窓の外を見て、ああついてないと思った。どんよりと厚い雲に覆われた空は、今にも泣き出しそうな色ですぐそこまで迫っている。これは一雨きそうな予感がする。傘、確かロッカーに折りたたみのがあったような気がしたけれど。できれば本降りになる前には帰りたかったのになぁ…。はぁ、と溜め息を吐いて目の前の資料をパチンとホッチキスで止めた。日直で帰宅部だからという理由だけで、担任に雑用を押し付けられた私って相当間が悪いというか何というか…。さっさと日誌書いて帰れば良かったなぁ。ぶつくさ文句を言いながらも、資料をホッチキスでパチンと止める。

「あ〜……あと三分の一!!!」

ぐっと伸びをして、もう一度どんよりとした空を見つめれば、そのうち気のせいかと思えるような小さな地鳴りみたいな低音が耳に届いた。げっ!と慌てて窓を開ければ、もう一度聞こえたのはゴロゴロというお腹に響くような空気を震わせる重低音。うっわぁ…もうマジ最悪。

「雷とか……!!」

黒雲に覆われ始めた空に思わず盛大に溜め息が零れた。なんかむしろ今は帰りたくない。雷が少し収まって雨が小雨になったくらいに是非帰りたい。ピークの時に帰るなんて無謀以外の何でもないと思う。切実に。空模様の変化に気が付いたのかグラウンドで部活動を行っていた生徒が徐々に片付けを始める。外の部活動っていいよね。天気悪くなると室内練習に切り替わったり運が良ければその日の部活はなくなったり。ああ、でもそれは運動嫌いな帰宅部の意見か。部活動を真面目にやってる人からしたら練習できなくなるなんてたまったもんじゃないはずだ。

(はぁ……仕事しよ……)

窓から離れて、席へ座り直すと再度ホッチキスを手に取る。しんとした室内に響き渡る大量の資料をパチンパチンと止めていく音。その合間にゴロゴロと空気を震わせる低い音が遠い空から響いている。まだ落ちたような音は聞こえてこないが、近くに落ちないことを祈るのみである。雷とホッチキスの音しかしない室内に、やがてポツポツと窓を叩くような微かな音が混じり始める。雨粒がガラス窓を伝って幾筋も流れ落ちていた。とうとう降ってきてしまったらしい。顔をしかめている間に、雨足はどんどん早くなっていく。パチンッ、乾いた音がまた一つ室内に零れ落ちた。

(……そういえば、)

あの体育館裏での出来事以来、久々知は私に話し掛けて来なくなった。時折久々知からの視線は感じるものの、そちらを見ないように見ないようにと顔と意識を逸らし続けている私の努力の賜物なのか、最近では目も合わせていない気がする。よく恋愛小説や漫画なんかじゃ、普段押せ押せな相手がいきなり何も接してこなくなると、少し寂しく感じてしまうだとかそこで相手への気持ちに気付いてしまうだとか、ベタな展開に縺れ込むことが多いけど、実際は案外そんなもんでもないらしい。むしろ至って平和な日常を過ごすことが出来て何だか前より高校生活楽しんでる気がする。恐らく、私みたいな奴はどう転んだって少女漫画の主人公みたいにはなれないってことだろう。こんな主人公読んでたって共感もへったくれもあったもんじゃない。実に平凡。でも現実ってそんなもんだ。そんなにうまくいくわけないじゃない。

久々知は、私を一体誰と重ねていたのだろう。

随分前からの知り合いであったようだし、長いこと探してたみたいなことも言ってた。他人の空似だろうか。顔も似てて同姓同名なんて笑える。この世には自分に似ている人物が3人いるとは聞いたことがあるけれど、そこまで一緒ならもうドッペルゲンガーとかの勢いだ。もしも出会ったら死んでしまうんじゃなかろうか。なんて、馬鹿馬鹿しいことを考えて少し口元に笑みを浮かべた。やけに暗くなった室内に手元が見えづらかったことにそこでようやく気が付くと、パチリと教室の明かりを付けた。これでよし。これだけ天気が崩れればさすがにもうグラウンドで部活をやってた生徒も避難しただろう。ふと視線をやってみれば、グラウンド脇の弓道場からは明かりが漏れていた。



「それでも、俺はリョウが好きなんだ」



あんなに真っ直ぐに、人に好きだと言える人間が、まさか自分が大層ひどいことを口走っていることに気付かないなんて、なんて可笑しいんだろう。誰と私を混同してるんだか知らないけど、こっちは振り回されたり変に勘違いさせられたり、関わってからというものロクなことがない。思い出すだけでもまた沸々と怒りが込み上げてきた。最後に見た泣き出しそうな顔がどうにも引っかかって仕方なかったけど、それすら帳消しにしてしまいそうなほどに私は久々知兵助という男に怒っていた。ああ、イライラする。あいつのせいで私の学校生活メチャクチャだ。そりゃ一番初めは期待しなかったわけじゃない。出会って当日、イケメンが「やっと出会えた!」みたいなことを満面の笑みで言ってきたらそりゃ一乙女としてドキドキしちゃうもんでしょ。私もしかしてどこかでこの人と会ったんじゃないのか?とか、もしかして一目惚れ?とか。そんな可能性出会った当日に自分で打ち砕いたけど。いくら初対面だからって求婚はさすがにおかしい。おかしすぎる。だから、からかわれてるんじゃないかって思い始めて、よくよく冷静になって久々知と接してみたら結果がコレ。本当にイヤになる…。


ドォォォオオン!!!!

「ぅひあああ!!?」

突然鳴り響いた轟音に思わず奇声を上げながら反射的に耳を塞ぐ。雷が苦手とかそんな可愛らしい性分じゃないが、こんだけでかい音にビビらないわけもなく。近くに落ちませんように!!とだけ誰にともなく祈りながら、最後の資料を止めてようやく仕事が終わる。肩が凝った。ぐるりと肩を回した次の瞬間だった。

――――プツッ

「…は?」

私のマヌケな声が室内に響くが、状況は全く変わらない。さっき付けたはずの室内の電気が急に消えたのだ。フリーズした頭がようやく現状を理解し始める。ああ、さっきの雷のせいか。近くに落ちたんだ。じゃあこれ、停電か。

(もう…大雨だけど帰ろうかな)

びしょ濡れになる覚悟と諦めの境地で鞄を手に取った、その時だった。

ガラッ

「大丈夫か?」

扉の開く音に振り返れば、そこに久しぶりに見る姿があった。久々知兵助。薄暗い中で私の姿を認めると、ハッと息を飲んだように目を見張った。

「…………」

「リョウ…、ま…まだ残ってたのか」

「………雑用、押しつけられて」

教台に積み重ねた資料を指差しながら言えば、ああとどこか納得したように目を瞬かせた。




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