「リョウ!」

今日は暑い日だった。何が嬉しいのかと問いたくなるような笑顔を携えながら、久々知が私を呼ぶ。面倒くさそうに振り返ってやるのに、気付いてるのか最早開き直ってるのか、久々知は大して気にも留めていない。ため息が零れる。きょとんと久々知が首を傾げた。お前が原因だよ久々知。

「…久々知、あんたの行く場所はあっちでしょ」

体育館の暑さと久々知にげんなりとそう呟いた私の手にはバレーボール。そしてあいつも私もジャージ。今は体育の時間であって、間違っても休み時間などではない。だから男子の輪を飛び出していざサーブを打たんとする女子に話し掛ける時ではないのだ。

「リョウサーブ打つの?真剣な表情も好きだ」

「お前の顔面にサーブ打ってやろうか」

イラッとして手でボールを弄びつつ告げてやるが、馬耳東風。本気であっち行って欲しい。そうこうしてる間に同じチームの子から「リョウ〜いちゃついてないで早くしろ〜!」と声が飛んだ。誰がいちゃついてるんだ。彼女には後で色々お話させて貰わねばならない。女同士の。

「久々知、気が散るからあっち行って」

「…………」

「そんな目したってダメ、ハウス!」

「俺のハウスここ」

「勝手に住み着くなバカ!」

すっかり犬扱いが定着した久々知がコートの隅に腰を下ろす。ああもう男子はすっかり諦めモードだし、期待はできない。頬を流れる汗を徐に拭いながら背を向ける。こうなったらもう決めた。

完全無視だ。

「いくよー!っえい!」

「取って取って〜!」

「レシーブレシーブ!」

久々知の完全無視を決め込んだ私は、コートでボールを追う友人達に加わる。大して運動が得意なわけでも何でもないが、それなりに真面目に体育はやっとかないと補修とか面倒だ。それにしたって暑い。ムンムンするような蒸し暑さに体育館は籠もった熱が満ちて暑い。サウナみたいで何だか頭がぼーとしそうだ。流れる汗を体操服の袖で拭った。

レシーブ、トス、アタック

ボールが手から手へと跳ねて、打ち込まれ、そしてそれを繰り返す。ぼんやりと頭に霞みが掛かるように視界が揺れる。レシーブトスアタック、レシーブトスアタック、何故か目の前のこの光景にどこかおかしな感覚が芽生える。同じなのに違うと脳内が叫ぶような、奇妙な感覚だ。

暑い夏
入道雲と蝉の声と揺れる紺と緑
吹いた風と誰かの声

青い空に響く



『――せんぱ、アタッ―…ぎ…!』

『…ちょ…――危な…―…だ!』

『…だから――…って言って…』




『リョウ、』




「…!?」

手から手へと跳ねるボールが焼き付いたような、まるで映写機か何かが頭の中で回されるようにセピアとカラーの光景が重なる。体が動かない。息が詰まる。頭が割れるように痛んだ。背筋を冷水が伝うかのようにざあっと血の気が引く。目眩がして立っていられなくなった。

だれかがわたしをよんだ。
それがセピアの中からなのか、カラーの中からなのか、暗闇に沈んだ私にはどちらも区別を付けられなかった。







「………、?」

目を開けた、ら天井が広がっていた。見覚えのある天井だ。白くて蛍光灯の付けられた、何度となく見る学校の保健室の天井だ。

「………リョウ?」

「……久々知…、」

ぼうっと回らない思考で天井を見上げる私の視界に、突然久々知が入り込んだ。相変わらず睫の長い男だ。綺麗な顔しやがって羨ましい。それに低くて耳触りの良い声してる。それにしても私、その声どこかで聞いたような。


「…あああ!?なに!?私なにどうしたの!?体育から記憶ブッツリないんだけど!!」

ガバァッと突然跳ね起きた私に、久々知はしばし目を点にしたかと思うと、肩を竦めながら再び私をベッドに押し戻した。なんだそのやれやれって顔は。

「軽い熱中症でバレーの試合中にぶっ倒れたんだぞ」

「………え。」

「なんか試合中ぼーっとしてるかと思えば突然目の前でぶっ倒れて…、俺がどんだけ心配したと思ってるんだよ」

怒ったような泣きそうな、再びベッドに横になった私を久々知はそんな表情で覗き込む。そんな心配される程私は唐突に倒れたのか。倒れる瞬間に聞こえた気がしたのは、やっぱり。

「……久々知の声か」

「え?」

「あ、いや…何でもない。ごめん、心配かけて…保健室連れてきてくれたの久々知だよね、ありがと…あの、先生とか」

「リョウの家に連絡入れるついでに、病院にも一応連絡するって。熱中症だから一応病院で受診ぐらいはしといた方が無難だって」

「そっか…なんか大事になっちゃったなぁ…ちょっと目眩しただけなんだけど」

「当たり前だ、熱中症を甘くみるなよ。それで死ぬ人だって、いるんだから」

「ああうん…気を付け、」


一瞬だった。
久々知が泣きそうな顔をしてるのに気を取られたその一瞬。私を覗き込んでいた久々知の端正な顔が近づき、首筋に埋められる。横たわる私の体に久々知の腕が回されたかと思えば、ぎゅっと固く抱き締められた。

何するんだ離せ変態といつもみたいに振り払ってやる筈だった。そうしたら久々知はいつもみたいに少し拗ねたような表情をしながら、私を離してくれる筈だった。


久々知が、震えてさえいなければ。


「、くくち…何、どうしたの」

「よかった…」

「はぁ?」

「リョウが、いなくならなくてよかった」

訳の分からないことを呟きながら、縋るようにきつく抱き締められる。震えるなんて、久々知は何をそんなに怖がってるの。私はここにいるし、第一このぐらいじゃまだまだ死にそうにもないくらいにピンピンしてる。確かに熱中症は怖いかもしれないけど、そんなに震える程私は危なかったのだろうか。

「ねぇ、久々知が何をそんなビビってんのか分かんないけど…」

「…………」

「私、ここにいるじゃん」

顔を上げた久々知と私の視線が鉢合う。ゆっくり見開かれた久々知の瞳。ああやっぱりこいつ睫長い。憮然とした私の表情に、ようやく久々知は泣きそうな瞳を緩めた。そしてまたぎゅうっと抱き締められた。今度は震えていなかった。

「リョウ、好き、好きだ、大好き」

譫言みたいに呟かれる好きの言葉。再び顔を首筋に埋められたせいで耳元で聞こえる。無意識にカッと顔面に血が上った。無駄にいい声がリョウ、と私の名前を囁いて、向けられる熱の籠もったような瞳。もう震えていない。心置きなく私はにこりと笑顔を向けた。もちろん青筋付きで。


「離せこのド変態!!!」



既視感の中の喪失感




ただ、私は何かを無くしている気がするの。私の名前を呼んだ、セピア色の光景の中の、


何かを。


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