「ぜっっっったい、こっち見ないでくださいね…!!」 「はいはい」 焚き火の傍らで私と尾浜さんが背中合わせに座り込む。下半身はちゃっかり袴のままの尾浜さんに反して、私はといえば濡れた着物も襦袢も脱いだお陰で、尾浜さんに貸してもらった手拭いを腰に巻き付けている以外は、本格的に素っ裸だ。もう本当にお嫁には行けないな…と遠い目になる。 背中の素肌から伝わる尾浜さんの熱が、冷え切った身体に心地よい。パチパチと炎が弾けて、橙に私達の肌を染めながら影が揺らめく。徐々に熱を取り戻す身体を、膝に顔を埋めながら両腕で抱えこんだ。外から響く雨音だけが鼓膜を震わす。ふと、視線が足の包帯を映し出す。尾浜さんが手当てしてくれたものだが、手当ての激痛に反して今は殆ど痛まない。足先をくいっと曲げたりしてみても鈍い痛みが僅かに疼くだけだ。毒が塗られていなかったのが幸いだと言っていた。沈黙に満ちたこの空間に、やがて静かな尾浜さんの声が響いた。 「……ごめん」 「え……?」 顔を上げて、僅かに身じろぎながらその声に応える。 「守るって約束したのにさ、怪我させてごめん」 耳慣れない沈んだ声音に、慌てて声を上げる。 「なっ…何言ってるんですか!あれは、尾浜さんが悪いんじゃなくて鈍い私がいけなかっただけで、もう少し機敏に動ける体力があれば良いんですけど…、どうにも私はトロいみたいで」 「なかなか仕事も決まらないしね」 「それは言わないでくれませんかこの野郎」 引きつった表情を浮かべながらそう返せば、笑うように身体を震わした振動が伝わる。何となく緩んだ尾浜さんの雰囲気に、ホッと安堵の息を静かに漏らした。 「…尾浜さんは、どうして私を守ってくれるんですか」 ふと、ずっと疑問に思ってたことが唐突に口から飛び出す。私を守って逃げる尾浜さんの背中を見ながら、いつだって思ったこと。私の問い掛けにたっぷり沈黙で応えた後、尾浜さんが肩越しに問い掛けた。 「じゃあ逆に聞くけど、どうしてリョウは俺を助けてくれたの?」 え、とその問い掛けに顔を上げる。そんなこと、考えたこともなかった。あの日、尾浜さんが私の家の前で倒れてて、放っておいたら死んでしまいそうで、だから。 「よ…よく、分かりません」 「ふうん?」 「とにかく無我夢中で、尾浜さんがいい人とか悪い人とか、そういうのの前に…このままじゃ死んじゃうって人を放っておけるほど、私は冷静な人間じゃないので…」 何を言いたいのか自分でもよく分からない。ただ、あの時私は尾浜さんが例え悪者だろうと善人だろうと黒こげで怪しさ満点な身なりをしていようとも、 「絶対助けなきゃいけないって女の勘が働いた、ただそれだけです」 言い切って、内心自分自身で大いに突っ込みどころ満載な台詞に気恥ずかしさが込み上げる。女の勘って…曖昧過ぎてあてにもならない。一気に地面に埋まりたくなった。 案の定、 「〜〜〜〜〜!!」 「あの、一番恥ずかしいの私なんで笑わないでくれませんか」 背後で地面をバシバシぶっ叩きながら腹を捩らせている尾浜さんへじと目を向ける。チクショウ言うんじゃなかった。顔が熱いのを自覚する。やっぱり助けるんじゃなかったなこの恩知らず。といってもこれまで助けてもらってる回数の方が多いから言い返せないのが悔しいところではある。 「はぁ…おっかし…やっぱりいいね、リョウ」 「何がいいんだかさっぱり分かりませんけど」 褒められてるのか貶されてるのか、尾浜さんは全く読めない。一通り笑いの波は通り越したのか僅かに声を震わせながらそう呟いた。フンだとむくれる私へ、一体彼がどういう表情を向けてるかは知らない。パチパチと炎の弾ける音が響いて、ゆっくりと尾浜さんの息遣いがそれに混じる。膝を抱え込んでいた私の肩に、唐突に重みが加わった。 「俺は、そういうリョウだから、死なせたくないんだよ」 静かな、尾浜さんの声が私の鼓膜をじわりと浸食する。時間も呼吸も、何もかもが止まってしまったかのような錯覚を覚えながら、私は肩に寄りかかった尾浜さんの重みを感じ取る。心臓の音が弾かれたように、私の身体のうちで少しずつ加速する。 「………………」 「だから、これからも俺と一緒に逃げ続けてね」 「あ、え…えと…」 「ね?」 「………………」 「………………」 「…………はい、」 有無を言わせないような無言の圧力につい押し負けて、私の唇はいとも簡単に降参の音を奏でてしまう。それに満足したように、尾浜さんが私へ寄りかかっていた頭を元に戻す。軽くなった肩と消えていった体温が少しばかり薄ら寒くて、肩越しについ彼の後ろ頭を視線で追ってしまった。触れ合っている背中の体温は熱い。外は雨の音に満ちていた。 「もう一度、ちゃんと約束」 「?」 「この先も、危ない目には遭うかもしれないし怖い思いもするかもしれないけど」 言葉を切って、少し沈黙する。気になって振り返り掛けた私の身体が、唐突に優しい熱に包まれる。え、と目を白黒させる間もなく、私の後ろから伸びた腕がギュッと首筋に絡みついて肩を引き寄せた。彼の髪からポタリと落ちた雫が、私の抱え込んだ膝に零れ落ちた。耳元で、低く笑う声がする。 「今度こそ、絶対守ってみせるから、だから俺を信じていてね」 その言葉に、コクコクとまるで壊れたおもちゃのように頷いて応える。声は出ない。ついでに言うと顔が真っ赤なのは自覚済みである。反則だ、こんなの胸を騒がすなって言う方が無理なんだ。その熱も、耳に届くその声も、全部が全部まるで私を翻弄するように甘いんだ。ギュウと力の込められたその腕が、私の素肌に触れるたびに鼓動が跳ね上がる。素肌、あれ。 「ってうわあああああ!何してんですかあんたー!!」 「あれやっと気付いたの?」 「絶対こっち向くなって言ったじゃないですかああ!!いやあああ!!」 自分自身がほぼ全裸に近い格好であることを今唐突に思い出して、慌てて抱え込んでいた膝を更に抱え込んで、胸元が見えないように縮こまる。楽しそうなというか嬉しそうなというか、そんな声音で尾浜さんがくつくつ笑う振動が直に伝わりますます恥ずかしくなる。 「早く離れろこの変態いいい!!!」 「そんな必死で隠さなくてもいいじゃん今更」 「てめぇ見たのか!見たのかこの野郎!!」 「残念ながら見えなかったけど…ところで最早口調が別人だけどいいの?」 「うっさいわ!誰のせいですか!うわああんもう本当にお嫁に行けない〜!」 「だから、俺が貰ってあげるから行かなくていいじゃん。ホラ解決」 「ざけんなよ誰があんたの嫁になるもんか!」 離せともがきたいが、色々な弊害があってそれはできない。口だけで尾浜さんと戦っている私を誰か褒めてくれないだろうか。そんな私の言葉すらものらりくらりとかわして、まるで守るかのように私を強く抱き締める。 「ね、絶対何もしないから。もう少しだけ、こうしてて」 寄せられたその横顔を見れば、穏やかに瞳を閉じて尾浜さんが微笑んでいる。そんな、幸せそうな顔、今しないで欲しかった。 嫌だなんて、言えなくなる。 「………少しだけですよ、」 渋々呟いた私に、尾浜さんが笑う。ありがと、と静かに言ったその声が、ストンと私の胸に落ちた。強張った肩の力を抜きながら、寄せられたその腕の温かさに頭をコテンと預け、瞳を閉じる。 「ただし、この手を動かそうものなら容赦なくぶちのめす」 「…あはは、怖いなぁもう」 雨の音が遠ざかるまで、この微熱に溺れよう。 「好きだよ」 その吐息のような呟きには、聞こえないフリをして。 ← |