おかしい。


「おはようー千鶴、久々知君!相変わらず仲いいねー」

バシンと私の肩を叩いて教室へと去っていく友人の後姿を見ながら、私の頭の中は疑問符でいっぱいになっていた。これで五度目だ。何が五度目かと言えば、挨拶を交わした友人が口を揃えてこう言うのだ。”相変わらず”と。

「…相変わらずっていうか…兵助君昨日転校してきたばっかりだよね…?」

相変わらずなんて言葉は兵助君と私の関係で使うような単語ではない。私が奥歯ギリギリさせながら見つめた友人カップルのような二人を”相変わらず”と表現するのだ。それが何がどうなって私もその相変わらずの仲間入り。意味が分からない。

「どうなってんの…」

「ああ、俺が昨日学校にも術をかけたせいだ」

「は!?」

さらりと爆弾発言をかました兵助君に思わず素っ頓狂な声を上げて目を剥く。術というのはうちの両親にも掛けたという例のあれだろうか。というかいつのまに!立ち止まった私に釣られるように、兵助君も立ち止まるとキョトンとこちらを振り返った。

「昨日千鶴の親に暗示を掛けるのと一緒に学校にも掛けておいたんだ。家だけじゃ食い違いが出るだろ」

「な…っ、そんないつの間に!」

「学校の敷地に入った人間は全員掛かるようにしておいたんだ。10秒もあればできる」

「………………」

烏天狗、恐るべし。

道理で昨日のことを問い質されることも奇異の目に晒されることもないと思った。なんだか身構えていた私が馬鹿みたいじゃないか。そういうことは早く言ってよねと恨みがましく兵助君を見上げるが、どこ吹く風である。妖怪ってすごい…というか恐ろしいというべきか。私の知っている妖怪が兵助君と山神様の山の住人の彼らだけだから何とも言えないけど。そう内心で呟いて、思わずハッと思い出す。そういえば、妖怪の兵助君が見れなくなったのは私が”眼”を閉じてるせいだって兵助君は言っていた。しかし今の私はその”眼”を開いて兵助君の姿を見ることが出来ている。ということは、つまりだ。


(兵助君以外の妖怪も見えるってことだ…!)


さぁっと思わず青褪めた私の脳裏に、小さい頃の記憶が過ぎる。私が妖怪を見れなくなったそもそもの原因は、その妖怪を見たくないと小さい頃の私が強く願ったせいだ。弱小妖怪にちょっかいをかけられたかと兵助君は言っていたけど、そうなのだ。私、自分にしか見えない異形の何かが怖くてそう願ったのだ。兵助君の掌を強く握り締める。どうしよう、成長してからそういったものとは無縁の生活を送ってきたから、どうかは分からないけど。小さい頃の経験上、向こう側は相手の人間が”見える”と分かれば集中して狙ってくる。見える人間というのは本当に少ないようなのだ。だからこそ、私が”見える”と誰にも悟られるわけにはいかない。平穏な学校生活を守るため、こればっかりは何としても死守しなくては…!

「…、あ…」

(そのためにも、妖怪見掛けても徹底無視…!)

「…なあ、」

(ちょっかい掛けられようが誤魔化してみせる…!)

「千鶴ってば」

(大丈夫、今まで見えなかったんだし、いつもと同じ感覚でいけば)

「なぁ、そっち階段だぞ」

「あ、はい兵助くん…ってぎゃああ落ちる!!」

ふうっと空を切った片足に一瞬ヒヤリと冷や汗をかいた。繋がっていた兵助君の手がぐんと腕を引いてくれて転がり落ちるという愉快なことにはならなかったけれども、一瞬にして早鐘のようになった心音に何だか寿命が縮んだ気がした。ほら見ろとでも言いたげな兵助君の呆れ顔に苦笑で返すしかない。

「何度も呼んだのに、ボーっとしてどうしたんだ」

「えーっと…まぁ色々と抱負と決意をですね…」

「抱負と、決意?」

何だそりゃと顔を複雑そうに歪めている。でも、あんまり兵助君にはこのことは知られたくないのだ。なにせ私がまた妖怪を見ることができるようになったのは、他でもないこの兵助君が私の”眼”を開かせたからである。成り行きとはいえ、私が後悔していないのだから、あまりそのことで兵助君が負い目を感じてしまっても困る。考えてるか考えていないかは別として…。

「な、何でもないんだけどさ…とりあえずさっさと教室に、」

階段から方向転換して、教室へ向かう廊下へと足を踏み出したその時だった。さっと何か黒い影のようなものが足元を一瞬にしてすり抜けていくのが目に入った。まるで、私の足を引っ掛けるかのようなタイミングで横切ったそれに、ハッと息を呑んだ。

「千鶴!」

ぐんと腹に腕が回り、倒れかけた身体が支えられる。気がつけば、黒い何かに躓きかけた私を、兵助君が後ろから抱きかかえて支えてくれていた。真っ白になりかけた思考が、ようやく落ち着きを取り戻す。忘れかけていた感覚が、ざわざわと背筋を這うように蘇る。薄ら寒いこの感覚、私にしか見えない異形。そうだ、今の影。あれはきっと…、



妖怪だ。



「大丈夫か、千鶴…顔、真っ青だぞ」

「へ、兵助君…今の…、」

「この学校に住み着いてる弱小で悪戯好きの動物霊だな」

「どどど動物霊…!?」

そんなものまでいるのかこの学校!思わず顔を引きつらせた私に、兵助君が無表情で視線を泳がせた後でこくりと頷いた。

「うん、たくさんいる」

「た…たくさん…」

何だか身体の力が抜けてしまいそうだ。私、本当に大丈夫だろうか。向こうは私が見えているということに気付いているということなのだろうか。分からない、でも怖い。転ばせる程度ならまだ構わない。でも、それよりずっと怖いことが起こったら。追いかけられたり、命の危険に晒されたりしたら、私は一体、どうすれば、

「千鶴、落ち着いて」

動揺しまくった私の視界が、兵助君の掌で覆われて真っ暗になる。目蓋に兵助君の冷たい温度を感じながら、ようやく自分が思い切り震えていることに気がついた。私、どんだけビビっているんだろう。しかも結局、兵助君に悟られてしまっているに違いない。不安ばかりが胸に押し寄せ、私は自分の掌を強く握り締めた。

「千鶴、大丈夫だ」

「………………」

「今度は俺が、傍にいる」

兵助君の低い声が耳に馴染んで、溶けるように脳に染み渡る。腰に回されたままの腕がぎゅうと私を力強く抱きしめた。

「見えるせいで、千鶴はこの先怖い思いをするかもしれない」

「……………」

「でも、必ず俺が守るから、だから」

切ない響きを伴った、兵助君の祈るような声音が視界の閉ざされた私の鼓膜を揺らした。その指先が、縋るようだった。

「”眼”は閉じないで」

そっとその掌が外されて、視界を日の光が焼く。私を抱き抱えるその指先を辿るようにして振り返れば、不安げにこちらを伺う兵助君の表情が目に映った。

「…千鶴、」

「ごめん…、ありがと兵助君、もう大丈夫」

私の言葉に、兵助君がパッとその表情を明るくさせる。出たなキラースマイル…!と私が目を眇めながらそんな兵助君を見つめていれば、何をトチ狂ったのか突如としてガバリと兵助君が真正面から思い切り抱きついてきた。

「うわあああ!?な、なに!?何事!?」

「千鶴!好き、大好きだ!」

「ひいいちょっと大声で何言ってんの兵助君、ちょ…離してー!!」

絶叫する私を物ともせず、満面の笑みを浮かべた兵助君がぎゅうぎゅうと思い切り抱きしめてくるせいで何かもう若干息が、苦しいんですけど…!!

「わーお、朝から相変わらず仲いいわねあんた達〜」

「ぎゃあああ見るなー!私達を見るなー!!」

擦れ違う友人の囃すような声に、真っ赤になりながら喚き散らす。ちょっと頼りがいになる兵助君カッコイイとか思った数分前の私、全力で離れろコイツから…!やっぱり、最終的に頼りになるのは自分自身なのかもしれない。


「いい加減に…しろぉぉぉぉ!!!!」



恋人は烏天狗



烏天狗を拳骨で沈めた私に、低級霊など恐れるに足りない…のかもしれない。



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