「あの…留君違うのこれは…!」

「天城さん下がっていてください、こいつは俺が」

「違うの!リョウさんは悪くないの!」

「………………」

「こんな奴のことなんか庇う必要ありませんよ!」

「待って落ち着いて!ちゃんと話を…!」

「コイツと話すことなんか何もありません。おいリョウ、俺と勝負しやがれ!今日という今日は許さねぇぞ!」




「はぁ?」




ぎゃあぎゃあと目の前で私から天城さんを引き離しつつこちらへ苦無の刃先を向ける食満。そしてその食満の横でオロオロと慌てて食満を引き止めようとしている天城さん。緊迫した空気を思い切りぶち壊すように、私の素っ頓狂な声が響き渡った。

「はぁ?って…お前…いい加減にしろよ…!」

形相を怒りに染め上げ、こちらへと殺気を向けながら食満が声を押し殺す。いい加減にして欲しいのはこっちだ。そもそも私は医務室に行くはずだったのにこんな厄介ごとに巻き込まれて。何だか目の前では正義ぶって天城さんにいいとこみせようと燃え上がっている暑苦しい男がいるし。あちらが燃え上がれば燃え上がるほどに私は氷点下まで冷え切っていく。今なら氷の女王にも負けないほどの冷気を発することが出来そうな気がする。それほどに、どんどん頭の芯が冷えていく感覚を自覚していた。あぁ、なんて情けない。

「お前は天城さんを傷つけた。つまり俺らを敵に回した」

「だから留君!これは私が自分で…!」

「いいんです天城さん、大体最近のお前は気に入らねぇ…昔から何考えてるか分かんなかったが最近はもっとわからねぇ」

「留君!」

「天城さんは知らないでしょうが、こいつはくのいち教室でも相当悪名高い生粋のくのいちなんです。言葉で惑わして平気で嘘を吐く、そういう生き物なんですこいつは!!」

「そんな言い方…っ!!」



ガァン!!!



金属の乾いた音がビリビリと空気を揺らし、残響と共に消えていく。壁に思い切り打ち付けた金槌から腕へと振動が伝わり、やや遅れて金槌の首がポキリと折れて地面へと落ちた。突然のことに、喚き合っていた二人は押し黙ってこちらへと驚きに満ちた顔で振り返る。細く長く息を吐き出して、固まった二人を思い切り鋭い眼光で射抜いた。

「ぎゃあぎゃあと…お前らうるさい」

私の地を這うように低い声が静かになったこの場に響く。首が折れて柄だけになった金槌を食満の足元へと放り投げ、大きく溜息を吐き出す。思い切り金槌を打ち付けた壁は、細かなヒビが入っている。ざぁっと風が吹き抜け、私の髪を揺らす。

「まず、お前らお互いに人の話を聞いたらどうなんだ」

私の言葉にうっと二人は顔を引き攣らせる。喚けば喚くだけ冷静な感情がどんどん失われるというのが何故分からないのか理解に苦しむ。天城さんの血が付いた苦無の刃先をピッと振れば、壁に僅かに血痕が飛ぶ。赤黒いそれを尻目に、二人へと一歩ずつ歩み寄った。

「食満、お前は来て早々状況も分かっていない癖になんの英雄気取だ?」

「なっ…!」

「別に私のことはなんと言ってくれようと構わない。生粋のくのいちだということも言葉で惑わして平気で嘘を吐く人間だということも、私にとってはとんだ誉め言葉だ」

「ぐっ……」

「けどな、」

一歩、一歩、食満との距離を縮めてその瞳を真っ直ぐに見つめ返す。私が近づくことを警戒してか、咄嗟に天城さんを自分の背後へと庇った。そんな彼らへ、私は苦無を向ける。刃先と共に彼らを貫くように、瞳を細めてみせた。


「お前のその”勘違い”が、一体何人を傷付けたんだ?」


私の言葉に、食満が僅かに目を見開く。その食満を尻目に、私は彼の後ろに僅かに見え隠れしている天城さんへも視線を向ける。

「あなたも…天城さん。そんな奴の後ろで、一体何をしているのですか?」

「え…?」

「庇おうとしてくれたことはよく分かります。けれどあなたが喚いてしまっては、却ってこいつらみたいな阿呆を煽るだけです」

「…………、私…」

「誤解を本気で解きたいのなら、どうしてそんな後ろでじっとしているのでしょう。今ここで私は食満の敵です。私が何を言ったってこいつの頭には入らないでしょう。だとしたら、誤解を解くのはあなたしかいない。それなのに、あなたはその思い切り誤解している阿呆の後ろでオロオロするばかり」

「おいリョウ…!」

「勘違い男は黙って、大人しく自分の勘違いが何だったのか冷静になって考えてろこの阿呆」

ピシャリと食って掛かろうとした食満へ言い放ち、再度天城さんへ向き直る。その表情から読み取れるのは、恐らく疑問と困惑。守られるばかりの彼女が、今まで向けられたことも無い言葉。それを言い放った私へと彼女はきっとこう思ってる筈だ。

『どうしてそんなひどいことを言うの?』


私は、自分の周りがどれほどに敵だらけになろうと構わない。そういう人間だと理解しているし、それを切り抜けるだけの手練手管も持っているつもりだ。けれど彼女は違う。何も持っていない。私の後輩に敵意を向けられてあれ程に怯えていた。彼女は他人の敵意に弱い。始めは、私の周りに纏わり付く五月蝿いあいつらを骨抜きにしてくれればそれだけで良かった。けれど、彼女はこのままだと確実に敵を作る。自分が意図しなくとも敵が生まれてしまう。誰にも憎まれずに生きてくなんて、そんなことは無理なのだ。彼女に生き抜いてもらわなくては、私が困る。いつか私が彼女を不要だと判断するその日まで。利用価値のなくなるその日まで。男共をどれほどに溺れさせようが私達くのいちには一向に構わないことだ。けれど、一人で切り抜けるだけの強さを持って貰わないと私が困る。

だって、ここはあなたのいた優しい世界じゃないのだから。


「あなたが原因で、誰かと誰かが諍うことはこの先も恐らくあるでしょう」

「………………」

「それは食満みたいな馬鹿男共かもしれないし、私達くのいちかもしれない」

食満の後ろから、スッと天城さんが前へと足を踏み出す。あっと食満が押し留めようとしたその掌を跳ね除け、私と食満の真ん中へと歩み出る。

「でも、あなたがやめさせたいと思うのなら、止められる争いはそう少なくはないはずですよ」

スッと天城さんが食満へと向き直る。食満の頬へと両手を伸ばし、困惑している食満の瞳を天城さんの瞳が真っ直ぐに見つめていた。途端にその顔を真っ赤に染めながら、食満が固まる。

「留君、私の話をちゃんと聞いて」

しっかりと食満の顔を自分へと向けながら、天城さんが静かに言葉を発する。明らかに真剣なその表情に、食満もコクコクとただ首を縦に振って口を引き結んだ。

「この切り傷は、私がリョウさんに苦無を持たせて欲しいってお願いして、うっかり自分で切ってしまったものなの。だから、リョウさんは何にも悪くないの」

「え……」

「リョウさんにひどいこと言ったの、ちゃんと謝って」

食満の顔が一瞬こちらへと向けられ、バツが悪そうにその眉が歪む。天城さんの掌が食満から離れ、ゆっくりとこちらへとその顔が向けられる。苦笑を浮かべるその表情は、年相応の大人っぽさが垣間見えた。

「あー…その…リョウ、」

「おう、なんだ早とちり留君」

「………すいませんでした」

「聞こえないな」

「悪かったって!俺、頭に血が上って…つい、」

口ごもる食満を鼻で笑い飛ばし、足元に転がる金槌の柄と槌部分を拾い上げる。ぽいっと食満へと投げ渡して、ひらりと手を振って踵を返した。

「それ、壊したからおあいこってことで」

「へ…ってあぁぁぁあ!!これ俺の金槌じゃねぇか!!」

「富松から預かった、確かに渡したからな」

「渡したって…壊してんじゃねぇか!」

「壁殴ったら折れたんだ、悪かったな」

「なにしてくれてんだてめぇぇぇ!!」

「んもうー!!喧嘩しないで二人ともー!!!」

すたこらと立ち去る私を追いかけるように二人の声が背後で響く。ああこれでようやく医務室へ行ける。痛む左腕を擦りながら肩を竦めてみせる。ふと立ち止まり、私を追いかけてくる食満を振り返った。

「そうだ、食満!」

「なんだてめぇこら弁償する気になったか!」

「なってない」

「あぁ!?」

「食満、偶然同時期に入学して偶然どっちも六年間在学して偶然会話するよしみだから言っておく」

「…またか!だから何のイヤミだそれ!」

苛立った様子で食満が頭をガシガシと掻き毟る。食満がもともとどういうやつかぐらい私も知っている。何せ六年間も同じ学園で過ごしてきたんだ。お前は本当は、面倒見が良くて私のようなロクデナシを放っては置けない、少しばかり単純でけれど一直線な男だって、知っている。

二年生の時に、くのいちの癖に生意気だと食って掛かってきた一つ上の忍たまに、事情を知りもしない癖に唐突に食満が乱入してきて、思い切りその先輩へ飛び蹴りをお見舞いしたことを私は今でも覚えている。あの頃から、お前は曲がった事の嫌いな一直線な奴だった。その一直線なところが、どうか裏目に出ないよう。


「お前はお前を見失うなよ」


薄く笑って、再び医務室へと足を進める。ぽかんとした食満の顔が最後に視界に写ったが、どうせ私にしちゃ珍しいこと言ったから呆気に取られているだけだろう。相変わらず失礼な奴だ。




「リョウせんぱーい」

「!」

突如声とともに上から降ってきた白い塊を受け止め、何かと掌を見下ろせば、握り締められていたのは真っ白な包帯であった。声の降ってきた頭上を振り仰げば、にやにやとした意地の悪い笑みを浮かべながら、猫のように枝に腰掛ける男がいた。

「…鉢屋…」

「いやぁ、もうさすが私のリョウ、格好良すぎて惚れ惚れするな!」

「誰がお前のだ誰が」

はぁと溜息を吐きながら、その場を後にしようと足を進める。スタンと背後で軽い音がして、鉢屋が当たり前のように私の隣を陣取った。

「…付いてくるなうっとおしい」

「またまたそんなこと言っちゃって。食満先輩にはあんな微笑んでみせたくせに先輩のために包帯を持ってきた可愛い後輩にはお礼の一つもなしですか」

「…ありがとうよ、分かったら離れろ」

「お礼は是非身体で!」

「調子に乗るなこの馬鹿」

勢いよく抱きついて来ようとした鉢屋を押さえつけ、チラリと手に持っていた苦無をチラつかせればちぇーと口を尖らせながら渋々といった態で離れる。ああもう本当に今日は厄日か。

「…リョウは、」

ポツリと私の斜め後ろを歩く鉢屋が小さく呟いた声が耳に届く。歩く早さを僅かに緩めながら、肩越しに鉢屋を振り返った。

「自分の為と口で言いながら、誰に対しても冷たく接しようとする」

「…それがどうした」

「でも、それはいつだって誰か他人の為でもあって、その度にリョウは自分が傷付こうとする」

「………何が言いたい」

立ち止まり、掴めない鉢屋の表情を見つめ返す。飄々としていて、その本意を誰にも悟らせない癖に、人一倍誰かに依存したがる。だから、こいつは他人への観察眼が恐ろしく鋭い。木の枝が揺れる音を響かせながら、風がその偽者の髪を揺らした。燈に透けたその髪が溶ける様に景色と混ざり合い、鉢屋の姿を朧にする。瞳を眇めて、その顔を見つめた。


「だから、私達はリョウが好きなんだ」


真剣な声だった。

苦しそうな、泣き出しそうな、なのに嬉しそうな自嘲的な笑みを浮かべながら、鉢屋が零した言葉に沈黙を返す。くのいちである私を好きだと告げる。鉢屋も、他の奴らも、馬鹿だと思う。私を好きになって、一体どうするというんだ。私は、天城さんのように真っ白にはもう生きれない。利己的に損得を考えなきゃ動けない。感情を押し殺すことは上手くなっても、感情を表現することはもうできない。

あぁ、本当にこれは早いとこ、天城さんへ興味を向かせなければ。取り返しの付かないことになる前に。そして、私自身のために。なぁ鉢屋、わかっているか。私はもう卒業するんだ。お前達とは敵になる。そんな依存して、私がいなくなったらどうする気なんだ。天城さんのように、私はずっとここへ留まっていることなんかできない。私はくのいちになるのだ。そうして生きて、そして死ぬ。それが私の一生で、人生だ。


だから、お前はちゃんと前を見て生きててくれ。そして、いつかどこかで逢ったのなら、躊躇いもなく私へとその切っ先を向けて、容赦なくお前は敵だと言ってくれ。

そうすれば、私も安心して、お前を殺せるから。



「…私は、いつだって私の損得しか考えてない」

「……………」

「そんな女を好きになるなんざ、お前は本当に馬鹿だよ」

そう言えば、鉢屋は諦めたように微笑みを浮かべる。明日から、また私は頑張らなくてはいけない。掌の包帯をするりと解いて、氷の女王に容赦なく痛めつけられた左腕へとぎゅっと巻きつけた。




積み木崩し





高ければ高いほどに。

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