本当は灰かぶりじゃなくてリョウって立派な名前があるし、オシャレだって素敵な出会いだって夢だっていくらだって思い描いてた。お父様が再婚してやってきた新しい母親はひどく私に冷たくて、その連れ子である二人の姉も同様に私に対して意地悪ばかりをしかけてきた。そりゃ初めはボロボロの衣服に袖を通して雑巾片手に床を必死こいて磨いてる自分自身の情けなさに床を涙で濡らす日々も送ったけど、今となっては昔の話だ。あれから雑草のように強く逞しく鍛え抜かれた私の精神力は、そんじょそこらの小娘如きでは揺るがないほどに強靭なものとなった。 そう、目の前できらっきらの光に包まれながら老人が出てきても動揺しない程度に、である。 「リョウ!お主舞踏会へ行きたくはないか!!」 妙な杖を振りかぶりながら、芝居がかった口調で老人が私へと尋ねる。その傍らでは青い頭巾を被った白い犬がヘムヘム!とまるで老人の言葉に同意でもするかのようにまるで犬とは思えない鳴き声をあげていた。 「あ…いえ、別に…」 「そうか行きたいか!」 私の返事などまるで無視である。クワッと長い眉毛の奥に隠れた目をかっ開きながら老人は叫ぶ。えーっと…と頬をポリポリ掻きながら、窓の遥か彼方に見える煌びやかな白亜の城へと目をやった。 今日は、あの城の王子のお妃様を決めるための舞踏会を開くのだそうだ。 継母もお姉様方もそのためにいそいそと着飾って出掛けて行った。継母まで付いて行ってしまってあなたもまさかの玉の輿狙いですかと内心思ってしまったのはここだけの秘密である。お父様はどうなる。 正直、行きたくないか行きたいかで言われたら私だって行きたいに決まってる。別にお妃様になりたいとか玉の輿狙いたいとかそういうことじゃなくて、ただ単にあの煌びやかな世界を味わってみたいだけだ。けれど、そのために必要ないくつものものを私は持っていない。あの世界にこの煤けたまるで「シンデレラ」という名前に相応しい服で行く程の度胸は私にはない。 「いえ…こんな格好で、あんな綺麗な場所へ行くなんてできませんから」 苦笑してみせながら、老人へとそう返す。すると何を思ったのか、突然ガハハと大声で笑い出し、その杖の先を私に向けて片目を瞑ってみせた。 「じゃから、ワシがそなたの願いを叶えてやるのじゃよ」 「ヘムヘムっ!」 「あ、じゃあ舞踏会よりもとりあえずあの継母どうにかしてくれればそれで万事解決な「だあああ!いいから舞踏会に行けー!!これは魔法使い命令じゃああ!!」 私の提案をバッサリとぶった切り、老人は大きく杖を振りかぶる。その先端から放たれた眩いばかりの光が私を包み込み、視界を真っ白に染め上げる。思わず固く目を閉じた私の耳に、あの白い犬の妙な笑い声が響き渡った気がした。 ◇ 「マジ無理マジ無理帰りたい…!」 植え込みに身を潜めて目の前に聳え立つ真っ白な城壁を見ないように背を向けて蹲る。口から零れ落ちるのは冒頭の言葉ばかりで、何で自分自身がこんな場所に来てしまっているのか全く持って理解できない。混乱してる間に無理やり連れられ「健闘を祈る!」と言わんばかりに景気良く放り投げられて今現在お城の中庭。逃げ込んだ薔薇園の傍らで途方に暮れている。 「…でも、素敵なドレス…」 煤けたみすぼらしい服とはまるで正反対の美しい薄青のドレスに包まれて、思わずうっとりとしてしまう。滑らかな肌触りは高級そうな素材であることはこの庶民である私にも分かる。正直こんなところでもだもだしてるよりも売り飛ばしていくらかお金にしてしまった方が私のためになるんじゃないだろうか。 「おい」 「…っおおおう?!!」 突如真後ろから響いた低い声に、全力で飛び上がる。ドドドと心臓が早鐘を打つのが嫌でも分かった。今の声は、男の人だ。恐る恐る振り返れば、深い夜のような色が私の目を引いた。次いでそれに対比するような白い肌と、真っ黒な瞳。 とんでもなく綺麗な人が真後ろに立っていた。 「…何してるんだ?こんなとこで」 「え、あ…いやあのちょっと今後の生活について葛藤を…」 「葛藤?」 「何でもないです忘れてください」 その男の人の綺麗な顔をぼんやり見つめていたら、まさかの本音が口を飛び出して慌てて訂正した。別の意味でドキドキしているのは気のせいだろうか。月の光が彼の頬に長い睫毛の影を落としている。綺麗だ、純粋にそう思った私の隣に何故かその美しい男の人は座り込んだ。 「あ…あの…?」 「いいのか?舞踏会行かなくて」 「別に…お妃になりたいとかそういうつもりで来たわけじゃないので」 「ふうん…じゃあ何で来たんだ?今日はそういう日なんだろ?」 「話すと長いんですけどね…綺麗な格好してこの綺麗なお城を一目見てみたかったというか…まぁただの観光気分です」 夜の闇に浮かび上がる真っ白なお城は、まるで光り輝くように綺麗だ。こんなに近くで、今まで窓から眺めるだけだった実物を見られたのだからもうそれで満足だ。あの自称魔法使いの老人が言っていた。12時の鐘が鳴ったら魔法が解けてしまう。そうしたらこの煌びやかなドレスもこの歩き辛い硝子の靴も全てが幻のように消えてしまうと。そうなる前に私はこの高そうなドレスを売っ払ってへそくりにしなくてはいけない。硝子の靴なんて高く売れそうだ。 「さて、じゃあ目的も果たしたので私はもう帰ります」 立ち上がった私を目で追いながら、男の人はキョトンとした顔を向けている。どうも静かに見逃してくださってありがとうございましたと頭を下げてその場を立ち去ろうと踵を返した。 「ちょっと待て」 「…っち」 そうは問屋が卸さないらしい。小さく舌打ちをしながら、ドレスの端を掴んだ彼を面倒くさそうに振り返る。 「ちょっと…今更不審者扱いとか無しですよ、いいじゃないですか別にお城見るくらい減るもんじゃないし」 「そうじゃない、城は別に好きなだけ見てくれれば構わない」 「?はぁ、じゃあもう十分満足したんで帰ります」 「…中を見てみたいとは思わないのか?」 「え…?」 まさかの申し出に、私の瞳がパチパチと瞬く。静止した私へにやりと悪戯っぽく笑いながら、ドレスを引いていた手を離して今度は指先を誘う。 「観光気分ってなら中も見て行ったらどうだ」 「いや…中はちょっとその…色々問題があるんじゃ…」 「ない、俺がいいって言うんだから良いに決まってる」 「いやいやいや、どこの誰かは存じませんがそんなまるで自分の城みたいに、」 首を左右に振りまくる私へ、彼は一瞬虚を突かれたかのような表情を浮かべると、たちまち何がおかしいのか肩を震わせながら笑い出してしまった。私何かおかしいこと言っただろうか。ポカンとする私へ、目尻へ涙を浮かべながら彼は顔を上げる。 「そうか言ってなかったな」 「はぁ…?」 「何の問題もない、ここは俺の城なんだから」 「…………………なんですと?」 彼の言葉に思考が停止する。あんぐりと口を開けて見る見る間に驚愕の表情へと移り変わるのが自分でもわかった。ついでに血の気が引いていくのも。彼の言葉が何度も何度も頭の中で反芻される。言葉を無くした私へ、彼は美しい黒髪を揺らしながら微笑んで見せた。 「この城の王子は俺のことだよ、お嬢さん」 → |