穏やかな日だった。

真っ白に洗い上がったワイシャツの皺を伸ばしつつ、他の洗濯をさっさと陽の下へと干していく。緩やかな風に乗って洗剤の香りが届く。一通り干し終えて、満足げに風に揺れる洗濯達を眺める。

両親共に不定休で共働きな我が家は、祝日といえども家事を任されることが多い。せっかくの休みだが、そんな世間一般の休みにお構いなく働いている両親に文句は言うまい。洗濯カゴを抱えて屋内へ入る。

「…あれ?」

静まり返っている家の様子に、首を傾げる。さっきまで兵助君が家中掃除機を掛けてくれていた。初めは使い方が分からず吸い込む部分を覗き込んだりバラバラに分解してくれちゃったり、驚きの行動をしていたものの、一度使い方を教えればすぐに理解して使いこなしていた。フローリングモードもカーペットモードも完璧である。

しかし、洗濯を干している間にどこへ行ったのかその姿も掃除機の音も聞こえない。あの真面目な兵助君がまさか仕事を放り出して逃げ出すとは思えないけれど。洗濯カゴを戻しつつ、とりあえず姿を探してみるがどこにもいない。

「兵助くーん」

声を掛けてみるが、返事はない。ますます首を捻りながらトントンと階段を上がってみた。

「兵助君、どこー」

「リョウ、ここ」

「…こんなとこにいたの」

微妙に開いた自室の扉の隙間から、掃除機のコンセントがはみ出ている。そこからひょこりと顔を覗かせた兵助君に、肩を竦めてみせた。どこ行ったかと思えば、私の部屋に座り込んで何かを広げていた。

「何して……げっ!!」

「掃除してたらアルバム見つけた」

「うわーうわー!見ちゃダメ!」

「何でさ?小さい頃のリョウ、懐かしいのに」

取り返そうと飛びかかるが、ひょいと身軽に避けられてしまう。くそうこの烏天狗め…。必死で腕を伸ばすが、届かない位置に掲げられては打つ手がない。ぴょんぴょん飛び跳ねてどうにか取り返そうともがくが、兵助君は楽しげに私のそんな様子を見下ろしていた。ああ腹立つな!珍しい玩具じゃないぞ私は!

「それじゃ、リョウも一緒に見れば問題ないだろ」

「ぅわっ!」

兵助君のそんな言葉の直後、ガバッと後ろから抱きすくめられたかと思えばそのままベッドへなだれ込むように引き倒される。突然の視界の反転に目を白黒させるも束の間、傍らで楽しげにアルバムを広げ始めた兵助君についに私は降参した。

「恥ずかしいなぁもう…」

「そう?俺は俺の知らないリョウが見れて嬉しいけど」

二人揃ってベッドにうつ伏せながら、パラリとアルバムを捲る。これは兵助君に出会うちょっと前の私だ。家族で旅行に行った時とか、保育園で友達と遊んでる写真。兵助と出会う前の自分を見られるって、なんかすごく変な気分だ。くすりと傍らの兵助が笑みを零す。

「可愛い」

「…恥ずかしい」

パラリとその次のページを捲る。恐らくここら辺りは兵助君と出会ったかその辺りの私だ。兵助君の指先が写真の中の私を撫でる。ちらりと横顔を盗み見れば、穏やかに瞳を細めて写真を眺めていた。何だかこっちが赤面してしまう。

「懐かしいな、これ多分俺と会ったくらいのリョウだ」

「しかも後ろに写ってるの山神様の山でしょ」

「本当だ」

くすくす互いに笑い合い、兵助君の指先が次のページを捲る。次のページを目にしたらしい兵助君が、ピタリと目を見開きながら固まった。え、まさか私の恥ずかしい写真でも見つけちゃったんじゃなかろうな…!慌てて私も次のページを覗き込んだ。

そこにあったのは、小学校の行事か何かで、笹の葉と一緒に写るクラスの集合写真と一枚の短冊だった。

「あ、これ七夕の時の…」

担任の先生が大きな笹と短冊を手に、クラスへ言った。


"お願い事を書いて笹に飾りましょう"


幼い私は考えて考えて、読み取るのが精一杯な不揃いの文字でこう書き綴っていた。


"へいすけくんとこんやくする"



「……この時はまだ、兵助君との約束忘れてなかったんだね私」

なんだかこそばゆくなりながら、汚い字で書かれた短冊を見つめる。まだこの時の私は兵助君を忘れていなかった。写真の中で短冊を手に私が満面の笑みを浮かべている。

「この後かなぁー、妖怪とか見れなくなったの…ねぇ、」

兵助君?

そう発した筈の言葉は何故か唐突に塞がれた唇によってかき消される。目を伏せる余裕もなく、あまりに突然過ぎる出来事に頭が真っ白になった。

「…っふ、」

僅かに漏れた声に、かぁっと首筋まで赤くなるのを自覚する。いつの間にか首の後ろへ回されていた手のひらが、もっとと深く引き寄せた。無意識に強張る体を支えている腕にも力が入らない。その刹那、視界が反転して真横の兵助が今度は真上にいた。

「へ…兵助君…?」

「俺、あの時リョウを見つけて本当に良かった」

ポタリと私の頬に何かが降ってくる。つうっと頬を流れ落ちていく感触。けれどそれよりも私は兵助君から目が離せなかった。


ポロポロと涙を流しながら、彼は柔らかく微笑んでいた。


「リョウを見つけたのが俺で良かった」

「……うん」

私も一番最初に出会ったのが、彼で良かった。
「私も、妖怪の兵助君をまた見れるようになって本当に良かったよ」

まぁ見れるようになった分色々な厄介事は増えたけど、そう苦笑してみせれば兵助君も優しく微笑み返す。すりすりと兵助君が頬を寄せる。なんか大きい猫みたいだ。おかしいな、彼は烏のはずだけど。額を突き合わせて、にこりと彼が長い睫毛の縁取る瞳を細めた。

「これからは俺がリョウを守るから、ちゃんと"眼"を開けてて」

「兵助君が助けてくれるなら、もう見たくないなんて思わないよ」

「ん、じゃあ安心だ」

触れるような口付けが降ってきて、ゆっくり私も目を閉じる。しかし唐突に脇腹に感じたヒヤリとした手の感触にカッと目を見開いた。

「へ…兵助君!?」

「そろそろいいかなって」

「いいわけないでしょ、この変態烏ー!!!」

黄金の左手が勢いよく飛び出した。



風立ちぬ 番外編
*烏天狗とお嫁様



「まぁいいや、じゃあ今日はずっとくっついてよう」

「……掃除してください」



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