一陣の風が駆け抜ける。

木々の枝をしならせ、影が如く。口元まで引き上げられた口布からはっと短く呼吸が漏れる。凛と正面を見据える瞳には、鋭さがあった。流れるように漆黒が、緑の合間を飛び交う。ザンッと短く葉鳴りの音が響き、一本の枝に影が降り立った。揺れる漆黒の髪はしなやかに風に踊る。眼下には城下町が広がっていた。鳶が青空を飛び回り、活気に溢れる人々の声が町中に溢れかえる。口布越しに、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。細い指が布を引き下げ、形の良い唇がゆっくりと弧を描く。

「ただいま、」

佐々木リョウ、
彼女の生きるこの時代を、後に戦国乱世と人は呼んだ。





「おお、リョウ!よく帰ってきたな」

「あったりまえですよ。私を誰だと思ってんですかお頭」

首から頭まで覆い隠していた紺色の頭巾を取り払いながら、リョウは縁側でのんびり茶を啜っていた男へと歩み寄る。にやりと向けられた不敵な笑みに、お頭と呼ばれた男は満足そうに頷き湯飲みを傾ける。何とも気の抜ける光景がそこに広がっていた。呆れたようにリョウは腰に手を当てつつ嘆息して見せるが、やがて諦めて男の隣へと腰を下ろす。チチチと長閑に雀が鳴いていた。

「それで、忍務の方は」

しばらくの沈黙の後、穏やかな声音はそのままに男が言葉を発する。ぼんやりと空を仰いでいたリョウは、その言葉にようやく背筋を伸ばすと懐から小さな巻物を取り出し男へ手渡した。

「とりあえず、頼まれてた情報は何とか手に入りましたよ。これが城の大体の見取り図で、おおよその兵力、あとはいつ頃出陣予定なのか。なかなか口を割らないものだから、秘蔵の薬まで使って夢か現か分からない程度まで落としてやりましたけど…まぁ、あのエロ親父なかなかしぶといことで」

「そうか、それは大変だったな…それでそのエロ親父は」

男の問いに、リョウはむうっと唇を尖らせてみせた。拗ねているかのようなその表情は、幾分かリョウを幼く見せる。納得いかない、そんな言葉がぴったり当てはまるかのように、不満そうな声音が紡がれる。

「お頭も人が悪い…なんで今回の忍務の相方、兵助にしたんですか!」

「呼んだ?リョウ」

頭へリョウが詰め寄ったその瞬間、屋根裏からスタンと人影が降り立った。長い艶やかな黒髪が彼の動きに合わせてふわふわと揺れる。兵助と呼ばれた少年は、長い睫毛を瞬かせながらリョウの傍へ音もなく寄った。

「おい兵助、リョウに何かしたのか?カンカンだぞ」

「いえ特に?」

「と・く・に・だぁ…?」

兵助の言葉にゆらりとリョウが形相を般若のようにひきつらせる。グワシッと兵助の忍装束の襟元を両手で掴み上げるとガクガクと揺さぶった。

「あんた私があのエロ親父からあともう少しで隠してるお宝の在処まで吐かせられそうだったってのに、口にする前に斬り捨てたのを忘れたとは言わせないわよ!!」

「だって、そこは忍務には含まれてないだろ?」

「あんたと組むといつもそうなんだから!くのいちは忍者と組むものだってのは分かってるけど、色仕掛けの真っ最中に殺気丸出しにして敵に見つかっちゃったり…何なのあんた!私の邪魔したいの!?そうなんでしょ!?」

「邪魔したいわけではないけど…つい」

「融通が利かない奴なんだから…何とか言ってくださいよお頭ぁ!」

揺さぶってヨレヨレに伸びた襟をぽいっと放り、二人の光景を微笑ましげに眺めていた頭へとリョウは泣きついた。揺さぶられるだけ揺さぶられて放り出された兵助は、襟を直しつつ憮然として顔を顰めている。リョウの頭を撫でつつ、頭は目元を緩ませた。

「まぁまぁ、兵助はリョウが心配だったんだろう」

「私が下手打つって?何それ、私のことナメてんの!?」

「違う!」

「何が違うっての!私はこの城のくのいちなの、兵助!あんたに心配されるようなことないっつーの!」

くのいちが忍務を行う際、大体のくのいちには忍者が監視として付くことが常だ。くのいちが男の気を引いている間に忍務を遂行するという目的もあるが、くのいちが標的とするべき相手に絆されたり、本気になって裏切ったりしてしまわないように見張るという意味で組むことが多い。それを踏まえた上の意味で、リョウは兵助に対して憤慨していた。侮られたと捉えたらしい。柳眉を顰めながら、自分より背の高い兵助を見上げて言い放つ。ビシリと突きつけられた指先は、何故か妙な威圧感を放っていた。

「リョウ…」

「次邪魔したらいくら忍術学園からの縁でも、許さないからね」

眉を下げて佇む兵助の顔を一度見遣り、ふんっと肩を怒らせながらリョウはその場から立ち去る。その背へと何かを言おうと兵助は口を開くが、二三度開閉して諦めたように閉ざされた。





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