「…あの、本当にありがとうございました」

「…いや、」

「少しでも自由な時間を過ごせて、幸せでした」

門前にて、馬から下りた私と団蔵さんは向かい合っていた。私がお礼を言うと、団蔵さんは何とも歯切れの悪い声を漏らして首筋に手を当てている。

「…すみません、ご迷惑を掛けてしまいましたね」

「ちが、そうじゃないよ!」

謝る私に、団蔵さんが慌てたように顔を上げる。

「そうじゃなくて…」

「じゃなくて…?」

「あー…」

「?」

ガシガシと頭を掻き撫でながら、声にならない声で唸る。首を傾げてその様子を見ていれば、突如何かを決心したかのように真っ直ぐこちらへとその双眸を向けた。

「あのさ…」

「は…はい」

「リョウ、俺が…」


「あ、若旦那ー!!」


何かを団蔵さんが言いかけたその時だ。団蔵さんの声に被って、誰か男の方の声がその場に割って入る。驚いて振り返れば、見知らぬ男性がこちらへと慌てた様子で駆け寄って来るのが見えた。

「せ、清八…」

「どこ行ってたんですか若旦那!後から来るって言うから待ってたのに待てど暮らせど来ないんで迷子にでもなったのかと、」

「え、えと…この方は一体…」

「あー…何て言えばいいのか」

「そんなことより大変なんですよ若旦那!佐々木さんのお嬢さん、何と姿を消してしまったらしくて、今全員で探してるとこなんですけどね!」

「………え?」

清八さんと呼ばれた男の方の言葉に、思わず目を見開く。佐々木さんのお嬢さん、それは私のことだ。逃げた張本人もこの私。

「…佐々木の娘は、私のことです」

「…え?若旦那、この方は…」

「佐々木リョウさん、この家の娘さんだよ…」

「えぇぇー!??じゃ、じゃあこの方が、」

「清八、」

ぴしゃりと団蔵さんの鋭い声が飛んで、清八さんの言葉を遮る。思わず口を噤んだ清八さんはわけが分からないといった様子で首を傾げていた。私も、同じように首を傾げる。団蔵さんが深く溜息を一つ零して、視線をゆっくりとこちらへ向ける。深い色の瞳が、私を見つめ返した。

「リョウ!お前全くどこに行ってたんだ!」

「げっ…父上!」

「げ、じゃないだろう!全くそんな格好でどこに行ってたか知らんが…ホラ、お前も加藤さん家の息子さんに謝りなさい!」

激怒した父が私へ物凄い勢いで詰め寄ると、ビシィッと団蔵さんへ向けて指先を指し示す。何故父上が団蔵さんを知っているのかという疑問、そして先ほどの清八さんの言葉がぐるぐると頭の中を回る。そして一つの仮説が、全てのことを一つに繋ぎ合わせた。まさか、団蔵さんは…。真っ青になりながら、その仮説が私の口から零れ落ちた。

「もしかして…団蔵さんが…私の許婚だったり…」

「そうに決まってるだろう」

「聞いてないですよ、父上!!」

わっと喚いた私へと素知らぬ顔をした父上を恨みがましく見つめるもどこ吹く風。まぁまぁと割って入った団蔵さんと清八さんに宥められる。やがて傍らの団蔵さんが、スッと私と父上の間に立ったかと思うと、突如として頭をガバリと下げる。唖然とする私と父上の顔がそっくりなのは親子なのだから仕方ない。いや、そういうことじゃなくて。

「…だ、団蔵さん…?」

「すみません、佐々木さん…!」

「ど、どうしたんだい」

勢いよく顔を上げた団蔵さんが、父上の顔をまっすぐ見つめた。

「この縁談は、なかったことにしませんか…!?」

「なに?!」

「わ、若旦那ぁぁ?!!」

「…………団蔵さん、」

こちらを振り返った団蔵さんが、苦笑を浮かべる。あぁ、さっきもこうやって寂しそうに笑っていたんだ。私の脳裏に、逆光の中で浮かんだ団蔵さんの顔が重なる。ぎゅうと胸が締め付けられたように苦しくなる。大きな背中、指先に触れた温かさ、まるで光のように眩しい笑顔、そして、何よりも私を自由にしてくれようとする人。

「リョウはただ本当はずっと自由に生きたかっただけで…だから、俺なんかと一緒になるより、リョウは、」

その先の言葉が私の頭の中に容易に浮かび上がって、気が付けば団蔵さんの言葉を遮るかのように私は彼の腕にしがみ付いていた。唐突な私の行動に、団蔵さんを始めその場にいた誰もが驚いて私を見ている。無論自分自身の行動に驚いてしまったのは私も同じだ。けれど、どうしても団蔵さんにその言葉の続きを言って欲しくなかった。

だって、
だって、私は。


「だ、団蔵さんがいいです…」

「………え?」


戸惑ったような声と微かな身じろぎを感じる。ぎゅうとその腕に巻きついている腕の力を強め、か細くなりそうな声を振り絞りながら、顔を上げる。心臓が聞いたこともないような音を立てて響いている。父上が目を見開いて私を見つめていた。

「父上…私、今まで誰かを好きになるって気持ち知らなかったんです」

「………リョウ」

「でも、団蔵さんとなら、私…ちゃんと私らしさを忘れないでいられると思うから、だから、!」


そう、もしもこの気持ちに名前を付けるなら。


「リョウ、」

父上の静かな声が場に響く。そもそも、私がめちゃくちゃに壊してしまった縁談だ。もしかしたら今更ムシがいいと怒られるのではないだろうか。僅かに私の視線が父上から地面へと揺らぐ。団蔵さんを掴んでいた指先の力が緩まる。

「っ、佐々木さん!」

「!」

静寂を突き破るように、団蔵さんが声をあげる。真っ直ぐにその瞳が父上を見つめて射抜いた。緩んだ私の指先を掬い上げるように団蔵さんが掴む。掌から込み上げるように熱が広がった。熱くて、優しいその体温。まるでその熱が移ったかのように私の心臓まで熱くなる。

「リョウ、さんを…俺にください!!」

「!団蔵さ…、」

「ずっと大事にします!一生俺が幸せにします!」

見上げたその横顔は真っ赤で、同じように私も真っ赤なのだろう。視界の端に写った清八さんもあんぐりと口を開けてこっちを見ているのが分かった。父上は一つ大きく溜息を吐くと、ゆっくりと瞳を閉じる。ごくり、私と団蔵さんの息を飲む音が重なった。

「…俺にくださいも何も…始めからお前達は許婚だと言ってるだろう」

「「へ?」」

父上の呟きに、私と団蔵さんの間の抜けた声が漏れる。父上の面倒くさそうな何ともいえない表情が私達へと向けられた。

「大体、私が娘を幸せにしないような男を許婚にするわけがないだろう」

「父上…」

「だから、お前達の好きなようにすればいい」

緩やかに細められた瞳が、私と団蔵さんに向けられる。何となくそろりと団蔵さんの方へと視線を向ければ、向こうも同じように私へとその視線を向けていた。目が合って、お互いに苦笑を浮かべる。滑稽だけども、それすらも愛しい。団蔵さんが、私へと向き直ると優しく肩に手を置く。足元で団蔵さんの直した赤い鼻緒がぎゅうと音を立てた。「リョウ、」と私を呼ぶ声がする。その声を、ずっとずっと隣で聞いていたい。どんな時でもきっとあなたの隣に私はありたい。

だから。

どくりと、心臓が音を立てて騒いだ。



「俺と、恋をしてくれませんか」




恋に落ちる音がした




ずっと待ち望んだ結末は、あなたと一緒に。
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