下駄箱から取り出した靴を手にしながら、リョウはこちらを見て固まっていた。 「………部活は」 「今日は休み」 「そこで何してるわけ」 「リョウを待ってた」 「なんで」 「一緒に帰ろう」 そう返せばリョウは脱力するように深い溜め息を零す。慣れた反応だけど、やはり少し悲しくはある。でも気にしていたら所謂ツンデレなリョウはキリがないからだ。たまに見せるデレが可愛い。 「それでわざわざ待ってたの…」 「だって、友達なんだろ?」 トドメの一言を告げれば、リョウはうっと言葉を詰まらせた。"友達"はリョウが最初に言ったんだから、今更取り消しはナシだ。 「だから、俺と一緒に帰ろう?」 もう一度告げる。肯定以外の返事は受け入れない。 空もオレンジ色に染まる夕暮れ時。伸びる二つ分の影。今俺の隣にリョウがいる。泣きそうなほど嬉しくて、こんな奇跡はない。リョウがいなくなるなんて、俺にはもう耐えられるわけがなくて、この間授業中に倒れた時だって、震えが止まらなくなるほど怖かった。リョウのいない世界じゃ息もできなくて、きっと苦しくてたまらなくなる。 "私、ここにいるじゃん" その一言に、手に感じた温かい体温に、俺はまるで救われたような心持ちになった。リョウは今、俺の目の前に、手の届く場所にいる。それだけで俺の中の恐怖も不安も、全部吹き飛ばしてくれる。 「なにぼーっとしてるの?」 「え、?」 「久々知はいつも大体は無表情だけど、こないだからぼーっとしてることが多くなった」 「そう、か?」 「うん、こないだの体育の時から何となくね。そんなに私心配かけた?」 「当たり前だろ、俺はリョウがいなきゃ生きてけない」 「なにそれ、また大げさな…」 そう言って怪訝な表情を浮かべるけれど、本当に嘘じゃない。というか俺は今まで一度だってリョウに嘘なんか付いてない。並ぶ俺の影とリョウの影。影の中の俺の指先が揺れて、リョウの指先と重なる。手を繋いでるみたいだ。リョウは俺が手を繋ごうとすると怒って振り解こうとするから、せっかく一緒に帰ってくれた今日くらいは怒らせたくない。 「リョウ」 「なに?」 「リョウは何が好き?」 「はぁ?なんなの唐突に…」 「リョウの好きなもの、知りたい」 思えば、リョウとこんなにゆっくり話すなんて初めてかもしれない。いつも俺がリョウを怒らせて逃げられてしまうから。それでも最近は、少しずつだけど俺と向き合ってくれるようになった。慣れてしまったともいうけど。それでもいい。初めは出会えただけで奇跡だと思った。けれどやっぱり俺の隣にいてくれなきゃ物足りなくて、そうしたら今度は触れていたくなった。人間は欲張りだ。満足を覚えたらもっとと次をねだる。それでも神様は、俺の願いを叶えてくれた。 "もう一度、リョウと生きたい" リョウの亡骸すら燃やし尽くした焼け後を見ながら、そう願った。悔しくて悲しくて寂しくて気が狂いそうだった。 "この戦が終わったら、夫婦になろう" そう告げた俺に、リョウは嬉し涙を流しながら頷いてくれた。幸せが待ってる筈だった。その約束すらも、守られないまま俺は絶望を味わったけど。それでも、たった1人で炎に焼かれて死んでいったリョウの苦しみや絶望なんかに比べたら、小さなものだろう。この出会いは奇跡、そして切望した願い。 だから俺は、 今のリョウをもっと知りたい。 「教えてリョウ、何が好き?」 「うーん…二度寝とか?」 「他には?」 「そうだなぁ、…改めて好きなもの聞かれると難しいんだけど」 「じゃあ好きなタイプ」 「タイプ〜!?それ知って久々知どうすんの」 「頑張る」 「っく、あはは何それ」 リョウが可笑しそうに笑い声をあげた。この間初めて向けられた笑顔。胸が苦しくなって、でも嬉しくて嬉しくて、俺は思わず泣いた。リョウが笑った顔はまるで太陽みたいだ。心が暖かくなる。晴れ渡る。 神様、今リョウが笑っています。 俺の隣にいてくれます。 この平和な世界で、生まれ変わったこの世で、誰よりも大切なリョウが笑っています。もう二度と、リョウを失いたくないんです。今度こそ、俺が守っていくんです。例え、彼女が約束を忘れてしまったとしても。約束はもう一度紡げるから。 「久々知の好きなのは…まぁ聞くまでもなく豆腐だよね…」 小さく笑い声をあげながら、リョウが俺の前を歩く。風に揺れた黒髪。重なる光景は今じゃないあの日で。彼女は彼女ではない。それでも、俺は何度だって、リョウを好きになる。今までと違うところも初めて知ったところも、全部が今のリョウだから。 「リョウ」 「なにー」 だから、 「初めて会った日の、やり直しをさせてくれ」 「………え?」 この世界が色付いたのは、現世のリョウに出会った春のあの日。桜が降る中で振り返ったリョウを抱き締めた。約束を思い出して欲しかった俺は、何もかも飛び越えていきなり夫婦になろうと言ってしまったけれど。それよりも何よりも、伝えなきゃいけないことがあった。 今度こそ、 しっかりとリョウに伝えるから。 だからちゃんと聞いて。 「…リョウが好きだ」 振り返ったリョウが、少しだけ目を見開きながら立ち止まる。いつもみたいに軽くあしらわれて、私のことじゃないでしょって怒らせてしまうかと思ったけど。リョウの瞳が俺を見つめる。俺も見つめ返す。リョウの瞳が揺れて、口が何かを言おうと何度も開く。困ってるのだろう。困らせたいわけじゃなかったのに。 「返事はいらない」 「……久々知、」 「兵助って、呼んで」 少し開いていた距離を詰める。影でしか掴めなかったその指先を繋ぐ。 「今はそれだけでいいから」 縋るような声音。繋がれた指先は解かれない。俺を見上げるリョウを見つめる。唇が音を奏でた。 「……兵助」 その声が、この世で一番好きなんだ |