叩きつけるような勢いの雨が空から降り注ぐ。ぬかるんだ地面は本来は道となっている筈なのに、この大雨のせいで全くその機能を果たしていない。ばしゃりと足元で泥水が跳ね上がる。足をぬかるみに取られないよう慎重にいきたいところだが、私達の頭上に雨と共に降り注いでいる"それ"のお蔭で、私達はこの足場の悪い山道を全速力で駆け抜ける羽目になっている。

「うぎゃああああ!死ぬ!死ぬー!」

「ったく、しつこいなぁもう」

耳の横を勢いよく銀色に光る苦無が横切り、木へと突き刺さる。咄嗟に頭を屈めるものの、次いで地面へと雨のように降り注ぐ苦無は最早避けれているのが奇跡なんじゃないかと思うように容赦なく私達を狙っていた。

「尾浜さぁぁぁん!!これ…ちょ…あんまりじゃないですか!?雨の日まで頑張らないで欲しいんですけど敵の方も!」

「うん、こりゃやる気満々だねぇ」

「どの殺る気だー!!!」

前を走る尾浜さんの背中に訴えるが、緊張感もクソもないのほほんとした声が返される。尾浜さんとの逃亡生活を始めてから今日で5日目。彼の言葉に上手いこと乗せられてこんなところまで着いてきた私だけども、今物凄く後悔している。この5日で襲撃は何もこれが初めてなわけではない。まさかこんな集中烽火が待っているとは夢にも思わず。正直、つい最近まで貧乏な職探し中の町娘だった私には少々過酷過ぎる日々の連続だった。一般人代表みたいな私が、生き抜けるとは到底思わない。

「よっと!リョウ、こっち」

キンと私に向けて飛んできた銀色を尾浜さんが弾く。何の身を守る術も持たない私がこうして生きていられるのは、偏に彼のお蔭だから皮肉なものである。手を引かれて、木々の合間を縫うように進む。正直疲労も溜まっているし足がもつれてしまって上手く走れない。ぬかるみで転ばないようにするだけで精一杯だ。そんな油断が、私に隙を生む。

「……っきゃ!!!」

「…リョウ!!?」

足を焼けるような熱がサッと駆け抜ける。ばしゃりとぬかるみに勢いよく倒れ込み、咄嗟に足を見れば裂けた着物の隙間からじわりじわりと出血していた。目で認識した途端に、まるでそこに心の臓でもあるんじゃないかと思う程、脈打ったように痛みが込み上げる。声にならない叫びを上げながら、どうにか起き上がろうと腕に力を込めるものの、まるで力が入らない。どうしよう、痛い痛い痛い…!!

「リョウ、大丈夫!?足やられた!?」

「お…尾浜さんん…!!」

すぐさま血相を変えて駆け寄ってきた尾浜さんに、情けなくも小さな子どものようにボロボロ涙を流しながら助けを求める。尾浜さんの視線が私の負傷した足へと向けられ、途端に目に冷たい光が宿るかのように顔色が変わる。彼の空気がまるで別人かと思えるほどにキンと張り詰めた。

「…いい加減にしてくれるかな」

そう低く呟いて、見えないような速さで尾浜さんが懐から苦無をどこかへ投げつける。背後でドサリと重たい何かが落下するような音が響くが、振り向く余裕が私にはない。赤く染まり上がる着物の上から、必死に傷口を押さえるけども、なかなか拍動するような痛みが消えない。息遣いさえも荒くなる。

「リョウ、大丈夫だから気をしっかり」

「尾浜さん…私、」

「大丈夫、絶対死なせない。そう約束したんだから、俺を信じて」

真っ直ぐ見つめる視線が、潤んだ視界の向こうから私を射抜く。うんうんと何かも分からずひたすらに頷く私へと満足そうに微笑むと、こちらへと手を伸ばして私を起きあがらせて支える。あ、とした瞬間、私の視界はブワリと揺れた。

「!!?」

「よっし、急ぐからちゃんと掴まってて」


軽々と私を横抱きしてみせた尾浜さんに目を白黒させながら、流れ始める景色を横目に雨の中を私達は森の奥へと駆け抜けた。







「いだだだだだだちょっとやめて本当に無理!!痛い無理これ無理無理ー!!!」

「何言ってんの、俺の子産む時はもっと痛いんだからこれくらい耐えれないと」

「ふっざけんなですよ誰があんたの子産むかっつーのぉぉぉ痛いいいい!!」

さらりととんでもないことを言い放つ尾浜さんへ全力のツッコミを入れながら、あまりの痛みに身悶える。ここは逃げ延びて駆け込んだ小さな洞穴である。私の怪我へと尾浜さんが血止めだか消毒だか何だか分かんないけども薬草のようなものを擦り込んでいる。殺す気だろうか、めちゃくちゃ痛い。へらへらっとした顔で何という鬼だろうか。っていうか、

「じ、自分でやりますから…あ、あんまり足を、」

「え、なに?」

私の足首を捕まえながら、尾浜さんがいい笑顔を私へと向けた。こいつ、絶対分かっててやってるに違いない。消毒のためにと膝辺りまで袂を割られ、足を剥き出しに晒されてるこの状況にもう穴があったら入りたい気分になる。何なのだろうかこの辱め…顔から火が出るとはまさにこのことである。私の剥き出しの足を尾浜さんの指先が触れる度に思わず飛び上がりそうになってしまう。逃げ出したいのを顔を掌で隠しながら、必死に堪える。

「もうお嫁に行けません…」

「だから俺に永久就職しちゃえばいいよって前から言ってるのに」

「誰がするものですかこの野郎」

どこまで本気なのか分からない尾浜さんの言葉は、気にするだけ損だ。受け流しながら、指の隙間から彼を覗き見る。

さっきのあの冷たい光などまるで感じさせない、いつも通りの彼がくるくると足へと包帯を巻き付けている。さっきはその、ちょっとだけ怖かったというのが正直な気持ちだ。いつものヘラヘラしてる尾浜さんとはまるで違う、鋭く尖った苦無のように冷たい空気が私の肌を刺す感覚を思い出して思わずぶるりと震える。その振動を感じたのか、包帯を巻き終えた彼がパッと顔をあげた。

「寒い?」

「え、ええと…まぁ、着物びっしょりですし…」

雨の中を駆け抜けたのだから頭から爪先までずぶ濡れである。パチパチと火は起こしたが、敵に見つからないように極最小限だ。ふむ、と尾浜さんが一瞬考え込んだかと思うとサッと立ち上がった。

「脱いで」

「……は?」

「着物、脱いで」

言葉の意味を理解できず、ぽかんとしたまま私の口から間抜けな声が零れる。それに尾浜さんが再度繰り返すと、突如バサッと上半身の着物を脱ぎ始めた。

「ひいいい!!うら若き乙女の前で何してんですかぁぁ!!大体ぬい…脱いでって…!」

「何言ってんのさ、俺の看病してくれた時に上から下まで見た癖に。しかも脱げって着物ひん剥いたよね?」

「それとこれとは話が別です!!」

目元を掌で覆いながら、チラチラ指の隙間から上半身の着物を脱ぎ捨てた尾浜さんの姿が覗く。黒い中着にも手を掛けたかと思うと一気に何の躊躇いもなく脱ぎ捨てる。死にそうになりながら必死で顔を逸らせば、背後でクスリと笑ったような声が響く。

「何恥ずかしがってるの?知らない仲じゃないんだから」

「知らんわ!!記憶を改竄しないでください!!」

勢いよくそう喚きながら尾浜さんへと目を向け、思わず固まる。すらりとした無駄の無い体躯に、細身ながらも鍛えられているのが分かるしなやかな筋肉。ポタリと雨の雫が零れ落ちて肌の上を滑り落ちていく。確かに、手当てをした時に見た。むしろ剥ぎ取った。見たけども、あれは私も必死だったし何より傷だらけでそれどころじゃなかった。しかもあの時は尾浜さんの意識もなかったし。だから、違う。全然違う。

ぼんっと音が出そうなくらいに真っ赤になった私を見て、尾浜さんは突如噴き出したかと思うとクツクツ肩を震わせている。

「ごめんごめん、別に何もしないから」

「あ…当たり前じゃないですか!そんなこと心配してるわけじゃなくてですね!」

「え、じゃあ何かした方がいい?」

「嘘ですすいません勘弁してください」

「くくっ…はー可笑しい、本当にリョウ面白いよね」

面白いよねと言われて喜んでいいものなのかどうなのかが微妙である。そんな私の心境を読み取ったのか、意味深な笑みを浮かべながら尾浜さんが私の前へと歩み寄った。

「な、なんですか」

「リョウ、濡れたままじゃ風邪ひくよ」

「……う、」

「大丈夫、何もしないし俺は見ないから」

尾浜さんの掌が肩を包み込んで、じわりと熱が広がる。あぁ、体温で温めるってことか。尾浜さんの熱を感じながら、ようやく理解する。だがしかし、それには私も脱がなくてはいけない。尾浜さんは何もしないと言っている。彼は信用できる人だ。それだけは私にも分かる。ただ、私に残っている羞恥心という最後の砦が邪魔をする。

低く尾浜さんが笑って、艶めいた声音が私の耳元へと落とされた。


「あんまり待たせると、俺が力ずくで脱がしちゃうよ」


その言葉に、羞恥心という言葉は遥か彼方へと吹っ飛んだのは言うまでもない。


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