私の頭の中の妄想に生きる久々知兵助という男は、冷静沈着眉目秀麗かつ真面目な優等生、けれどどこか抜けてる可愛いところもあって、豆腐が好きで豆腐のためなら何もかもを投げ打つほどの豆腐小僧で、でもそんなところも素敵な大好きな大好きな人だった。テレビの中や紙面の上で活躍するその麗しい姿を見ながら、早く二次元に行けたらいいのに、むしろ彼がこっちの世界に来てしまったらいいのに私全力で世話するよっていうかマジ来いよ本当に神様お願いしますから私に久々知君をくださいお願いしますといるかいないか分からない天の神様に必死に願掛けしてみたりもした。


そんな時代が私にもありました。



「おい」

「はい」

「豆腐は」

「ス…スーパー閉まってて…」

床と見つめ合いながら、自分の膝の上で固く握られてる拳に脂汗がポツリと落ちる。上から浴びせられる無言の圧力に顔なんて上げられるはずもなかった。ジャージから伸びてる足だけが視界の端に映る。床に正座で固まる私の前には仁王立ちした豆腐の鬼、もとい私がかつてゾッコンになり全てを捧げてもいいと思っていた久々知兵助本人がいた。

彼が来たのは、およそ2週間ほど前のことだ。

仕事から疲れてフラフラになった足取りで自宅へと戻ると、扉に凭れるようにして眠っている彼が目に入り疲れとか空腹とかそんなものは一瞬で吹き飛んで何度も何度も瞳を擦っては確認した。間違えるはずがない、あれほどに渇望していた大好きな彼が今私同じこの空間で息を吸っている存在しているそこにいる。一瞬にして思考が吹っ飛びそうになりながら恐る恐る近付けば、まるでアニメの世界から抜け出して来てしまったような、そのままの彼がそこにいた。もちろん三次元で。夢かと頬を捻りながら近付く不審人物だったことは認めよう。どきどきしながら彼の美しい寝顔を見つめる痴女紛いなところも認めよう。私の気配にすぐさま気が付いた久々知君が、その大きな瞳を瞬時に開け放ち私へと開口一番に告げる。

「人の寝顔を気持ち悪い顔で見つめるなこの変態」

その瞬間、私の千年の恋は見事氷点下まで冷え切ったのである。


そんなこんなで実は非常に口が悪く、優しさも可愛らしさも欠片もない久々知兵助がここに暮らし始めて早2週間。彼の傍若無人っぷりにはほとほと手を焼いている。例えば現在進行形のこの状況。豆腐を買って来なかったというだけでこの有様である。

「すーぱーとやらがやってないならこんびにに行け」

「そんな殺生なああ!!!残業で疲れ果てた私にもう一度出掛けろと言うのか!」

「なんか文句でもあるか」

「アリマセン」

彼の顔の割に低音なボイスは容赦なく私を恐怖のどん底に突き落とす。たった一言なのに、この威力は一体なんなのか。というかあの綺麗な無表情でそんなこと言われたら最早二の句など告げるはずがない。だって怖い。

「せ、せめて明日は豆腐フルコースにするんで…今日は勘弁してくれませんか…」

「……………………」

(あ、揺れてる)

もう一押しかと顔を上げて、捲くし立てた。

「明日と言わず、今日から一週間!!!豆腐フルコース!!」

「…………絶対だぞ、一日でも忘れたら血祭りな」

「了解しました一日たりとも忘れませんともええ忘れませんとも」

恐ろしい言葉が返ってきたが、明日から一週間始まる豆腐地獄を耐えれば私のブラッディーカーニバルは免れることができるらしい。仁王立ちした久々知君は私を蔑むように見下ろした後、つんとそっぽを向いてリビングへ戻って行った。同時に訪れる脱力感。ちなみにここは玄関先である。帰って来て早々ここで正座させられてた私、そろそろ泣いてもいいだろうか。

(本当…結婚前に同棲はした方がいいとはよく言うけど、その通りだわ…)

胸の中で溜息と共に呟きながら、床に座り込んでた足を立てる。痺れてる、痛い。悶絶しながら泣く泣く廊下を進む姿は見る人から見たら恐らくホラーだろう。彼が来て二週間、こんなことは最早日常茶飯事である。当初はもっとひどかった。言い返す度に返ってくる返答は苦無や手裏剣だった。紛れもない脅しである。

リビングでソファを陣取る久々知君はどこからどう見ても亭主関白な親父である。くそう…夢にまで見た彼とは180度違う。そう言ったら「勝手に期待して勝手に人の人物像作り上げるお前らが悪いんだろ」と言われた。その通り過ぎて何も言えやしない。

「久々知君…」

「ん」

「ゆ、夕飯…何食べますか…」

「……………………」

「あのー…」

「作った」

「え?」

「作ったって言ってんだろ一回で聞き取れ阿呆女」

「す、すいませえええええん」

その綺麗な顔を思いっきり歪めてそう吐き捨てる。条件反射のように謝り倒しながら、久々知君の言葉をもう一度頭の中で繰り返す。はて、作ったとはなんぞや。え?とキッチンを振り返れば、何かをしたらしき跡がある。あと鍋があった。

「冷蔵庫」

「え、あ、はい」

言われるがまま冷蔵庫を開いてみれば、そこには久々知君が作ったらしいおかずがラップに包まれて鎮座していた。キョトンと目を丸くしてそのおかずと対峙するも、冷蔵庫の早く閉めろというアラームでようやく我に返った。い、今のは疲れすぎた私が見た幻だったのだろうか…。

「あとは冷奴があれば完璧だったのに」

いつのまにか真後ろにいた久々知君がそう憮然とした表情で零す。ま、まさか…私が仕事の間に夕飯を作り、あとは私が買って来るであろう豆腐の帰りをひたすら待っていたというのだろうか。

なんだそれ可愛すぎるだろう…!!

「こ、これ…!!!久々知君これ…!!」

「いいからその汚い顔で寄るなさっさと食え」

「ひどい!でも嬉しい!」

「…本当にリョウは俺がここに来る前から変態だな」

「え?」

「なんでもない…さっさとありがたく食えよ」

「あいあいさー!」

スキップしそうな勢いで久々知君の作った料理を温め直す作業をしながら、ああやっぱり結婚する前に一度同棲するって大切なことなんだと改めて学ぶ。口にしたら絶対「結婚?ざけんなコラ」と言われかねないので絶対口にはしないが。思ってた以上に私の最愛キャラであった久々知兵助という男はギャップの激しいツンデレだったが、初めて見せたこのデレっぷりに全力でホイホイされる私はやはり単純なのだろう。いや単純でも構わない。やはり好きなキャラは何があっても180度傾いても好きなものは好きなのである。






「ところで明日から一週間豆腐ふるこーす、忘れるなよ」

「分かってるってー!任せて任せてー!」

「同じ豆腐料理の使いまわしは許さんからな」

「…え?毎回湯豆腐作ろうと思ってたんだけど…え?」

「俺を満足させる豆腐料理が作れるまで一週間が終わると思うなよ」

「お、鬼がいる…」


やっぱりできる限り早く帰って欲しいです、死んでしまう。
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