「はぁ〜…、平和だなぁ…」

屋根の上から一望できる忍術学園の風景と澄み渡った青空。駆け回る下級生の賑やかな声と、それに混じって聞こえる高くて美しい笑い声。

あれから数日、鈴さんは学園において特に『有害』ではないとの判断が下され、学園住み込みの事務手伝いという役職に就くことになった。私はてっきり食堂手伝いになるもんだと思ってたが、(だっておばちゃん大変そうだし)あの氷の女王様曰く、『監視が外れたからといって、一度疑われた人間が学園の中枢たる食堂なんかに入り込めるわけないでしょ。何考えてんの』ということらしい。まぁ確かにあの鈴さんが万が一手練の密使だったとしたら学食に毒でも混ぜられたら被害甚大だ。それはよく分かったのだが、それにしても吹雪のような冷たいお言葉である。女王様には頭が上がらない。

そして私、佐々木リョウ。ようやく手にした平穏という日々を、ただいま噛み締めている真っ最中なのである。

(…一人でゆっくり昼寝なんていつぶりだろう)

あの作戦決行の日以来、例の五年生五人組は私の元へはたりと訪れなくなった。一日に一回は飛び掛ってきた鉢屋も満面の笑みで有無を言わさず隣にいた不破も妙に気配を消すのが上手く、背後からひっそり人の耳元へ囁いてきた尾浜も無言の圧力と眼力でやたら迫ってきた久々知もカラリと笑いながらぶっ飛んだ発言をした竹谷も誰一人として、私の昼寝を邪魔しに来ることはなくなった。恐らく、あの美しい天女サマにでも心を奪われたのだろう。というか奪われてくれてなかったら私の作戦は全てが無に帰すんだけども。

大丈夫、あいつらのあの反応からして、しっかりと天女サマを意識したに違いない。男は下半身で行動するようなものだってことは、よくよく分かっている。そうでなければ私たちくのいちの色の術なんて一体何の効果があるのやら。私の筋書きに一片の狂いも間違いもない。だからこその、この結果なのだ。


何て幸せなことだろう、これまでの苦労を思うと目頭が熱くなってしまうほどだ。ああ、本当に大変だった。これも天女サマサマだ、頑張れ事務員。私たちくのたまはここでバカな忍たまと天女サマの御伽草子のような恋を見守らせていただく。



精々、今のうちに恋愛でも何でも楽しんでおけばいい。現実なんてまだ知るには早いだろう。


ああ、平和だ。そういえば、次の実習で使う紅を新調しようと思っていたんだ。今まで一人で出掛けたくても必ずと言っていいほどに誰かに見つかってしまっていた。見つかったら見つかったで『どこ行くんだ誰と行くんだ私も行く!!』なんてうるさいったらない。っていうかよくよく考えたらなんで私は恋仲でもない男にこんな束縛みたいなことされなきゃいけないんだ。考えてたらイライラと腹が立ってきた。はっとなってぶんぶんと首を横に振って追い払う。

ああもう、やめよう。折角平穏な日々だってのに、過ぎたことを思い出すのはよくない。

「町にでも出て、気分転換するか」

思い立ったが吉日。私は屋根の上で立ち上がり、一度大きく伸びをした後、弾みをつけて屋根から飛び降りたのだった。





「…うーん、どれにしたものか」

色とりどりの紅を手に取りつつ、さてどうしたものかと首を傾げた。懐にはさっき衝動買いしてしまった色鮮やかな髪紐が納められてる。紅差し指でちょい、と唇に当ててみれば、ほんのり唇が紅に染まった。うむ、紅の濃いものは華やかな着物にはよく釣り合うが、どうにも町娘には派手すぎる。だからと言って桜色のようなものでは遊女の中では可愛らしすぎてしまうし着物の柄に負ける。さて、どうしたものか。

「ううーん…」

「おや、お嬢さんお困りですかな」

背後から掛けられた声に、おや?と振り返る。そこに立っていたのは質素ながらも上品な格好の、所謂『せんす』がいいっていうべき初老の男。にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべながら私の手に握られた紅を指差した。

「ああ、はい…色でちょっと迷っておりまして」

「ほうほう、どのような色をお求めで?」

「……そうですね、艶やかにも初心にも似合いの色なんて素敵ですね」

遊女にも町娘にもなれるなんてことは口走らない。私はただの市場を歩く女であり、くのいちだということは見抜かれてはならない。人の良さそうな男だが、穴丑なんてもんだったらたまったもんじゃない。だがここで突然邪険にするのも怪しまれるというものだろう。適当にあしらって、まぁ審美眼は悪くないようだから大いに利用させてもらうことにしよう。

「艶やかにも初心にも、そりゃまた欲張りな紅をお探しですな」

「女というものは常に欲張りでございますよ」

「ほっほっほ、それはそうだ」

目尻に皺を寄せながら朗らかに笑う男に合わせ、私も口元を押さえつつ笑ってみせる。一頻り笑ったかと思うと、男はまじまじと紅の色を吟味しつつ、店主を呼びつけた。

「すまんがこの紅とこの紅、二つとも包んでくれないか」

「え?」

「毎度ありがとうござます!」

男はさっと色を決めたかと思えば、店主へさっさと金を渡して、紅を受け取る。ぽかんとする私の目の前に、艶やかな赤の紅と可愛らしい桜色の紅が手渡された。

「あ、あの…?」

「どうぞ、欲張りなお嬢さんにはどちらの色も捨てがたい」

そう言ってにこりと微笑んだかと思えば、颯爽と背を向けてその場を立ち去ってしまう。二つの紅を手にしたまま思わず目を瞬かせてしまったけれど、男の姿が雑踏に紛れた頃には私の口も綻んでいた。

「…保健委員にも分けてやりたい位の幸運ってやつ?」

まさか紅が二つも手に入るなんて思っても見なかった、しかもタダで。一年は組の鉄腕アルバイターが聞いたら一日中舞い上がってそうなもんだ。まぁ紅はいらないだろうが。ああ、今日はなんていい日だ。きっと明日もいい日なんだろう。


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