"逢魔が時"

陽がほとんど山並みに隠れ、鬱蒼とした森に夜が迫る。林の間を薄ぼんやりと光るまるで灯火のようなそれは、狐火と呼ばれる妖しの見せる妖術。魅入れば忽ち夢か現か分からないうちにこちらへ誘われてしまう。そんな狐火の薄青い輝きをどこかぼんやりと見つめていれば、突然目蓋を手で覆われた。

「!?」

「リョウ、狐火はそんな見つめちゃ駄目だ。あっちに引き寄せられる」

目を覆う手を外しながら声の主を振り返れば、兵助君が肩を竦めていた。山伏の格好と高下駄、そして背中から伸びる真っ黒な烏の羽根。人間に化けている時よりも長い癖のある黒髪が風に揺れた。やはり兵助君はこっちの姿の方がなんだかしっくりくる、なんてぼーっと兵助君を見つめていれば、ずいっと顔を覗き込まれた。

「まさか、もう引き寄せられたとか言わないよな」

「い、言わない言わない!ごめん、ちょっとぼーっとしてただけだから!」

「それならいいけど…今日は俺からあんまり離れないようにね」

いい?と首を傾げる兵助君にコクコクと首を必死に縦に振る。それに満足したのか、にこりと綺麗な微笑みを浮かべると、ゆっくり額にキスを落とした。

「兵助君!?」

「ん、リョウが可愛くてつい」

「か…かわ…?!」

真っ赤になる私を楽しむように、兵助君はこんな風に時々唐突に触れてくる。そんな彼は、幼い頃に一悶着ありうっかり今では私の婚約者。人間と妖怪、当然これは秘密の関係である。

そして、ここは妖怪達の住む通称"山神様の小山"と呼ばれる神域。今日はここで年に一度の妖怪達の祭りがあるのだそうだ。




「ん?おー来た来た!兵助ー!リョウー!」

鵺である竹谷さんがぶんぶんと私達へ向けて大きく手を降っている。兵助君は社の境内へ降り立つと、ゆっくり抱えていた私を地面へと下ろした。

(あ…相変わらずジェットコースター…!)

途端にガクリとへたり込む私を、竹谷さんが後ろからガシリと支えた。

「うぉっと!大丈夫かぁ?」

「あ、ご…ごめんね!膝の力が抜けちゃって、」

「兵助〜お前また加減も知らずに超特急で飛び回ったんだろ?」

「ごめんリョウ、でもそろそろハチ離れて」

「おっと悪ぃ悪ぃ」

カラカラ笑いながら、そのまま兵助君に押し付けられ私は顔面から兵助君の胸に激突する。ヒリヒリ痛む鼻を押さえながら、竹谷さんを見返せば蛇の尾をゆらゆら揺らしながら境内を奥へと進んで行ってしまっていた。ちくしょう鼻が痛い。

「兵助君も、変なこと言わないの!」

「変なこと?」

「もういいです…」

本気で分かってなさそうな兵助君に深く溜め息が零れるが、最早諦めた方が早そうだ。

「ん、行こうリョウ。みんな待ってる」

「…うん」

兵助君に手を引かれ、妖し達の宴へと私は足を進めた。




「あ、久しぶりだねリョウ」

「お前ら相変わらずベタベタしてんなぁ」

「こんばんは、こっち座りなよ」

月のお祭りとは聞いていたが、社の中はまるでこの世のものとは思えない光景が広がっていた。あっちを見てもこっちを見ても異形ばかり。目の前を小さな何かが飛び交っていくのに目を白黒させていれば、聞き覚えのある声が私達を呼んだ。

「尾浜さんと三郎さんと雷蔵さん、」

「あはは当たり、どうすごいでしょ?これが妖怪の祭りだよ」

「…尾浜さん、また読んだでしょ」

「あれ、バレちゃった」

へらりと笑う覚の尾浜さんへじと目を向ければ、まぁまぁと宥められつつ5人の輪の中へと兵助君と共に引き込まれる。

「はい、これどうぞ。僕が作ったお酒」

手渡された杯には琥珀色のお酒がなみなみと注がれており、まるで花のようなとても良い香りがする。思わず手を伸ばしかけるが、だが、ちょっと待った。

「私未成年なんで…」

「みせいねん?」

「お、お酒は二十歳になってから!」

「兵助、どういう意味だ?」

「人間の世界の法律」

淡々と傍らの兵助君が首を傾げた竹谷さんへと返すが、今度は「ほうりつって何だ?」とますます首を捻っている。ここで気にする方が可笑しいのだろうか。どうしたら、と杯を勧めた雷蔵さんを見つめれば、にこりと瞳を細めた。

「人間の世界は色々あるね、でも大丈夫。このお酒は明日になればただの水だから」

「…え?」

「山の湧き水と僕の妖術と月の光で作ったお酒。祭りの今日だけ飲めるお神酒だよ」

「そうなんだ…」

「ああでも今日だけはやっぱりお酒だから酔うし、リョウが気になるならやめておいた方がいいかな?」

「え、え、?」

「でも今日しか飲めないから是非飲んで欲しいし、どうしようかどうしたい?」

くりくりとした瞳をこっちへ向けて、雷蔵さんが問い掛ける。どうしたいと言われても一体どうしたら。雷蔵さんの茶色い瞳を見つめていると何故かますます心が迷い出す。ぐるぐる回る思考に頭を抱え始めた途端、ぽんぽんと落ち着かせるように頭を撫でる感触が私を宥めた。

「雷蔵、リョウを術に掛けるな」

「え、術!?」

兵助君に頭を撫でられながら雷蔵さんを見返せば、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

「ごめんね、そんなつもりはなかったんだけど」

「雷蔵は迷わせ神、他人の思考を惑わせる妖怪だからな。まぁ神様だけど、俺ら側に近い」

「悪いなリョウ、雷蔵も悪気があるわけじゃないんだがな」

隣へと座る三郎さんが狐の耳をピコピコ動かしながら笑う。それにしても雷蔵さんとそっくりなことだ。三郎さんと雷蔵さんと手元のお酒を見比べてみる。月のような琥珀色のお酒に私の顔がゆらゆらと揺らめいている。まぁ、明日水になるなら…いいよね?それでもこの一杯でやめておこう。もしも酔って迷惑掛けても申し訳ない。

「じゃあ一杯だけ、頂きます」

「大丈夫かリョウ、」

「せっかくだし。この一杯でやめとくけどね。後はお酌でもしてるよ」

「そう、それじゃあ」

兵助君が手元の杯を掲げて、カチンと涼やかな音が響く。琥珀色の表面に兵助君の微笑む顔が映り込んだ。

「はい、乾杯」

「か…乾杯!」

「あ、俺も俺も!乾杯!」

「山神様にもきちんと挨拶しなよ、ハチ」

「さすが雷蔵だな」

「ね」

恐る恐る口を付けてみる。喉を通るそれは蜜のように甘く、まるで湧き水のように清々しい。けれど口に残るほんの僅かな後味は確かにお酒のように苦い。湧き水と月の光と雷蔵さんの妖術で作る不思議な味に、ついっと気が付けば一気に飲み干していた。ふわりと花の香りが濃厚に香り、一瞬頭がくらりとしてしまう。うっ、美味しいけど意外にキツイのかもしれない。

「そんなにこのお酒の香りくらくらする?もう酔った?」

「酔ってません!また読んだでしょ尾浜さん!」








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