すたすたすたすた
すた すた すた

二つの足音が重なるように夕暮れの住宅地に響く。一方が早くなればそれを追いかけるように、もう一方も早まる。まるで追いかけっこでもしているかのような二つの足音がピタリと止んだ。追いかけっこっていうか…!!

「…あのぉー…」

「ん?」

「な…何か用ですか、久々知君…」

キョトンとこちらを見る久々知君。今は学校の帰り道、何故だか知らないが、さっきから後ろをずっと付いてくる。初めはストーカー!?かと思ったけれど、相手はクラスメート。自意識過剰良くない。そう、相手はクラスメート。

例え…

クラスの皆の前で公開プロポーズというとんでもない行動をしてくれちゃった相手だとしても!!


あれから、私は散々クラスの皆から関係を問い詰められ、質問攻めに遭い、見ず知らずの転校生との仲を囃し立てられ。当の久々知君はといえば、しらっとした顔で「千鶴は俺と『婚約』してるんだ」とか何とかあることないこと話してるし。その一言に湧き上がるクラスメート一同、そして目が点で話に付いていけない私。一体私がいつあなたと婚約なんてしましたか!そう訴えてみても私の声は黄色い声に掻き消され、床にガクリと手を付いて項垂れるしかなかったのである。

そして今現在。
何故か久々知君は私の後を付いてくる。何故なんでしょう、教えてハイジのおじいさん。

「千鶴、」

「う…は、はい?」

「もしかして、約束覚えてないの?」

途端に、随分と悲しそうな瞳で私を見つめ返す。約束、私そんな結婚の約束なんて、いつしたの?親が勝手に決めた?いやいやそんな由緒ある家柄なんてものじゃないし、そんな話聞いたことも無い。だったら何だって言うんだろう。久々知君が嘘を言っているようには思えない。というか嘘付いて一体どんなメリットがあるんだ教えておじいさん。私、いつどこでこの目の前の『ククチヘイスケ』くんに出逢ったの?

「…私、」

「…?」

「久々知君に、会ったことあった…?」

目を見開く久々知君に、私は思わずああやってしまったと顔を顰める。私の一言に、きっと久々知君は今傷ついた。彼の大きな黒い瞳が、悲しそうに揺れている。それを見て、私の胸がズキリと痛んだ。だってそんな記憶何処にもないのだ、どこにも。



へいすけくん!


「っ!」

思い出そうと必死に記憶の波を彷徨う最中、今朝見た夢の断片が突然蘇る。

蝉の鳴き声と、
冷たい水、
静かな森を、
駆け抜ける風


優しいてのひら、



約束だぞ、千鶴



暑い夏だった。私が本当に幼い頃のことだ。断片的な夢の映像だけが蘇る、一番知りたいところが思い出せない。なんで私は大切ななにかを忘れてるのだろう。

「………」

「……千鶴?」

「ごめん、」

「……え、」

「ごめん、ごめんね、思い出せないの、分かんない…どうしても…」

ぽつりぽつり呟いた私に、悲しそうに顔を歪めていた久々知君は顔を上げる。スッと手が伸ばされて、額を冷たい指先が掠めた。額から瞼を指先が辿って、すっとその掌で瞼を覆われる。

「…?」

「千鶴、お前…」

「う、はい…?」


「…記憶を閉じたな」


言われた言葉をうまく理解できず、覆われた瞼の裏の暗闇に視界を彷徨わせる。記憶を閉じるって、むしろどうやるのでしょうか。頭の上に疑問符を散らす私のことはお構いなしに、頭上で久々知君の溜息が聞こえる。え、何ですかその「あーあー厄介なことになった」みたいな溜息!?

「…く、久々知君…?」

「弱小妖怪共にちょっかいでもかけられて本能的に閉じたのか…それとも、」

「もしもーしもしもし聞いてますか〜…?」

ぶつぶつと何か呟いている久々知君、ようやく瞼を覆っていた掌がなくなったと思いきや、今度は目の前で久々知君が顎に手を添えながら何かを思案している様子だった。私の呼びかけに返答はない。ひたすら何かを考え込んでいたかと思えば、

「よし」

「え、え、??なにがよし?」

ぽんっと掌を叩いて何か閃いたかのように顔を上げる。かと思えばぎゅっと腕を握り締められ、ぐっと引き寄せられる。至近距離で久々知君の長い睫毛が見えてようやく私は現状に気付いた。

「ななななっ、何やってんのこんな住宅街のど真ん中で!!」

「千鶴が記憶を閉じちゃったから、今からこじ開けに行くぞ」

「は?こじ開ける?ちょっと久々知君一体何の…っ」

「千鶴、目閉じてて」

久々知君の声が耳元でそう囁いたかと思えば、次の瞬間私の体がぶわりと浮いた。内臓がふわっと浮くあの感覚、ジェットコースターで今から落ちるぞっていう一瞬のあれ。

「………っ!!!」

叫んだ声は声にならず、私の体は風に溶け込んだ。



お母さん!わたし、へいすけくんと『コンヤク』する約束したの!

コンヤク?何言ってんのかしらねぇ、コンニャクの間違いじゃないの?

コンヤク…コンニャク…コンニャクかも…?

そうでしょう?

へいすけくんとコンニャクするの!

…へいすけくんってのがまず誰なのかしら



小さい頃の私が、瞳をきらきらさせながら母親に『へいすけくん』のことを話してる。いつの記憶だっただろう、そういえば小さい頃私は『へいすけくんとコンヤク』という言葉を頻りに言っていて、それに対して母親に『コンヤク』は『コンニャク』なのではないかと訂正されたのだった。よくよく考えれば『へいすけくんとコンニャク』ってまるっきり意味が分からない。けれど、幼い私は意味も理解しないまま母親の言葉を鵜呑みにして。

そしてもうちょっと成長してから気付く、『へいすけくんとコンニャク』って何?ってことに。意味のない言葉だと思った私は、まずそこでへいすけくんとの約束を忘れた。



そうか、私『へいすけくん』との約束…忘れちゃったんだね。



記憶の欠片




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