一心不乱に穴を掘り続ける四年と、千輪と火器を各々手にしながら言い争う二人組みを横目に、競合区域を抜ける。実習帰りともあって疲れも最高値に達しているが、どうにも氷の女王に容赦なく痛めつけられた左腕が痛んで、医務室へと向かおうとしているその最中であった。

(…富松作兵衛、)

前方に、忙しなげに辺りを見回す随分と顔色の悪い三年生がいた。確か食満のところの用具委員である、富松作兵衛。泣きそうな表情で何故か縄と金鎚を手にオロオロしている。なんだか関わると厄介そうだ。できることなら素通りしてそのまま医務室へ向かいたい。向こうもそう気安く私に話しかけては来ないだろう。

そう結論に達し、屋根の上から医務室へ行こうか一瞬迷ってみたものの、そのまま医務室への直通であるこの道を突っ切ることに決める。徐々に近付く富松は、最早半べそだ。一体何があったというんだか。やがて、ハッと私の姿に気が付くが、一瞬浮かんだ歓喜の表情は瞬く間に落胆に歪んでいった。

「………………」

「………(無視だ無視)」

そわそわと私の姿を覗い見る富松を出来る限り視界に入れないようにしながら、私はその真横を突っ切っていく。向こうも向こうで私のような上級生のましてやくのいちには話しかけるに話しかけられないらしい。金鎚と縄を持つ手が小さくワナワナと震えているのが一瞬視界の端によぎる。今にも泣き出しそうなそんな表情でじいっと見つめられたら、何だかこっちが悪いことをしているかのようだ。背中に突き刺さるそんな富松の視線に、私は大きく溜息を吐いた。

「あーもー…何をどうして欲しいんだ富松…」

私もつくづく甘いと思う。観念してそう零せば、後方の富松は輝かんばかりに顔を綻ばせ、縋るようにこちらへ駆け寄る。何だか犬みたいなその反応に、内心笑ったのは富松には内緒だ。

「リョウ先輩お願いがあるんスけども…!!!」

「…言うだけ言いな」

「聞いてくれないんですかぁぁぁ…!!!」

「あーもう分かったってば、聞いてやるから言いなって」

面倒くさくなってそうヤケクソに返せば、涙目でこちらを見つめながらありがとうございます!と富松が嬉しそうに頭を下げる。さっさと片付けて医務室へいこう。先を促せば、富松が手の縄と金鎚を掲げながら眉を八の字に下げる。

「実は…この金鎚を持ってくるように食満先輩に言われたんですが…」

「持って行けばいいだろう」

「それが…そうしたいのは山々なんですが、俺の同級生二人がどうやら行方不明になったようで…それを探してくれないかと他の先輩達からも言われてしまいまして」

確か、三年生にはどうしようもないくらい手に負えない方向音痴がいると聞いた覚えがある。富松と同じ組とは知らなかったが、縄を持っているのはその二人を捕まえる目的があったのだろう。食満に頼まれたこともやらねばならないが、他の上級生に頼まれたんじゃ断ることもできない。大方用件を押し付けるだけ押し付けてその上級生とやらはさっさと去っていったのだろう。富松もさっさと食満に渡してから探しに行けばいいものを、どちらを優先させるべきか迷ってこんなとこでオロオロしているほかなかったのだろう。根が真面目な奴だから、同情するといえば同情するが。

「それで、私は食満にその金鎚を渡してくればいいんだな」

「お、お願いしてもいいでしょうか…!」

「仕方ないな…ほら、渡してくるから。早くその迷子共を捕まえてきな」

「あ…ありがとうございますぅぅぅー!!!」

感極まった様子で私へ頭を下げ続ける富松を急かしながら、ところどころ傷の入った年季物らしい金鎚を受け取る。手に丁度良く収まり、使い勝手の良さそうなそれを弄びつつ、こちらへ何度も頭を下げている富松をしっしっと追いやる。仕方ない、傷の手当てはまた後からだ。その場で踵を返し、食満のいるという方角へ向かう。この礼はたっぷりと上級生である食満にしてもらうこととしよう。

一心不乱に穴を掘っている四年生と、千輪と火器を各々手にしながら言い争っている二人組の横を通り過ぎ、校舎の裏をすり抜け、忍たま長屋のあるその方角へ足を踏み入れた時だった。

「……?」

小さく響いた、誰かの諍うような声にふと足を止める。ポンポンと空中へ放り投げていた金鎚が手の中に収まると同時に、短い悲鳴に混じって誰かの怒鳴るような金切り声が耳に届く。それは、長屋と長屋の間にある小さな路地から発せられるものらしい。

ほんの興味本意で、その方角へと足を進ませる。巻き込まれたりしたら厄介だから、できるだけ気配を殺して。近づく距離に、段々とその声も大きくなる。どうやらくのたまらしい。甲高いそれは、下級生のものによく似ている。上級生では滅多に聞かれない感情を露わにした声だった。そっと、壁を背に伺い見るようにその原因を探る。半分ほど覗かせた視界に飛び込んできた光景に、私は思わずあんぐりと口を開いてしまった。

「あんたがこの学園の男共を手玉に取って何しようとしてんだか知らないけどね、天女だか何だか呼ばれて調子に乗ってんじゃないわよこの阿婆擦れ!」

「わ、私…調子に乗ってなんて…!」

「いい加減にしなさいよ!この子も、この子も!あんたのせいで恋仲だった男にフラれていい迷惑してんの!」

「…そんな、」

「そんなの私のせいじゃないって?冗談じゃないわ!くのいちだからって、バカにして…っ、あんたみたいな女がこの学園にいられちゃ、迷惑なのよ!」

「……っ!」

ばんっと背後の壁に思い切り手を付かれ、天城さんがビクリと身を竦める。一人のくのたまを中心に、天城さんをまるで取り囲むように彼女達は迫る。

(何をやっているんだか…)

やれやれと呆れ果てながら、その光景を傍観する。こういう子も出てくるだろうとは予想していたが、まさかここまで過激とは。忍が冷静さを欠いたらそれこそ終わりだろうに、彼女達は激昂する余りに自分達がどれほどに情けないことをしてしまっているかまるで気付いていない。そのか細い指先をぎゅうと握り締め、飛び交う罵声に怯えるように天城さんは震えながら瞳を閉ざして黙り込んでいる。今にも泣いてしまうんじゃないかというほどに、彼女の顔は青ざめていた。

(あー…面倒くさ…)

頭をガシガシと掻きつつ、どうしたもんかと手の中の金鎚を弄りながら思案する。どうせ彼女達もこんな物陰でこっそりとやってるんだ、過ぎた行いに至る程馬鹿ではないと思うから、このまま知らないフリをしてもいいが。きっと晴らすに晴らせれない恨みつらみもあるのだろう。しかし、これで天城さんが涙に暮れる毎日を過ごし、それを心配する男共にポロリと今日の出来事を漏らしでもしたら、彼女達が危ない目に遭うだろう。自業自得とも言うが、ここは一応可愛い後輩だ。忍たまとくのたま、天秤に掛ければやはりくのたまの後輩の方が可愛い。きっと氷の女王は気にも留めないだろうから、私しか守ってやるやつはいない。仕方ない、と腰を上げるが、キンと響いたその物騒な音に思わず勢い良く振り返る。

「…あんたなんか…っ!」

その手に握られているのは、鋭利な苦無。憎々しげに歪む後輩の瞳が、真っ青になった天城さんを貫く。切っ先が振り下ろされそうになる直前、咄嗟に胸元に手を突っ込んで、苦無を投げつけた。

「…っきゃ…!」

ギイン!と乾いた音がして、後輩の手から苦無がポロリと零れ落ちる。動揺の広がるその人垣をかいくぐり、首謀者たる後輩の背後に回り込むとそのまま手首を掴み上げて首もとに刃先を当てる。

「物事の加減も分からないような後輩を持った覚えはなかったんだけどね」

そうゆっくりと溜め息混じりに囁けば、ビクリと後輩の肩が揺れる。波紋のように広がった動揺の波は、やがてしんと水を打ったように静まり返った。

後輩の、震える声が響く。

「…、リョウ、先輩…」

「まさか、あんな後先考えない行動に出るとは私も思わなかったよ」

「あ…あ…、わ…私」

「……リョウさん、?」

か細い声で呟いた天城さんへ視線を向ければ、戸惑ったような表情で返される。その瞳には相変わらず怯えの色が滲んだままであったが、パチパチと瞬きを繰り返す彼女の顔色はさっきよりは落ち着きを取り戻していた。

背後を取った後輩の手をゆっくり解き、首もとへ添えていた苦無の切っ先を離す。解放したとたんに、へたりと後輩は地面に座り込んだ。ふう、と腰に手を当てながら、俯いて震える後輩を一瞥し、その後周囲をぐるりと見回す。視線を遣る度にビクビクと小さく肩を揺らす後輩達に、大きく溜め息を零す。全く、ビクつくくらいなら初めからこんな大事にしなきゃいいものを。

「それで…何で私が止めたか分かってるな」

そう問い掛ければ、ややあって小さくはいという呟きが聞こえる。

「この学園で保護されてる人を勝手に殺すなんて、いけないことだってのは分かってます…でも、」

「馬鹿、そうじゃない」

「え…?」

恐々顔を上げた後輩の傍らへ屈む。スッとその頬へと手を伸ばし、真っ直ぐに見つめる。分からないと言いたげに眉が顰められる。

「まず第一に、忍として冷静な判断が出来ないというのは命取りだ。分かるな」

「…はい」

「じゃあ冷静な今の頭でよく考えてみろ、殺してそうして…お前はどうなる」

「………」

「隠し通すなんて出来るわけないだろう。お前は恐らく、ここにはいられなくなる。ましてや失意に狂った馬鹿共に敵討ちなんかされてみろ、それこそお前の末路は凄惨だぞ」

想像して、ようやく恐ろしくなったのだろう。後輩の顔色がみるみるうちに悪くなる。血の気の引いたその頬へ指先を滑らせながら、僅かに潤み始めるその瞳を射抜く。

「…好いた男が心変わりしたか、羨望からの嫉妬かは知らんが、そんな自分に百害しか残らん不毛な真似するんじゃない」

「せ…先輩…」

「自分に不利なことは、するべきじゃない。常に先を見通せ。自分のその行動が未来に与える影響を、いつでも考えろ。それが、冷静になるってことだ」

こんなつまらないことで、今後のくのいち教室への風当たりを強くさせるわけにもいかない。その点を見越してあえて様子を見ていたが、買い被り過ぎたのかこの後輩は天城さんを手に掛けようとした。私の計画上、まだいなくなってもらっては困る。余計なことをされないためにも、ここはきちんと意識を変えねばならない。まったく、とんだ厄介事を持ってくる天女サマだ。

「私達はくのいちだ、こうすることが復讐じゃないだろう」

艶を含んだ笑みを浮かべ、瞳を細めてみせる。くのいちは直接手を下すことだけが手段ではない。後から心の底から後悔させることだって、私達にとっては復讐と同義だ。それを私の表情から読み取ったのか、ハッと後輩が目を見開く。ポロポロ零れ落ちる涙が地面で弾けた。

「う、うわあああんリョウ先輩ぃぃぃぃー…!!」

「あーもう涙はこんなとこで使うもんじゃなくて、男を嵌める時に使うもんだよ」

うわうわ泣きじゃくる後輩を宥めていれば、やがて周囲からもすすり泣くような声が聞こえる。呆気に取られている天城さんへ目配せをしながら、後輩の肩を緩く叩く。

「ほら、こんな言い訳のしようがない場面を男共に見つかったら厄介だよ。私がなんとかするから、あんたらは早くここを離れろ」

「でも…リョウ先輩、」

「天城さんにも、私から話があるんだ。だから2人きりにしてくれ。今回のこと、絶対氷の女王の耳には入れるなよ」

「…は、はい!」

こくんと頷くと、何度かこちらを気にしながらも、下級生達はやがて踵を返すとゾロゾロその場から立ち去る。気配が完全になくなったところで、壁を背に立ち竦んでいる天城さんへと視線を向けた。

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