干上がっていく湖を見ながら、俺は諦めにも似たような感情が湧き上がるのを自覚した。

大旱魃がこの地に訪れ、雨の降らなくなった村人達が嘆いていることを俺は知っていた。人は水がなくては生きてはいけない。この湖へも村人が必死になって水を求めにやってくる。永いときを生きてはきたが、あんなに生きるために必死になる彼らは初めてだ。それほどに、今がどういう現状なのかということが伺える。

ただ、そんな村人達を後目に、俺はもう何かをする気にはなれなかった。俺はこの湖の龍神だ。湖が無くなれば、俺も消える。

ただ、それでいいと思っていた。永い永い時を、独りきりで生きてきて、寂しくて孤独でどうしようもなく俺はもう終わりを迎えたかった。日に日に湖は干上がっていく。


けれど、そんな時。
俺はリョウに出会った。


毎日毎日、水を汲みながら畔で祈っていく。どうか村に雨を。水の恩恵を。そして、村人達にもう一度笑顔を。ただただ純粋なその祈りに、俺は惹かれた。リョウは村長の一人娘だった。毎日祈りを捧げるその姿を見つめながら、俺は胸に一つの感情が湧き上がるのを感じた。

リョウ、もしも俺と生きてくれるなら。なんて身勝手な欲だということは、重々承知だ。けれどどうしても俺はリョウが欲しかった。永い時をたった独りきりで生きていくのに疲れてしまった。一緒に、生きて欲しかった。
だから、俺はある日ここへやってきた村人に告げてしまった。

"村長の一人娘を花嫁として差し出せば、雨を降らせよう"


人柱として湖へと沈められる彼女の表情は決意に満ちて真っ直ぐ前を向いていたけれど、固い表情と切れてしまいそうな程にきつく噛み締められた唇を見て、俺は胸が痛んだ。あぁ、リョウだって本当は怖いに決まってる。それなのに、彼女は決して足を止めない。逃げ出さない。ただひたすらに村人を思って自分を奮い立たせている。なんて、美しいのだろう。水中へと沈む彼女へ手を伸ばす。固く縛られた腕と足の戒めを解き、苦しげに身を竦めるリョウの細い身体を抱き締める。水の中でも伝わる暖かい体温に、俺は生きていく意味を取り戻した。

その耳元へ、そっと唇を近づける。

「リョウの願いを必ず叶えるから、だから、俺の傍にいて」

そう願えば、リョウは笑って抱き締め返してくれる。俺は泣きそうになった。この暖かさに、笑顔に、ただの俺の我が儘で人間として生きていけなくなるリョウに、孤独から解放されるこの喜びに。

「ありがとう」

命を吹き込むように、彼女の冷え切った唇へ口付ける。もう一度目を開けて。リョウは俺の眷属。そして花嫁。雨を齎す精霊として、一緒に生きていこう。もう一度目を開けたら、今度はリョウに見せたいものがたくさんあるんだ。きっとこの湖はまた蘇るから。湖から、リョウの村の人達を一緒に見守ろう。

君の願いを、叶えよう。



「リョウ、」

そう名前を呼べば、少し驚いたように振り返るリョウを思い切り抱き締める。少し首を反らせて、こちらを見上げるリョウと視線が鉢合った。隣にいてくれないと不安になるなんて、まるで子どものような独占欲だとは理解しているけれど、それでもリョウの感触を確かめるまでは俺はいつだって不安になる。そんな彼女は少しだけ苦笑しながら、湖へと足を進めていった。

いつかと重なる、その光景。昔を思い出すと零したリョウに、俺は胸がざわつくのを感じた。俺の我が儘で縛り付けてしまった。人間として生きていくことを手放させてしまった。後悔はしていないけれど、リョウはどうだろうか。もし後悔していたら、俺はどうしてやれるだろう。
俺の頬へと伸ばした指先を握り締め、唇を落とす。くすぐったそうにリョウが笑った。

「…リョウは、後悔してないか」

「どうしてそう思うの」

「だって、村を守るためとは言え、人柱みたいなものだろう。本当はまだ、生きていたかったんじゃないのか」

ずっと聞きたかったそれを問い掛ければ、リョウが腕の中へと飛び込んでくる。この体温にいつだって俺は安堵する。再び強く抱き締めた。

「兵助は、私の願いを、夢を叶えてくれたじゃない」

リョウの願い。それは再び水を得て、村人達の笑顔を取り戻すこと。覚えてる、だって俺はリョウの純粋なまでのその祈りに惹かれたのだから。

「兵助は、私の願いを叶えてくれた。だから今度は、私があなたの願いを叶えるよ」

俺の願いは、この永い時を、リョウと生きていくこと。その願いを彼女はいつだって覚えいてくれる。

「兵助、私はずっと傍にいるよ。もう独りじゃないでしょ、ずっとずっと一緒。私、今すごく幸せだよ」

「好き、ずっと好きだった、ごめんなリョウ、卑怯でも何でも、どうしてもリョウが欲しかったんだ。約束で縛って、ごめん」

リョウの手足を縛る縄を解いたのは俺、けれど新たな約束という足枷でリョウを縛ったのも俺。誰かじゃない、リョウに傍にいて欲しいんだ。唇に口付けを落とす。温かい。今ここにリョウがいる。それで十分だ。ぎゅうと俺の着物を握り締めるその掌に、愛しさが込み上げる。

「なぁ、俺と生きてくれるか」

「兵助がいらないって言っても、私は離れませんからね。花嫁に欲しいって言ったのは兵助なんだから、ずっと一緒にいてくれなきゃ嫌だよ」

「言わないよ、絶対」

「…私も大好き、ありがとう」


やっと、俺は笑ってリョウを抱き締めた。


水底に花束を



"ねぇ知ってる兵助"

"私の村で、私達ね『龍神様と雨の神様』って呼ばれてるのよ"

"それってすごく"


幸せね




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