衛の鼓動の速さなど、リョウにも丸わかりだと思うと、何とも言えない気持ちになる。 勘弁してくれ。 状況だけ見たなら、こんな美味しい場面はそう滅多にはないに違いない。 相手によっては、暖をとると言う名目でこのまま抱いてしまっても、合意が得られるところだ。 だが、しかし。 結局は作兵衛の片想いでしかないし、リョウには許婚がいると言うし、くのいち志望じゃないから色の実技も受けていないし。 「作兵衛、大丈夫? 風邪とかひかないでよ。まだ演習、日程も行程も半分だから」 「…………」 考えたらだめだ、考えたらだめだ、そうだ、これはあれだ、しんべヱの腹だとでも思え。 しかし、視界に入る作兵衛の両手をあたためようとする手も、絡められた色の白く細い脚も、どう頑張ってもしんべヱのものには変換できない。 しんべヱじゃなかったら、喜三太、あるいは二年生の彦太郎、いや、一年生の五郎……もこの白さと細さは無理だ。 そうすると、あれだ、孫兵のとこに青大将が居たはずだ。 あれなら、こんな感じに絡まって……絡まって。 そこで、かぁぁと頭に再度、血が上った。 無理だ、こんなもの、我慢できるか。 作兵衛は背後から包み込むように回ったリョウの腕を振り解き、上半身を捻り、驚いた表情のリョウをそのまま抱き込んだ。 重心が移動して、二人はそのまま地面に倒れ込んだ。 「ちょっ、何を考えてるの、作兵衛!」 そう上がるはずだった声は、けれど作兵衛の唇で塞がれて、リョウの口から出ることはなかった。 自分も寒かったし、作兵衛も寒そうだったので、意を決して、リョウは作兵衛の背後に座った。 触れたら思ってたよりあたたかくて、自分も冷えていたことがわかって、羞恥心よりも暖をとることを優先したのは、きっと間違っていない。 作兵衛の背中は、密着させたリョウの身体と同じくらいの温度で、脚は作兵衛の方があたたかかったが、手はリョウの方があたたかかった。 冷たい指先がかわいそうだったので、自分の熱を分けようと作兵衛の両手を握った。 作兵衛の心音が速くて、でも、自分の心音も負けないくらい速くて、それが恥ずかしくてばれないように、わざと強い口調で演習のことを口にしたのだ。 けれど、作兵衛は黙ったままで、何か一言くらい返せと思った瞬間だった。 腕を振り解かれて、作兵衛が振り返って、そのまま抱き締められて、二人で地面に倒れ込んだ。 振り返るなと、あれだけ念を押したのに! 恥ずかしさに頬が熱くなり、怒りで頭に血が上った。 異性の前で裸に近い状態でいるのは、リョウは初めてだった。 親が決めた許婚はいる。 けれど、リョウは彼が大嫌いだった。 目上にはへらへらと調子の良いことを言うくせに、目下の者には情をかけない男だった。 彼がリョウの笑顔をとても褒めたので、二度と笑うまいと思った。 なるべく家には帰りたくないし、武術の鍛錬になるからと無理を通して忍術学園に礼儀作法を学び終わった後も残った。 時間を延ばせるだけで、あいつが許婚で嫁がなければいけない事実も変わらないが、せめてもの抵抗だった。 そんなわけで、誘拐されそうになったことがあるくらいで、異性と手以外の肌が触れ合うことはなかった。 だれにも、こんなに近づくことを許したことはない。 接吻だって、初めてだった。 処置としての口移しは授業でも教わったし、実技もやったことがある。 それに、ついさっき、作兵衛に水を口移しで与えたばかりだ。 けれども、処置としてするのとはまったく違った。 作兵衛の唇はリョウの唇を完全に覆ってしまい、息ができない。 リョウの唇を作兵衛の舌が撫でると、食い縛った歯から力が抜けそうになる。 どうして、どうして、ねえ、どうして。 リョウは混乱して、ただその言葉だけが頭の中で繰り返された。 手は作兵衛と自分の身体の間で抵抗に使えないし、脚は絡まったままでやはり抵抗できない。 リョウには、作兵衛に不服を訴える手段がなかった。 始まりと同じように突然、唇が少し離れて隙間ができたので、リョウの口は酸素を求めて開いた。 本当は文句を言いたかったのだが、身体はそれよりも呼吸を優先した。 そして、充分に酸素を得る前に、再び作兵衛の唇が重なった。 今度は唇を割って、舌が侵入した。 驚いて引いたリョウの舌を探り出して、強く絡んで吸われる。 「……っん、んん」 ようやく首を振ることを思い出して、試みたが張り付いた唇も、絡みつく舌も離れなかった。 リョウは意を決して、恐る恐る作兵衛の舌に歯を立てた。 ← → |