それは、ほんの一瞬の切欠だった。

キラキラ輝く砂糖菓子のような、いわゆるコスメと言われる類の数々を目の前に、私は小さな子どもが大好きなものが山積みにでもされた時のような惚けた表情でそれらを眺めていた。友人の手によって施されていく化粧はまるで魔法のようだ。指先一つで色をのせて、キラキラと輝かせる。魔法を掛けられた女の子は、まるで花開くように美しい笑顔で微笑んだ。

「すっごぉぉぉい…!!」

「なに、リョウもやったげようか?」

シャドウのチップを手にしながら、友人が私を手招く。今までメイクなんて全く以って興味すらなかった私だけれど、この魔法使いのような指先を見てしまったからには首を縦に振る以外の選択肢が見当たらなかった。フラフラと誘われるがままにその指先の元まで近寄り、ドキドキと高揚する鼓動を自覚しながらゆっくりと目を閉じた。




「…ってことがあって私決めました。私も化粧が似合う女になる」

「へーそう、頑張って」

意気込む私の傍らで、幼馴染である勘右衛門がパラパラ雑誌を捲りながら呟く。まるで感情の籠もっていないその言葉に全力でイラッときて、雑誌に視線を注いでいるその幼馴染の頭をスパンと叩いた。いてっと小さく声を漏らしながら、なにするんだよ〜と渋々その顔をあげる。

「少しは興味持ってよ!」

「いや、だから言ったじゃん?頑張ってって」

「気持ちが籠もってない!」

「籠めた籠めた超籠めた」

面倒くさそうにそう言って逃げ回るこの男、私の幼馴染である尾浜勘右衛門は何故か知らないが妙にモテる。ヘラヘラしたあの笑顔がいいだの、気さくで誰とでも打ち解けられるところがいいだの、羨ましいぐらいに青春を謳歌してやがる。それに比べて私とくれば、パッとしない容姿にパッとしない性格。確実に世の中で埋もれていってしまうに違いない人種である。人気者の勘右衛門とそんな十人並みな私。たまになんでこいつが私の幼馴染で未だに交流が続いてるのか不思議に思うことがある。まぁ、故に幼馴染というのかもしれないけども。徐々に途切れていってしまう繋がりの中で、唯一と言っていいほど今現在も繋がっている勘右衛門という存在に、まぁ言葉にはしないがそれなりに友好的な気持ちを抱いているのは確かである。そんな勘右衛門にとって恥ずかしくない幼馴染でありたいと思うのに、当の本人がこれってやる気も殺がれるってもんである。

「もう!私絶対、勘右衛門がびっくりするぐらい綺麗になってやるんだからね!驚くがいいわ!」

「うんうん、頑張って」

「だぁー!腹立つ!」

ダンダンと床で地団太を踏んで、ふんだと勘右衛門に背を向けてその友人が譲ってくれた一本のマニキュアを手に取る。可愛い赤のラメ入りマニキュア。キラキラしてて、まるで一筋塗るだけで気持ちまで染め替えてくれるような、そんな色。はぁぁやっぱり可愛い…、ほうと溜息を零しながらそのマニキュアの蓋を開ける。あまり塗ったことのないその感触に、何故だか妙に緊張してしまうのは気のせいだろうか。独特の匂いが鼻孔を擽る。少しばかり揺れる筆先をそぉっと爪先へと向ける。艶やかなその真っ赤な色が爪の上に乗せられる直前、真横から伸びてきた掌が私のマニキュアを掻っ攫っていった。

「あーっ!」

「ふうん、そんなに言うなら俺が塗ってあげるよ」

「ちょ、なに!」

「大丈夫大丈夫、はい指出して〜」

有無を言わさずに掌を取られると、向かい合わせになりながら勘右衛門が私の指先を覗き込む。妙な気恥ずかしさが全身を硬直させるが、指先を捕まえられているせいで動くに動けない。赤いビンにハケを浸し、勘右衛門が筆先を私の指へと近付ける。心臓が馬鹿みたいに鳴り響いている。見ていられなくてぐっと固く瞳を閉じた私の、ちょうど薬指に一瞬妙な感触が指を撫で上げた。

「っ!?ちょ…おま…!」

「うん、こっちのがいいんじゃない?」

「なにしてんだコラァァァァ!!」

目をかっ開いて慌てて指を確かめれば、左の薬指に赤いラメのマニキュアでまるで指輪のように一本筋が引かれている。私の叫びにケラケラと勘右衛門は笑って返すと、ポイッとマニキュアを放って寄越した。

「リョウはもっと淡い色のが似合うんじゃない?」

「…は?」

「だから、その色は却下ね」

笑ってるのに、妙に有無を言わさない迫力を醸しながら勘右衛門がマニキュアを指し示した。せ、せっかく貰ったのに…!と文句を言おうと口をパクパクと開閉させるが、似合わないものを似合わないと言ってくれるのは確かに有難いことだとは思う。でも、この赤いマニキュア、


(友達は、みんなこれが似合うって言ってくれたのにな)


内心首を傾げながらも、女の視点と男の視点の違いってやつかと納得させる。そうと決まれば今度可愛いピンクのマニキュアでも買ってこよう。そしたらそれを勘右衛門に見せたら、可愛いって言ってくれるだろうか。薬指に塗られたマニキュアの痕を擦る。乾いた感触が指先に残った。




「見て!見てみて勘右衛門!これ!目!友達がやってくれた付け睫毛あああああ!」

「あれ?ごめん目にヒジキ付けてんのかと思った」

「何してんだ貴様ぁぁぁ!!!」

「ごめんって」


「見て!勘右衛門!髪!くるくる!巻いてくれブッハァ!!」

「あ、ごめん…ちょうどそこにいるんだもん、着替えてきなよ」

「……水って、水って…!」

「ごめんごめん」


「……………」

「あれ、何いつもよりスカート短くない?リョウ?」

「え!?き、気のせいじゃない?」

「ふうん………」

「……………」

「……………」

「すみません似合わないなら早々に口で言ってくれませんか」

「うん、分かってるならいいけどね」

「ぐあああ腹立つ…!」


絶対綺麗になってやる。いつもいつもそう気合を入れて勘右衛門の元へと向かうのに、毎回空回りなままで失敗に終わる。基本的に勘右衛門が台無しにしてくれちゃってるんだけども、一度だって可愛いとは言ってくれない。驚いてもくれない。やはり、私と勘右衛門の間にある幼馴染という関係だけじゃ埋めることの出来ない溝は、私みたいなパッとしない女じゃ埋められないのだろうか。もっと綺麗で、それこそ勘右衛門の隣にいるのが似合うような女の子。そうなれたのなら、私は胸を張って勘右衛門を幼馴染と呼べるだろうか。そう考えてたある日のことだった。


「か、勘右衛門勘右衛門勘右衛門!」

「んー?」

「聞いて聞いて!あのね、!」

勘右衛門の元へと駆け寄り、興奮冷めやらない勢いのまま捲くし立てる。未だに私でも現実かどうかよく分からない。けれど、頬が熱くて思わず口端がにやついてしまう。何にやにやしてんのと勘右衛門が半笑いで私を見ていた。

「ふん、何とでも言えばいいわ」

「…なにそんな急に強気になっちゃって」

「じゃーん!さっきそこで先輩にアドレス聞かれちゃったもんねー!ようやくこれまでの努力が実を結んだというか、人様に認められる程度になれたっていうか…うんうん」

「へぇ、」

携帯の画面を見せつけながら大きく頷く私のやや前方で、聞いたこともないくらい低い声の相槌が聞こえた。え、と私が顔を上げたその瞬間、するりと私の手から携帯電話が奪い取られ、瞬く間に勘右衛門の手の中に納まってしまっていた。その間、僅か数秒の出来事である。は?と一瞬真っ白になる思考と、何が起きたか全力で処理しようとする私の瞳が勘右衛門の姿を呆然と捉える。指先でポチポチ目にも止まらぬ速さで私の携帯を操作すると、ポイっと投げて寄越した。慌ててその画面を開けば、『削除されました』という意味の分からないメッセージがぽかりと液晶に浮かんでいた。

「え?ちょ…これ…」

「うん、消してみた」

「はぁぁぁぁ!?」

「何か問題あった?」

「問題っていうかさ、あのこれ…、私の…っ!」


「ねぇ、」


トン、と勘右衛門の掌が私の背後にあった壁に押し当てられ、私の逃げ道を奪う。静かに響いた声があまりにも真剣で、私は思わず怒鳴り掛けた口をぐっと噤んだ。やけに真っ直ぐな勘右衛門の視線が痛い。その射抜くような視線に、まるで張り付けにされたように瞳が逸らせなくなった。静かな空間に満ちる沈黙はあまりに重い。ずいっと顔を近付けた勘右衛門に、思わず身じろぐ。

「リョウ」

「な、なに…」

「リップ貸して」

「は?」

勘右衛門の突然の言葉に、間の抜けた声が飛び出してしまう。ポカンと口を半開きにした私の唇をするりと勘右衛門の指先がなぞり、にんまりと口端を吊り上げて笑った。リップって、リップ?何するわけリップなんか。戸惑いつつも自分の制服のポケットをガサゴソと漁りながら、リップを探す。手にしたそれを、あまりにも近すぎる勘右衛門の鼻先に叩きつけるように突き出した。

「ホラ!色つきしかないよ!」

「ん、だと思ったから、これでいいよ」

そのまま受け取ったかと思えば、勘右衛門の指先が緩やかに顎先へと掛けられ、くいっと上を向かされる。え、ちょっと待て何をする気だこの男。警鐘が脳内で打ち鳴らされる。横に逃げようとしたその瞬間に、ガンッと勘右衛門の足が見事に壁へと打ち付けられ通せんぼされている。え、逃げ道なしですか?戸惑い今更ながら逃れようとするも動くなとでも言うかのように勘右衛門が真剣な瞳が私を固まらせる。

「あのさ、今まで頑張れって言ってたけど」

「え、あ…うん?」

「あんまり頑張らなくていいよ」

「は、ってちょおおおお!」

ぬるりとした感触が頬を掠め、一瞬の隙にするりするりと何かが描かれていくのを感じた。ようやく顎を解放され、悪戯っ子のように勘右衛門が微笑む。至近距離でそんな風に笑わないで欲しい。心臓が馬鹿みたいに早い。呆然とした私の顔を、いつの間にやら抜き取った私の手鏡が映している。真っ赤である。いつぞやの赤いマニキュアの如く真っ赤。いやそれ以前に、


「リョウが可愛いのは、俺だけが知ってればいいことでしょ?」


頬に残る『俺の!』という文字。絶句する私を映した鏡の向こうで勘右衛門が笑う。首筋まで赤くなった私が勘右衛門の言葉を理解するまで、あと数秒。




Glitter!





(その指先が、魔法をかける。)




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