他人からあれほど好きだと言われたことも、無意識に相手を好きになったことも、私には初めてのことだった。 「…リョウ、」 久々知兵助とキスをした。触れた唇は冷たくて、けれど零れる吐息も指先も熱くて、私は何も考えられなかった。 ただ、幸せだった。 「…………」 唇に指先を当てれば、まだその冷たい熱が残っているようで。彼の涙の理由も、私の中のどこかで叫ぶその"好き"だという鮮烈なまでの感情も、本当は私にはよく分からない。曖昧すぎる関係に名前なんて私は求めていない。怖いのは、繋がった掌の熱が永遠に離れていくことだと漠然と感じた。私は一体いつからこんな女々しいやつになったのだろう。自覚した恋心は理性も何もかもを凌駕していく。兵助は、私の言葉を信じてくれる。これは全部、私の感情だ。誰のものなんかでもない、決して。 「あ、佐々木じゃん」 「尾浜、」 背後で響いた声に思わず振り返れば、そこにはチュッパチャプス片手の尾浜がいた。この男…妙に菓子類が似合うのは気のせいだろうか。高校生にもなってチュッパチャプスが似合うってどうなのそれ。 「ん?欲しいの?」 「食べかけ寄越すな!いらんわ!」 「なんだよ〜冗談だって〜」 ケラケラ笑いながら私の隣を陣取ると、途端に顔をじいっと覗き込まれる。 「な、なに…」 思わずたじろぐと、そのまん丸な瞳をにんまりと細め、どこか嬉しそうな顔で笑った。 「佐々木、」 「だから、なに!?」 「兵助と、何かあった?」 「………っ?!」 思いもよらない尾浜の言葉に、バッとその顔を振り仰いでしまうが、今更ながら自分の顔が熱いことに気付く。これでは、言葉に出さずとも何かありましたと顔に書いてるようなものだ。慌てて顔を隠すが、今更遅い。絶対からかわれるに決まってる。そんでもって根掘り葉掘り聞かれるに違いない。言えるわけない、兵助とキスしましたなんて言えるわけがない…!こうなったらしらを切るより他に手は、 「そっか、」 「へ?」 小さな尾浜の呟きに、思わず勢い込んでいた私はキョトンと目を丸くする。拍子抜けする程の穏やかな表情を浮かべた尾浜が私を見つめ返していた。 「ありがとう、佐々木」 「え…」 「やっと、兵助と正面から向き合ってくれたんだ」 柔らかな尾浜の言葉が、染み入るように心に満ちる。どうして尾浜がこんな優しい顔するのか、私には分からない。けれど不思議と落ち着くその空気に、私は握り締めていた拳を解いた。 「尾浜って、なんでそんなに兵助思いなの?まぁ、友達だからってのは分かるけど…」 「まぁ、友達だからってのもあるけどね」 「それだけじゃないわけ?」 私の問いかけに、尾浜は少し寂しげに笑ってみせる。僅かな懐かしさを滲ませるような瞳の色に、何故だか言葉がつまった。 「俺のね、昔の友達にお互い好きだったのに結ばれないまま生涯を終えた友達がいるんだ」 「……友達、?」 「今の……ううん、"兵助"じゃないよ。"兵助"よりも、ずっと前の友達」 一点を見つめて、どこか物寂しそうな表情のまま尾浜は言葉を紡ぐ。ざわりと胸が騒いだ。 「たくさん幸せになる筈だった。そして俺も二人に幸せになって欲しかった。最期は悲惨で、思い出すのも俺は怖い。普段からその俺の友達は全然感情を面に出さない奴だったんだけどね、」 「…………」 「彼女を亡くしたその時、そいつ泣いたんだ。いやあれは泣き叫ぶって言った方が正しいかもしれないけど…、本当に聞いたことないくらいに泣いたんだ」 遠い過去を巡るかのように尾浜の瞳は遠くを向いている。泣き声が聞こえるようだ。胸が苦しくなって、ぎゅうっと制服の胸元を握り締める。ざわつく胸を落ち着けたくて、ゆっくり息を吐き出した。 「佐々木と兵助、それからその友達は本当によく似てるよ。だから幸せになって欲しい、今度こそ。そのためなら俺は、一肌でも二肌でも脱ぐよ」 ヘラリといつもどおりの尾浜の笑顔が向けられる。何故かそれにホッと安堵してしまうのは何故だろう。分からない、けれど私、 ――勘ちゃん、 ずっと昔、 その笑顔を見た気がする 「佐々木?」 「え、あ…なに?」 「急にぼーっとするから、大丈夫?あぁ知らない俺の友達の話なんかされても、分かんないよね。ごめんごめん」 「別にいいけど…」 「でも、俺が今言ったことは全部本当だよ」 「…………うん」 「だから、俺の今の願いは、二人の分まで兵助達が幸せになってくれること」 あとは俺にも可愛い彼女ができることかなー!とケラケラ笑う尾浜に釣られて、思わず噴き出す。ああ、なんか本当に尾浜らしい。他人の幸せを願える人が、幸せにならないわけないでしょう。ねぇそうでしょう、神様。 「尾浜なら、すぐできるんじゃないの」 「えー、俺出会いは運命的にって決めてるんだけどなー」 「食パンくわえて曲がり角でも曲がってみれば」 「ぶっ!!ちょ、それベタ過ぎじゃない!?」 ゲラゲラと肩を震わせて大笑いし始める尾浜と共に、目を細めて小さく笑い声を零す。きっとその尾浜の友達の二人も、こうやって尾浜と笑ったり、時々ケンカしたり、幸せな時を過ごした筈だ。そして今もずっと、尾浜はその二人の幸せを祈ってる。 「ねぇ尾浜、私が言えたことじゃないかもしれないけど、多分二人は幸せだよ」 「え?」 「大事な友達がそんなに自分達の幸せを願ってくれるんだから、それだけできっと、今幸せだよ」 一瞬虚を着かれたかのように尾浜の目が丸くなって、泣き出すかと思うほどに唇を噛み締める。も、もしかして余計なこと言っただろうか…!?少し不安になって慌てて尾浜を覗き込むが、ポンッと頭に掌を乗せられグシャグシャと髪を掻き撫でられる。 「ちょ…、なにしてんの!?」 「何でもないよ、ちょっとしてやられたからその仕返し」 「はぁ?!」 「佐々木」 尾浜の手から逃げ回りつつ、グシャグシャに乱れきった髪を整えていると、真剣な尾浜の声に名を呼ばれる。振り返りつつ、その顔を見つめ返してやれば強い瞳が私を射抜いた。 「俺、佐々木に会えて良かった」 ポロッと零れ落ちた言葉に、思わず目を瞬かせる。やれやれと肩を竦めて溜め息を思いっきりついてやれば、ムッとした表情を浮かべている。面白いやつ、にんまり笑って、べぇっと舌を出して見せる。 「私もだよ、尾浜のばーか」 その言葉に、尾浜がこれ以上ないくらい幸せに笑っていたのを、私は知っている。 "どうか君が幸せでありますように" |