「で?リョウは何で機嫌いいの?」

にこりと効果音が聞こえそうなほど、氷の女王は眩しい微笑を私へ向ける。ああ、私が彼女の興味の対象になる日が来るとは思わなかったな…と少しだけ遠い目をしてみせながら、深く溜息をついた。

「珍しく掘り下げるね…」

「リョウ1人でいい思いしてるなんてずるいと思って」

他人の不幸は蜜の味がモットーな彼女は他人の幸せまでも己の蜜としたがるようだ。ますますガクリと力の抜けた肩を直しつつ、「あんたはそーいうやつだって忘れてたよ…」と小さく心の中で呟いて見せた。観念して、廊下の木目を見つめつつポツリと零す。

「まぁ、なんていうか天女サマが理由なんだけど」

「へぇ?」

口元だけで笑いながら友人は首を傾げる。私がロクなことを考えていないというのは彼女にはお見通しらしい。くのいちにとって、自分に害があるかないかということが非常に重要となる。天女サマは私にとって利用価値のある存在。だから喜ばしい、整の感情で以て彼女を迎えられる。私の口元が弧を描いた。さっき槍が降ると称されたが、抑えられない感情が表情となって表れる。そう彼女は天女。待ち侘びた私の最後の切り札。



「よくぞ来て下さいました天女サマ、ってとこかな」



「悪そうな顔……」

呆れたような友人の声を聞こえなかったことにして、足取りも軽く廊下を進む。天女サマの出現に浮き足立つ学園内は、僅かに以前とは空気を変えていた。忍たまって本当に馬鹿だ、1人の女の存在だけでこんなにも乱れてしまう。ふわふわと浮ついた空気が支配する学園を、私達くのたま一同は静かに静かに傍観する。そしてひっそりと嘲笑っている。ああ、馬鹿な男達と。

「でも天女サマが来てくれて、何か私達に利点なんてあったかしら?忍たま共が腑抜けて罠に掛け易くなったこと?それともくのたまに言い寄る勘違い男が減ったこと?」

「いや、そうじゃなくて…これは結構個人的な、」

「、……」

ピタリ、足を止めた私に同じく友人も立ち止まる。そして大きく溜め息を吐いた。私も友人もだ。もう呆れて溜め息しか出てこない。そう、それは私にとって厄介以外の何者でもない、是非ともいい加減にして欲しいと切実に思う対象。その僅かに漏れた気配を敏感に感じ取り、即座にその場で重心を下げる。

「理由はひとつに決まってる」

舌打ちをかましながら勢いよく振り返れば、まさに奴が飛びかかってくる瞬間だった。

「いい加減にしろ!!鉢屋!!」

「っ相変わらずだな、リョウ!」

飛びかかってきた鉢屋に思い切り上段の回し蹴りを見舞う、が小賢しいことにその場でしゃがまれ避けられる。そういえば武術でも大層な成績を納めてたんだっけか。いちいち頭にくるやつだ。しゃがんだと同時に足を掛けられそうになるが、そうはさせない。回し蹴りの勢いを利用し、後ろへ飛び退く。距離をとって、構えを解かないまま目の前でにんまりと笑った腹立たしい顔を睨みつける。

「あのさ…気配を消して飛びかかってくるなって何回言えば分かってくれんの」

「いや、リョウに会いたくて」

「先輩付けろ!一応あんたより上級生だっつーの」

「私とリョウの仲じゃないか」

「礼儀を飛び越える程親密になった覚えはない」

にまにまと腹の立つ笑みを浮かべるこいつ、鉢屋三郎。こいつこそ、私にとって天女サマの存在価値であり理由であり最も虜にして欲しい相手の1人である。主にコイツを初めとする五年生。とにかく何でもいい、こいつは何で天女サマが滞在中だというのにこんなところへ来るんだ。私の筋書きではこいつも五年のあいつらも全員天女サマにべったりしてる予定なんだ。

なのに、なんでこいつはここにいる!?

「…鉢屋、お前まさか知らないんじゃ…?」

「何をだ?リョウのスリーサイズか?」

「違う、お前後で塵にしてやるから覚えとけよ。天女サマだよ、天女サマ」

ぐるぐると肩を回しながらそう返した私へ、鉢屋はキョトンとした表情を浮かべている。ま、まさか本当に知らないんじゃないだろうなコイツ…。予想外の計画の乱れにさぁっと顔が青くなりかけたその時だった。冷水のような冷たい響きの友人の声に遠のきかけた思考を取り戻した。

「この間から学園中が騒ぎになってるでしょう」

我関せずを貫いていた友人が鉢屋に告げる。彼も彼で、もちろん知っているといった表情で「あぁ!」と頷いていた。まさかの計画破綻かと焦ってしまったがホッと安堵する。まさかと思ったがいやいや焦った。少し冷静になろう。そうこめかみを揉みながら目を閉じるが、鉢屋の次句に思わずずっこけそうになった。

「いやそれよりもな、リョウ」

「いやいやおかしいおかしい、これ以上最重要事項ないと思うんだけど」

「だって後輩達に『そういえば天女サマが現れた日、リョウ先輩がその場で固まって口元を手で覆ってて、泣いてるかと思いました』って聞いてな、まさかリョウは俺が天女サマに夢中になってしまうことを恐れてひどい孤独感に襲われたんじゃないかと考えて、これは付け入る絶好の機会と」

「…ひどいのはあんたの妄想だよ」

誰だ、鉢屋にこんなこと話した後輩は。ちょっとお呼び出しして色々教育し直してあげたい。ほんのちょっぴり恐怖心を植え付ける程度にだけども。鉢屋もその辺は心得ているのか、敢えて後輩の名前を出すことはなかった。本当にいちいち小賢しい奴だ。

鉢屋と話しているとだんだん頭が痛くなってくる。大きくため息を吐いた。

「なぜリョウはそんなに私を天女とやらのところへ行かせたがる?」

ギクリ、鉢屋の素朴な疑問に内心で思わずそんな音が鳴る。正直に言ったら言ったでまた厄介なことになる。ここは誤魔化すのが吉か。鉢屋は妙なところで勘が働くから厄介だ。パッとこめかみを押さえていた手を離して、何気ない風を装ってみせた。

「天女サマ、絶世の美女だったから美人に目のない鉢屋は一目散に彼女見に行くだろうと思ったんだ。どんなもんか聞いてみようかと思って」

「…ほぉ、リョウがそこまで絶賛するほどなのか」

「!そ、そりゃもう!」

だからお前早く行けよ!言外にそう含ませながら、何やら考え込み始めた鉢屋をチラリと盗み見る。あと一押しか!?だああもうしつこいんだからコイツ!顎に手を当てながら、何かを思案するように視線をさまよわせ、一度私をまじまじと見つめるとポツリと呟いた。

「…一度くらいは様子を見てみるか」

「(っしゃああ!)行ってこい行ってこい!さぁ行け今行けすぐ行け!」

「…でもなぁ、」

ちらりと眉毛を八の字にさせながら視線を向けられる。一体どこをどう考えたら私が寂しがるなんて結論に至ったのだろう。不可解だ。むしろあんた達から解放されたくてこんなにも必死だというのに。鉢屋の脳内が理解できない。

「私のことは気にしなくていいからさ」

「…………」

「ああそういえばシナ先生に課題のことで聞きたいことがあったからこんなことしてる場合じゃないんだ。ホラちょうどいいから鉢屋も行ってきなさい」

「…仕方ない、どれほどのものか私が見てくるか」

「いってらっしゃーい!!」

大きく手を振り送り出して、保健室の方向へと歩き出した鉢屋の背中に向かってべぇっと舌を出す。嘘付くのが本業なもんだから、悪いねぇ。

「あーよかったよかった」

ホッと胸を撫で下ろした私を傍目で傍観していた友人は、呆れたような表情で私へ視線を送った。

「そういうことね、でもそんな上手くいくのかしらね」

意地悪な彼女の言葉を受け止めつつ、私は再び天女サマの姿を思い返す。漆黒の絹糸のような黒髪に白魚のような手、そして縁取る長い睫と薄く色付いた頬、桜色の唇。完璧じゃないか、私は自信満々に友人へと笑ってみせる。

「大丈夫、天女サマを一目でも見ればトントン拍子に事は進むから」

「そんなすごいの天女サマ」

「そりゃもう、彼女を見て下半身にこない男は間違いなく不能だというくらいに」

「あら傾国ねぇ、そしてリョウの発言が下品すぎて女と思えない」

「くのいちやってれば嫌でも下世話になりますから」

こんな会話、行儀見習いで入学した後輩達には聞かせられないな。それこそシナ先生に品がないと叱られかねない。にやりと友人と顔を見合わせながら笑う。それにしても傾国だなんて、くのいちの素質バリバリだと思うんだけど。男を誑かす能力を生まれながらにして備えているということでしょ?やっぱり警戒はしておいた方がいいのかもしれない。くのいちだったとしたら相当の手練に違いない。なんて、そんな風に考えてしまう私も根っからのくのいちなんだろうけども。数年前はこんなに染まりきっていなかったのに。私もいつの間にか無意識に『くのいち』へと近付いていたらしい。

「あの頃は純粋だったなー…」

「リョウ、それどれだけ昔の話?」

「失礼な、まだ数年前の…「リョウーーー!!」ああもう!!!」

二度目のタックル。先ほどと同じく重心を落とすと、今度は飛びかかってきた腕をその勢いのまま背負い投げて放る。吹っ飛んだ鉢屋は見事にくるくると着地した。軽やかな身のこなしが実に腹立たしい。あとそのにやついた表情も物凄く腹立たしい。…っていか、

「鉢屋…行ったんじゃなかったの…?」

「やっぱり寂しいんじゃないかと思い直して」

「思い直すな過去を振り返るな前向いて進んでけ!!!」

私の絶叫が廊下に轟く。なんというしつこさだ、鉢屋三郎。ギリリと拳を握り締める私へ氷の女王様は「リョウ、それ名言ねぇ」と優雅に拍手を送っている。どこまでもくのいちな友人の言葉に私は再度項垂れた。




無情なる夢


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