忍術学園五年ろ組、用具委員委員長代理、富松作兵衛。
 彼は近頃、だれがどう見てもお年頃なのだった。
「わかりやすい」
 の一言が、周囲の忍たま五年生の意見である。
 つまり、簡単に言うと恋をしてる、それも片想いなのだ。
 そうなると気になるのは、当然、相手の存在だ。
 忍たまと言う立場上、相手は実家関係か、忍術学園の近くの町の住人か、そうでなければくのたまの三択が有力である。
 もちろん、わかりやすいと言われるくらいだから、だれもが目にする機会のある相手と言うことで、つまり、くのたまだった。

「作兵衛には、高嶺の花なんじゃないのぉ」
 噂と情報収集なら、内容はともかく、収集力は侮れない同学年のくのたま、栗子はそう評する。

 同じくのたまにも「高嶺の花」と評される彼女は、今、まさに作兵衛の傍でくないを振るって、飛んできた短弓の矢を叩き落したところである。
「作兵衛、そっちはどう?」
 続投がないことを確認してから身体を寄せてきたので、作兵衛は狂いそうになった手元を慌てて修正した。
「ちょっと待て。もうすぐ解除できる」
「うん、任せた」
 生真面目な表情で頷いて、作兵衛の背後、触れそうで触れない距離に屈みこんで、彼女は警戒態勢になった。
「リョウ。動かねぇなら、周囲の警戒は必要ないだろ。少し、休んで良いぞ」
「わかってるけど、何かしてないと落ち着かない」
 二人は現在、裏裏裏裏裏山の山中に居た。
 忍たまくのたま混合の演習で、くじで選ばれた相手と組んで、裏裏裏裏裏山の麓から山頂まで踏破し、反対側の麓まで下りると言う内容である。期限は二日間。
 しかし、ただの山登りが二日間の演習になるわけがない。
 裏裏裏裏裏山には、四日前に三年生が、そして二日前に六年生が、実技で仕掛けた罠が山盛りなのだ。
 問題の学年には、六年生の喜八郎、三年生の兵太夫、三次郎が在籍する。そして、かれらが居ると盲点になりがちだが伝七も作法委員である。
 東西南北にそれぞれ分けられて、作兵衛たちは二人一組で裏裏裏裏裏山へと挑んだ。
 裏裏山くらいまでなら、日常的に多くの忍たまが足を踏み入れるが、裏裏裏裏裏山となると遠方へ出かけるときの通り道に利用するくらいで、地理に詳しいものも少ない。

 作兵衛は、忍たま同士組むことになった者たちの歓声や嘆く声の響く中で、組む相手がリョウだとわかったとき、息が止まるかと思った。
 同じ学年のくのたまだ。
 何度も顔を合わせたことがあるし、下級生の頃には当然、ひどい目に合わされたこともある。
 それが特別な感情になったのが明確にいつからなのか、作兵衛は覚えていない。
 名前で呼び合う程度には、互いを見知っている。
 ただ、気づいたら存在を追わずにはいられなくなり、目が合えば落ち着かないし、近づくと緊張するようになっていた。
 そして、それが恋愛感情だと気づいたときには、周囲にはばればれだった。
「遅い春だなー」
「作兵衛だしな」
 四年生の後半辺りから女遊びを繰り返すようになった三之助と、修行のために忍術学園を出る機会の増えた左門の迷子二人は、作兵衛にそう言った。
 作兵衛としては、切実に、その行き帰りに迷子になるのは止めて欲しいのだが。
「くのたまだもんねぇ、ちょっと大変だね」
「ご愁傷様」
 数馬と藤内はそう言って苦笑して、孫兵は黙って作兵衛の肩を叩いた。

 栗子も含めて、作兵衛の恋路に否定的あるいは悲観的な理由は、リョウの事情にあった。
 まず、リョウは武家の娘である。
 五年生になっても在籍しているが、くのいちになるためではないと言う。
 良家のお嬢様なので、許婚も存在するらしい。
 この時点で作兵衛の恋は、一方通行が決定だ。
 リョウ自身について言うならば、頭の回転も記憶力も悪くはないが、良く言えば生真面目、悪く言えば頑固で融通が利かない上、少々気性が激しいところがある。
 しかし、外見はそれとは正反対に、愛らしく整っているが童顔で小柄。そう、この年になってもうっかり美少女と表現したくなるような容貌なのだ。
 それに騙されて痛い目にあった男の数知れず、くのいちにならないことを惜しんだ者は教師だけでなく、先輩たちも同様だった。
 そして、彼女はいつからか笑うことを忘れ、表情から感情表現が薄くなり、鉄面皮の異名を持つ。
 その理由は、栗子ですら知らない。

 作兵衛も、リョウをどう扱うべきか、正直悩む。
 女の子として扱うには鉄面皮と気性が邪魔をするし、同級のくのたまとして接するには鼓動が邪魔をする。
 一緒に組めるのが純粋に、不純な動機で嬉しいのも、事実だ。
 それでも、授業の一環の演習なので、くのたまとして接するのが正しい。
 演習だとわかっているが、それでもやっぱり、動悸はささいなことで激しくなる。
 リョウは実家でも武道をたしなみとして学んでいたということで、身体能力は高い方だ。
 もちろん、持久力は忍たまには及ばないのだが、手先が器用なのは作兵衛で、道具を扱うのも作兵衛の方が慣れてるので、二人の役目は自然と罠を防ぐのがリョウ、解除が作兵衛になった。

 今も、作兵衛は面倒な罠を解除しているところである。
 この演習は、罠をいくつ発動させたか、解除したかも評価対象になるので、わざわざ解除しているのである。
 この罠と連動していた部分は、リョウが先に発動させたので、万が一、解除を間違っても二人に被害はない。
 きつく結われた縄の間に釘を入れて解きながら、作兵衛はリョウの気配を背中に感じ、同時に急かされないことに安心した。
 これが栗子辺りだったら、まだか、遅い、無能などなど文句の連発に決まっている。
 二人とも話さないので沈黙に満ちているが、それもリョウが周囲の警戒をしているおかげで、気まずくならない。
 ただ油断すると、触れそうで触れない距離に、手元が危うくなるだけだ。
「っし、解除終了」
「お疲れさま」
 表情はほとんど動かないが、くのたまでこの場面で労いの言葉をかけるやつが、何人居るんだ。
 恋愛感情を差し引いても、作兵衛の表情はゆるんだ。
「ここで時間をかけ過ぎたな。次、行くか」
「ねえ、作兵衛、このまま山頂目指す? それとも、その前に休憩する?」
「休憩が必要か?」
 体力の違いも気を配っていたつもりだが、甘かったかと一瞬落ち込みそうになった作兵衛に、リョウが短く答えた。
「一雨来そう」
 空を見上げれば、確かに黒い雲が風にのって近づいていた。
 夕立にはまだ早い時間だが、雨の中を罠を避けたり解除しながら進むのは、不利だ。
「この辺に雨宿りできそうなとこなんか、あったか?」
 簡略地図はリョウが持っているので、作兵衛は尋ねた。
「沢の向こうが崖。横穴、ありそうじゃない?」
 確かに自主鍛錬でここまで来る者が居れば、一夜のために休憩場所として穴を掘っているだろう。
 可能性は高かった。
「んじゃ、雨の前にその沢を渡っちまうか」
「了解」
 二人は、木の上に上ると枝を伝って沢の方へと向かった。
 地面を歩くとどんな罠があるかわからないので、体力は使うが急いで移動するならこの方が安全なのだ。

 沢にはすぐに着いた。
 リョウが川ではなく沢と言うだけあり、かなりの急流だ。
「おい、リョウ、おまえ、ここ、渡れるか?」
 作兵衛はその流れの速さに眉をしかめ、リョウに声をかけた。
「一人なら無理だけど、作兵衛が居るなら平気でしょ」
 リョウは淡々と答えた。
「あ?」
「縄を持って作兵衛が渡って、それを伝って渡るなら、いけると思う」
「あー、そうですか」
 こんなところは、やっぱりリョウもくのたまなのである。
 だが、頼られていると考え直せば、悪い気もしない。
 現実は見ない振りをして、作兵衛は気合を入れて袴を膝まで捲り上げた。
「先に行くぞ」
「ん」
「それから、これとこれは、俺が持っていく」
 リョウの持ち物の中でも重そうなものを選んで取り上げると、一瞬、不満そうな表情を見せたが、リョウは頷いた。
 重いと言っても、水の入った竹筒と作兵衛の携帯用具箱だが。
 水は冷たく、流れは速く激しかったし、川底は大小の石と砂利で歩きにくかった。
 渡り切ってから空を見上げれば、黒い雲は空の半分を覆って、ちらちらと稲光が見えた。
「っち」
 舌打ちしてから、作兵衛は持ち物を下ろして、縄をしっかりと握った。
「気をつけろよ」
「当たり前」
 激しいせせらぎの向こうでも、大きくないその声は届いた。
 作兵衛と同じように袴の裾を上げて、リョウは縄をしっかり握って踏み出した。
 時折、流れや川底に足を取られそうになりながら、リョウは作兵衛に近づいてくる。
 作兵衛も縄を握って引いてやりながら、緊張していた。
 互いに縄を握っているから、最悪、リョウが転んでも流されて見失うことはない。
 けれど、演習の時間の損失になるし、体力も消耗するだろう。
 リョウは慎重だった。
 しかし、二人の距離があと少し、手の届きそうなところまで近づいたとき、大きな水の流れがリョウを襲い、転倒した。
「っな」
 大量の濁流だった。
 上流ではすでに雨が降っているのだ。
 リョウの姿は見えないが、縄がぴんと張っているので、そこに居ることはわかる。
 作兵衛は水の中に一歩踏み出し、しっかり踏ん張ってから、片手を縄の先の方へと伸ばした。
「リョウ! しっかりしろ」
 手の先に体温を感じて、作兵衛はとりあえず掴んで引き寄せた。
「ごほっ、こほっ」
「水は飲まなかったか」
「っは、何とか」
 作兵衛の腕の中で咳き込みながら、そう答えて顔を上げ、リョウの顔色がさっと悪くなった。
「――作兵衛、後ろ!」
 その声と同時に、がつんと衝撃を感じて作兵衛の視界が真っ白になり、そして暗くなった。
「作兵衛! 作兵衛!」
 自分を呼ぶリョウの焦ったような声が聞こえる。
 その声も遠くなって、意識が沈んでいくのが作兵衛はわかったが、どうにもできなかった。
 ただ、腕の中の存在を、手放してはいけないと抱き直したつもりだが、実現できたかどうかは、わからなかった。



 雨が頬を打つのが邪魔で、リョウは軽く頭を降った。
 身体に張り付く服も気持ち悪いし、不自由だ。
 背中側から脇へ両手を入れ、作兵衛を引きずって運んでいるのだが、リョウには重かった。
 作兵衛は忍たまでも大きい方で、リョウは特に小柄なのだから、仕方がないことだ。
 けれど、濁流の中で自分を守った腕を、リョウは覚えている。
 あそこで前に踏み出さなければ、作兵衛が濁流に押し流されてきた大木に後頭部を打たれることもなかった。
 意識が朦朧としながらも、作兵衛はリョウを離そうとはしなかったし、何とか陸まで、身体を倒すようにだが水の中からリョウと自分を引き上げたのだ。
 濁流に飲まれて、作兵衛もリョウも全身びしょぬれの上に、とうとう、雨が降り出した。
 頬を打つ雨滴は大きく、冷たく、痛い。
 それでも、作兵衛をつれてどこか火を熾せる場所に移動しなければならなかった。
 木々の間に入れば、雨はいくらか緩和されたが、自分と作兵衛の身体が冷えていくのはわかった。
 雷が近づいてくるのもわかるので、木の下も安全とは言い難い。
 予定通りに、横穴を早く見つけなければいけなかった。
「……っう」
 時折、作兵衛は呻くので声をかけてみるが、まだ意識が戻りそうにない。
「っんもう!」
 崩れそうな膝を叱咤して、リョウは作兵衛を引きずった。
 最低限の罠の存在を確認しながらのその移動は、リョウの心身を激しく消耗した。
 それでも、今、作兵衛はリョウの相棒で、命の恩人である。
 作兵衛を何度も抱き直しながら、雷の音が近くなって本格的にまずいと考え始めたとき、リョウはやっとのことで、目当てのものを見つけた。
 ここで訓練した忍たまかくのたまのだれかが掘ったらしい、崖に掘られた横穴。
「あった!」
 表情は薄いが、喜色を含んだ声でそう呟いて、リョウは力を振り絞って、作兵衛を引きずり込んだ。




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