「……頭の中で、私じゃない誰かが、久々知のことを"好き"だって言うの」

「………え、」

「久々知に名前を呼ばれる度に、久々知を見る度に、"嬉しい"って私じゃない誰かが泣いてるの」

「……リョウ、それは」

「でも、それは"私"じゃない」

「……!」

いつからだっただろう。いつからか相反するように生まれていた誰かの感情だった。懐かしいと感じる何かも好きだと感じる何かも、全部そこから生まれるかのように奇妙な感覚だ。私じゃない"私"によって突き動かされる気持ち。だから愛と呼ばない。恋と名付けない。名前を付けたその瞬間に、私はその"誰か"に負けてしまった気がするから。

「…久々知を見てると、苦しくて苦しくて堪らなくなるよ」

「リョウ…、」

「もしも、」

「……?」

「もしも、私が」

嘘じゃない、誰のものでもない、これが私のただ一つの感情。いつかの久々知と全く同じことを願う日が来るなんて、私は想像も付かなかった。私は愚か者だ。今更になって、あの時の久々知の苦しそうな表情の理由が少しだけ分かった気がする。




「久々知を好きだって言ったら、ちゃんと私の言葉だって…信じてくれる?」




私自身のたった一つの思いを、ただ信じて欲しいと願うことが、こんなにも苦しいのだから。


「………っ、!」

カシャンと、久々知の伸びた掌が私の両脇のフェンスを掴んで、軋んだ金属の音が響く。すぐ真上の久々知の瞳から、静かに涙が零れ落ちた。戦慄いた唇が言葉を紡ぐこともできずに震えている。私は、そっと涙に濡れる頬に手を伸ばした。久々知がゆっくり瞳を閉じる。眦に溜まった雫が流れた。ねぇ、泣かないで。私と"私"がそう呟く。そう言った私の瞳からも、するりと涙が零れ落ちる。ねぇ、やっぱり苦しいよ。今の久々知を見てるのは、私には辛い。涙に濡れた双眸が開かれて緩やかに瞬く。顔の横で、ギシリとフェンスの軋む音が聞こえた。

「リョウ」

「…なに、」

ふわりと瞼の上を、久々知の冷たい掌が覆った。視界が真っ黒に塗りつぶされて、久々知の低い声だけが私の耳元で響く。

「リョウが、もし俺のせいで辛くなるなら、今はこうしていて」

「……………」

「ごめん…どうしても、俺はリョウを離せないから」

「久々知、」

「リョウの言葉を、俺が疑うわけがないだろ。その言葉を、もう一度…いや何度でも聞きたくて、俺はここにいるのに」

優しい声音が、私の心に深く沈んでいく。遮られた視界の向こう側で、今久々知は笑ってるのか泣いてるのか、それともやっぱり寂しそうに笑っているのだろうか。私があれだけ否定した感情を、久々知はすぐに信じてくれる。

「俺は、リョウの言葉を信じるよ。だからその代わり、」

指先が取られて、ゆっくり絡められる。そのまま久々知の掌ごとフェンスに押し付けられた感覚がして、私は思わず息を詰めた。切なそうな声音が、耳を掠める。頬を涙が伝っていく感覚がした。



「俺の、リョウへの気持ちだけは…信じてくれ」



落ちてきた言葉の後、冷たい唇が私のそれに触れて、重ねられる。久々知の掌の下で目を見開くけれど、ただ同じように黒が広がるだけだ。押しつけられた掌を動かせば、ぎゅっと強く握られた。

ゆっくり触れて、少し離れたかと思えばまた口付けられて。何度も何度も、まるで慈しむように触れるから、ぎゅっと心臓が掴まれたように切なくなる。けれど優しく啄むようなキスに、私はゆっくり目を閉じた。

「…リョウ、」

合間に聞こえた小さな私の名前に、思わず私の指先が久々知のシャツへ伸びた。布越しに久々知の鼓動が伝わる。また唇が離れて、互いにはぁっと詰めていた吐息が零れる。

「…久々、知…ちょっと、」

「ダメ待てない」

「…っ誰か、来たら…」

「もう昼休み終わるから、誰も来ないよ」

そう言い切って、会話のための僅かな距離さえ惜しむかのように再び唇が重ねられた。さっきよりも少しだけ深く重ねられたそれに、吐息すらも奪われる。くらりとする頭で、必死に言葉を紡いだ。

「もう、大丈夫だから…手退かして」

「…ん、じゃあ兵助って、俺のこと呼んで、リョウ」

「……っ、え?」

「これからもずっと、そう呼んで」

黒が視界を支配する向こう側で、久々知がそう囁く。もしも兵助って呼んだら、久々知はあの時と同じような顔をする?それとも、今度こそ笑ってくれる?何度も声に出そうと唇が開閉するが、上手く言葉にならない。久々知の顔が見たい。今度は、太陽みたいに笑って欲しい。


「…兵助、」


覆われた掌が離れて、視界を眩しい光が真っ白に染める。眩しさに少し目を細めて、私の掌の先の感触を辿る。

「兵助、」

涙が零れ落ちそうな私の目の縁を唇でなぞって、兵助は私を見つめる。日溜まりのように暖かな笑顔。ねぇ今度こそ、私はあなたを傷付けることなくその名を呼べた?

「好き、大好きだ」

堪らなくなって、瞳を閉じればまた口付けが降ってくる。頬が熱い。ざぁっと吹き抜けた風が、午後の授業の始まりの鐘の音を運ぶ。


この感情を何と呼ぼう。
愛しいとも恋しいとも
それだけじゃ足りない。
運命で片付けたくなくて
偶然じゃ収められなくて
必然と名付けたくなくて

名前なんて、付けられない


目に見えない、私の気持ちをどうか信じて。その言葉を、熱を、鼓動を信じるから。頭の中で響くこの残響が消えても、君の名前を呼ぶから。


Lost Echo



これは全部、私の意志





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