あれから私は、走って、走って必死に走って。それでもやっぱり学校まであと50mくらいのところで無情にも本鈴は鳴り響いてしまって。あああ…と若干ペースダウンしながらも、頑張って教室まで走りぬいた私をどうか褒めて欲しい。それでもやっぱり、恐らく朝のホームルームが始まってるであろう校内は静かで、私のパタパタという走る音だけが廊下に響き渡る。

ぜぇはぁと肩で息をするのも苦しくて、よろよろになりながらどうにか自分の教室の扉の前まで辿り着いた。さすがに、このままの勢いで入ったらクラスメートにドン引きされるだろう。お前どんだけ必死に走ってんだよ、なんて思われたらちょっと悲しい。深呼吸を繰り返し、どうにか息の整ったところで、ホームルームへ突入するべく、扉に手を掛ける。

先生、どうか授業には間に合ったんですからあんまり怒んないでくださいお願いします!

そんな誰に届くのかよく分からない祈りを心の中で繰り返しながら、そっと教室の横引きの扉を開けた。ガラガラと控えめなのに妙に響くあの音が教室に響いてる。僅かに開けた隙間から、みんなが訝しげにこちらを見ているのが目に入ってもう開き直った。

完全に、私の遅刻、バレてます。

「……す、すいません…遅刻しました」

ガラガラと潔く開けてさっさと中へ入って、先生の雷が落ちる前に謝っておく。教室のところどころで漏れる忍び笑いは、私の友人達からである。口パクで「おばかさん」と言われた。

「あ、えっと先生すみま…?」

そこでようやく気付いた。先生の隣に、誰か知らない男の子が立っている。えと、多分男の子。パチリと長い睫毛と大きな瞳、滑らかに綺麗で白い肌、そして黒々として艶やかな黒髪。なんだか観察すればするほど性別不明になったが、着ている制服は男子のものだ。

美人が男子の制服着てきょとんとした顔でこっち見てる…

私の頭の中も盛大におかしなことになっているらしい。同じようにぽかんと彼(?)を見つめ返してしまった。というかこの美人さんは一体どこの誰なんでしょうか。

「……見つけた」

「へ?」

小さく呟くような声が耳に届く。聞いたことの無いその声は、目の前の美人から発せられたものだろうか。マヌケな声をあげながら、首を傾げた私。そしてその隣の先生までもが頭に疑問符を浮かべている。

「久々知、」

「うん?」

「久々知兵助」

「ん…?あ、ああ、はい。久々知君ね」

黒板に自己紹介されたばかりなのであろう、『久々知兵助』と書かれたままであった。わざわざもう一度自己紹介してくれるなんて、なんて丁寧で親切な人なんだろう。それにしても、


ク ク チ ヘ イ ス ケ


ざわりと自分の中で何かが騒ぎ立てる。胸騒ぎと言うのだろうか。どこかで聞いたような、靄がかかって思い出せない映像が遠くで聞こえるような、そんな感覚。気のせいだろうか、私はどこかでその響きを聞いた覚えがあるのだ。

「……、佐々木千鶴」

「え…?」

「名前、佐々木千鶴で合ってるよな?」

「あ、う…うん」

なんで、私の名前を知っているのだろうか。もしかしてどこかで一緒の学校だったことが?いやいや同級生にこんな美人はいなかった。わざわざ転校前に全員の名前と顔を覚えてくるだなんて、そんなことするはずもないだろうし。じゃあ、どうして?

「約束、覚えてないのか?」

「……約束?」

少し眉を下げた久々知君が、悲しげな表情で呟く。彼と、私は一体何を『やくそく』したのだろう。そんな悲しそうな顔をさせてしまうような、きっと大切な約束。思想の海に潜りかけた私に、久々知君が一歩近寄る。

「千鶴、今日が十六歳の誕生日なんだろう?」

なんでなんでなんで、どうしてそんなことまで知ってるの?ぐるぐると頭の中を色々なことが巡って上手く働かない。これが混乱ってやつなのだろうか。また一歩、久々知君が私に近づく。その様子を、何故か先生もクラスのみんなも押し黙って眺めている。いや、先生止めてくださいよ。にっこり、私よりも随分と背の高い久々知君がそれはそれは綺麗に微笑んで言った。

「さぁ千鶴、約束の十六歳の誕生日だ」

「…………」

するりと久々知君の白い手が私の手を取る。きゅっと握り締められれば、伝わる熱はほのかに優しい。ああ、私…この掌を知っている気がする。


「迎えに来たよ、俺の『花嫁』になってくれ」


次の瞬間教室に響き渡った黄色い声に、私の頭は真っ白になったのだった。


約束





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