「よかった、思い出してくれて」

「ごめんね、兵助君に助けてもらったのに」

「いいよ、千鶴がちゃんと俺との約束覚えててくれたなら、それで」

「そ、そのことなんだけど…」

「?」

私の言葉に、僅かに離れた兵助君が私の顔をきょとんと見返す。雰囲気が雰囲気だっただけに、なんだか言い出しにくくなってしまった。どうしようか、ええい言わなくちゃ何も始まらない。

「実はその…私あの頃に『コンヤク』ってものが何なのか理解してなかったみたいで」

「うん」

「その…まさか『結婚』に繋がるものだと思ってなかったから…帰りたい一心で『コンヤク』するなんて言っちゃったけど」

「…………」

「私…、結婚はちょっと…できなっ…!?」


「約束、破るの?千鶴」


しどろもどろ紡ぐ私の顔をぐっと両手で包み込むと、冷えた兵助君の瞳に見据えられる。さっきまでの穏やかな表情と一変した、ぞくりとするほどの無表情。けれど、瞳だけが傷ついたように僅かに揺れる。どうしよう、ツキリと胸が痛くなった。

「ちが…、破るんじゃなくて…」

「あの時に俺はちゃんと言った、『16歳になったら迎えに行くって』」

「う…うん」

「そして山神様に千鶴が言ったんだろ?『婚約するから帰して』って」

「それは…っ」

「千鶴、言霊って知ってるか?言葉はそれだけで強い力を持っている。千鶴がもしも約束を違えるなら、千鶴はもうこの森から出られない」

「…、え!ちょっとお願い、待ってよ…!」

私を抱きしめた兵助君を押し返し、私は戸惑いに震える声で訴えた。森に吹いた風が途端に冷たく感じる、ぞくりと背筋が冷えた。山神様が、まるで見ているみたいだ。約束を違えれば、私はもうここから出られない、恐らく二度と家族にも会えない。でも、私、まだ、捨てられないものをたくさん残してきてるのに。


「そんな…っ」


かくりとその場に膝を付いた拍子に、頬を涙が零れ落ちる。帰れないことを嘆く私はあの頃のままだ。いやだいやだと駄々をこねる、小さな子供。でも、私まだ人間を捨てるなんてできないんだもん。やりたいことも、やらなきゃいけないことも、まだまだたくさんある。それを捨てて、兵助君に嫁入りなんて、そんなのできない。 俯く私の頬を流れる涙を掬って、兵助君はそっと背を向ける。

ここで、待ってて。

そう囁いた兵助君の声音も、どこか固く研ぎ澄まされている。離れていく彼の指先を追いかけることもしないまま、私は唇を噛み締めた。


柔らかな檻





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