「…なんかやけに機嫌いいわね、リョウ」

水のように滑らかでしかしまるで氷のように冷たい耳ざわりの良い声に私はハッとその声の主へと視線を向けた。どうやら無意識ににやついていたらしい。怪訝そうな表情を浮かべた友人に突っ込まれてようやく自分の口元がだらしなく緩んでいることに気がついた。

「え?あ、…ああそう?」

いけないいけない、これじゃただの不審人物だ。ごほんと咳払いを一つしながら自分の表情を引き締めなおした。無意識ににやけてしまうのも仕方がない。ようやくあと少しで私の野望が叶うのかと思ったら、たとえ鉄仮面と呼ばれている私だってにやけずにはいられないのだ。私だってまだくのいちの卵なのだから、時々心の声が顔面に現れてしまってもおかしくはない筈だ。しかし、どうやらそれは私の中だけの話であって、世間一般から見たらどうにも異常事態らしい。

「あんたがそれだけにやけてるのは珍しいから、忍たま共が見たら大騒ぎするわよ、槍が降るって」

「槍って…」

揶揄するように笑う友人をジトリと睨み付けてみるが、涼しい顔で流されてしまう。やはりあんまり所構わずにやついてしまうのは気をつけよう、と何となく心に誓ったその時だった。先を歩く友人が肩越しに振り返りつつ、妖しげに微笑みながら私へこう尋ねた。


「そういえば聞いた?“天女サマ“」


まさかこの友人の口からその言葉を耳にするとは思わなかった。頬を引き上げていた手をそのままにピタリと歩みを止めて彼女を仰ぎ見る。恐らく虚を突かれたような表情を浮かべているであろう私を鼻で笑いながら、友人はその問いへの返答も待たずにさっさと前を向いて再び歩き始めてしまった。



この学園で現在『天女サマ』と呼ばれる彼女。何とも驚いたことにあれから目を覚ました彼女は『未来から来た』などとのたまったらしい。落ちてきた衝撃か何かで気でも違えたのだろうかは分からない。そしてそれが本当か否かも分からないが、あんな傷一つない美しい手をみる限り、どこかのくのいちであるという可能性は低そうだ。くのいちだって一応女である。それなりに手入れしたりしているけれど、私達くらいの上級生になるとそれだけでは隠しきれないほどに胼胝ができてしまったりはする。それが、あの人には何もない。本当に、何の苦労も知らない美しいまるで姫君のような手。


まぁ、この際彼女の正体がくのいちだろうと本物の天女サマだろうとどうでもいい。くのいちだとしたらよくもまぁ容易くこの学園へ忍び込めたものだ。見事に彼女の色に引っかかった忍たま共にも責があるとは思うが、それはこちらが馬鹿だったというだけのこと。私達くのいちはそれを嘲笑っておしまい。私にしてみたらくのいちだろうが何だろうが、私の筋書き通りの役割をこなしてくれるなら何だっていい。ただ、私にとって有害だと判断した時は容赦なく葬らせていただく。そうでないなら学園を混乱の渦に巻き込もうが、手玉に取って忍たま共の美味しい情報を持っていこうが、腑抜けさせようが好きにすればいい。ただくのいち教室に手出しはさせまい。侮るは忍者の三病とも言うが、最大限の警戒と共に利用させてもらうのだから文句はないだろう。


そんな得体の知れない彼女は、とりあえず今のところ『天女サマ』ということで学園内には広めてあり、現在は医務室にて療養兼監視下に置かれている。それが、私の得た情報。



(それにしても…、)

この友人がいくら”天女サマ”とはいえ他人に興味を持つとは何とも珍しい。内心驚きながら、相変わらず何を考えているねか分からない友人の顔を探るように見つめた。何かをしてやろうという気は無いらしい。そして何かを企んでいるという様子でもない。私の作戦を成功させるためにも是非ともこの友人には手を出さない方向でいてもらいたい。本当に切実に頼みたい、後生だから。心の祈りが届いたか届かずかは私の与り知ったことではないが、多分彼女の顔色をこれ以上覗ったってその心なんぞ読めるわけがないと諦める。珍しく他人へ興味を示した友人の話題に被せるように、私も天女サマの落ちてきたあの日の光景を思い出した。

「天女サマ、ね…それで?氷の女王様は天女サマの一体何にそんなに興味をそそられたわけ?」

私の問いかけに、友人は寒気のするほど美しい笑みを浮かべてみせた。

「天女ってやっぱり羽衣使うのかしら?」

「……知りたいとこってそこなの?」

「天女は羽衣を隠したらどういう行動を取るのか気になるの、まぁ本物ならの話だけど」

満面の笑みでそう話しているが、鉄仮面と評される私とは対照的に彼女はある意味で他人に全く表情を読ませない女だ。つまり、心の声が表情に直結しない。心では般若の如く激怒していても表情はまるでそれこそ天女のような笑顔を浮かべることもできる。だから、六年という歳月を彼女と共にしている私ですら彼女の本当の心は分からない。そしてこの友人は疑問を疑問のままにするということを良しとしない。そして、読書家だ。自分自身の知識を深めることが根本的に好きなのだ。しかし、興味のないものに対してはとことん無関心。故に、一般的な観点とはかけ離れたモノの見方をする。そんな彼女は、私が知る限り最もくのいちという気質を備えた“学園一くのいちしてるくのたま“なんて、どっかのギンギン男みたいに評され、私達最上級生も含め、全くのたまの憧れであり理想のくのいちであると言われている。

故に畏怖と尊敬と僅かな皮肉を込めて付けられた異名が“氷の女王様“

まさにその通りだという話は、まぁ今は置いておこう。

私はふと地面に横たわる天女サマの姿を再度思い返した。遠くからではっきりとは見えなかったけど、なんかヒラヒラした布みたいなものは一緒に降ってきてた気がする。しかし羽衣という感じではなかったような。

「羽衣なんか持ってたかなぁ…?」

「なんだつまらない」

「まぁ、天女みたいに美しい人だったっていうのは覚えてるけど。細いし白いし、どこかの姫君みたいだった」

「ふうん…」

それはそれは面白いことになりそうね、と鼻で笑い飛ばす友人に、私も苦笑で返す。きっと下級生のくのたま達からしたら、天女サマは憧れもしくは嫉妬の対象になるのだろう。私達上級生はくのいちである自分自身に誇りを持っている。だから彼女と自分たちを異なる世界に生きる存在だと割り切ることができる。

だってそうだろう、私達が強く美しくあれというのは、全てくのいちという誇りのため。色を使い己の体を駆使して、私達は忍を全うする。だからこそ、それに耐えられないというものはここを自ら去るより他に道はなかったのだし、ここまで残っているということはつまりそれなりなのだということ。


色を使うことに何の躊躇いも抱かない、それが私達くのいち上級生。


愛を嘯き、色を操り、使えるものは親でも使う。


例え冷酷無慈悲と言われようが何だろうがこの世の中、所詮甘さなんて垣間見せた方が負けるのである。



氷の華

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