「リョウ先輩…いいんですか?」

月の美しい夜だった。静まり返る学園を見下ろしながら、屋根の上で夜風に髪を遊ばせていると、背後から声を掛けられた。彼女はくのいち教室の三年生だ。

「何が?」

「…っ、あいつ…天女なんて言われてのぼせ上がってる天城鈴って女です!忍たま共は突然出てきたあの女を訝しみもしないでちやほや…忍の風上にも置けません!!」

怒りを隠しきれない様子でまくし立てる後輩に、苦笑を浮かべる。

三年生か、やはりまだまだ未熟なところがあるものだ。

変わってしまった学園の様子、態度の急変した忍たま達、そんな全てを変えてしまった彼女への憎しみ、嫉妬、ただニコニコと笑顔を浮かべていればいいだけの彼女への女としての羨望、彼女の身の内には様々なものが渦巻いてることだろう。

「…あんたがそんな顔する必要ないよ」

「……?」

「馬鹿だね、鏡を見てご覧。嫉妬に狂った般若が泣きそうに顔を歪めてるよ」

「え!?」

慌てて頬にパッと手を添えた後輩の、眦に溜まった涙を指で掬う。馬鹿な子。天女サマに好きな男でも取られたか、それとも無条件で彼らに好かれる彼女への嫉妬か。そんなものを感じる必要など、私達にはありもしない。

「女として天城さんに負けてると思って悔しいのなら、自分をうんと磨けばいい。それともただ心身ともに綺麗な彼女を羨むのなら、自分がくのいちであることにきちんと自信を持つことだ」

「自信……」

「そう、私達は他の女に出来ないことができる。刃を心に当てて己を殺す忍を、唯一翻弄することのできる相手、それがくのいち。自分自身の体と言葉と指先が武器だ。自分の道に誇りを持つこと、そうであれば体など清らかでなくとも心は気高いままだ」

さらりと後輩の黒髪を梳いてやる。ほらこんなにも美しい髪じゃないか。磨けばいい、きっとこの子は美しくなるだろうから。くのいちを汚らわしい、愚かしいと罵る男共をその唇で嘲笑ってやるといい。誰もを虜にしてしまう容姿と愛を嘯く言ノ葉を手に入れて、その男ですら弄んでやればいい。

「彼女が例えば密使だったとしてそれを受け入れ裏切られるのは奴ら忍たま共だ。全て終わった後で騙されたと嘆くあいつらを見て笑ってやればいい。馬鹿な男と。彼女が本当に天女だろうと無害な女だろうと、私達に害を及ぼさないなら何であれ関係ない。そんな些末なことに気を取られていないで、自分を鋭く磨き上げることだ」

纏わりつく自分の髪を風に流し、するりと襟首を正す。こういう所作の一つですら、魅せようと思えばどれほどだって欲をそそる武器となる。色を使うことを躊躇うな、恥じるな、誇りを持て。

月明かりが淡く彼女の頬を滑り落ちる雫に反射した。

「先輩…わ、私、頑張ります…必ず先輩や氷の女王様のようなくのいちになってみせます!!」

「………目標は高くだねぇ」

この子があの氷の女王様のようになってしまうとそれはそれで衝撃だが、まぁ向上心があることは悪いことじゃない。…あれは天性の素質ともいうが。

「でもリョウ先輩、私どうしても納得できないことがあります」

「ん?」

「五年の先輩ですよ!今まで散々リョウ先輩のこと追いかけ回してた癖に、あの人が来た途端に急に手のひら返したみたいに…ちょっと虫が良いと思いませんか!?」

眉を釣り上げて憤っているが、私との温度差に気が付くとキョトンと首を傾げていた。

「…あれはいいんだよ。ああなるように仕向けたのは私だから」

「え?」

「大体私が寂しいとか悔しいとか感じると思う?」

「…思いません」

勢いを殺がれたように肩を落とすと、乗り出していた体を元に戻した。私の為に怒っていたんだろう、そうだとすればこの後輩はやっぱりまだまだ未熟で、心根の優しい子だ。

「もう帰りな、三年は明日裏山で実習だろ」

「はい…リョウ先輩、ありがとうございました」

「ん、明日からまた頑張って」

「はい…っ!」

ニコリと満面の笑みを残して、後輩は屋根の上から姿を消す。やはり笑えば花のよう。いつかあの笑顔で男を誑かす時がくるのか。それは楽しみなことだ。





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