『RE:どうして 返事くれないわけ? 電話も出ないし、一応心配してるんだけど。』 ぼんやりと暗闇に浮かび上がった液晶画面に並ぶ文字を睨みつけながら、重苦しい気持ちも一緒に消し去るようにそのメールをゴミ箱へと突っ込む。吐いてやりたい悪態は山ほどあるが、はっきり言って会話をするのも疲れた相手にもしたくないと正直に言ってしまえたならどれほどに楽だろうと深く溜息を吐く。 夜の公園には当然のことながら人影もないし、辺りも電灯がところどころ立ち並び、月は真っ暗な宵闇にぽかりと穴を開けたように輝いてはいるけれども街の明かりで星の瞬きはほとんど見えない。人工的な明かりばかりが立ち並ぶこの場所に思わずうんざりして、覗いていた携帯電話の電源を思い切り落とした。 もともと、あまりメールとか電話とかが好きではなかった。用件もないのに交わされる脈絡のない文章に嫌気が差していたし、そんなことで繋がっていようとする薄っぺらい関係に何だか疲れてしまった。付き合うだとか好きだとか嫌いだとか。現代の世の中ではお互いの連絡ツールなどこの携帯電話が主流だろう。でも、こうやって私から連絡を絶ってしまえば直接会いにでも来ない限り私達の関係は途絶されてしまう。こんな電子的なたった数行でお互いの繋がりを確信しようとしてるのだから、全く持って馬鹿な話だとしか思えない。だから、私はメールというものが非常に嫌いであった。しかし、世間一般そんな人間の方が珍しいのか、当然のことながら付き合う男側はあれこれ用もないのに日記みたいな内容のメールを毎日毎日飽きもせず送りつけてくる。最初は律儀に返信していた私だけれども、徐々にうんざりしてきて目を通すだけであとは放置という結末が待ち構えていた。そして、反応を返さなくなった私に冒頭のメール。何に対して心配しているのか分からない。あんたの話に付き合うのがうんざりしたから返事を返さなかっただけなんだけど。断ち切れた繋がりに気付かない馬鹿な男。今までこんな男に付き合っていた私の無駄な時間を返して欲しい。世の中には毎日メールを送り合わなければいけないという私からしたら拷問みたいなカップルもいるのだそうだ。おめでたい話である。 「はぁー…」 ブランコに揺られながら、星の瞬かない真っ暗な空を見上げる。全てが面倒になったと言えるほど人生経験豊富なわけでもないし、長く生きてるわけでもない。掌の中の冷たい携帯電話の感触を感じながら、こんなものが作られてしまう前の時代へいきたいとふと思う。私には、今の世の中は便利すぎた。その恩恵に与っているいち現代人なのだから文句が言えた義理ではないと思うけども、それでもきっともっと色んなことが自由だった筈だ。嫌でも何でも、それでもどうしても文明の利器に頼らなければ私は生きていけない。そんな矛盾が私にとってはつくづく苦しかった。 夜風がブランコの揺れとともに私の頬を撫ぜる。ぎいぎい悲鳴みたいな錆びついた音が静寂の中に響き渡って、私の鼓膜を揺らした。 「見ーつけた」 「っうわ!」 夜空を映していた私の視界が、軽やかな声とともに見知った顔で一杯になる。思わず驚いてブランコから落ち掛けるが、咄嗟にその腕に掴まれて免れる。驚かせた?ごめんごめんなどと笑うこの男は、尾浜勘右衛門。私の小さい頃からの友人…つまりは幼馴染というやつである。またの名を腐れ縁。呆然と勘右衛門を見つめ返しながら、小さく呟いた。 「な…なんでここに…」 「なんでって…家行ったらおばさんがまだ帰ってないっていうし?こんな時間だから心配になるさ一応は女の子なんだし?リョウだって」 「一応は余計だ馬鹿」 へらへらと笑っている勘右衛門にそう噛み付いて、何となくバツが悪くなり地面へと視線を落とす。靴先でぐりぐりと地面に跡をつけていれば、頭上から僅かばかり緩んだような溜息と少し低くなった声音が零れ落ちてきた。 「心配したんだぞ」 「…………ごめん」 「何かあったんだろ」 「別に、ないよ」 「嘘だ、リョウがここにいるってことは絶対何かあるね」 「……………」 「幼馴染の俺に嘘つこうだなんて百億年早い」 「なんなのそれ」 思わずプッと吹き出せば、片眉を跳ね上がらせながらも勘右衛門も苦笑を浮かべる。小さい頃、友達と喧嘩した時はいつもここに逃げ込んだ。そして、いつも後から勘右衛門が私を迎えに来て小さい掌を差し出しながら、にこにこ笑って「俺も一緒に謝ってあげるから、一緒に行こう」って私を連れ出していた。だから、この公園は私の隠れ家。勘右衛門はそれを知ってる。だから、お互いに大きくなった今でもこうやって私を迎えに来るのは、いつも勘右衛門の役目なのだ。 「……彼氏と別れた」 ぽつり、呟いた私の声が落ちて沈む。勘右衛門の目が僅かに見開かれてパチリと一瞬瞬いた後、口元をへの字に曲げて見せた。 「どうせまたリョウが連絡取らなかったんだろ」 「だってメール嫌いなんだもん」 「電話でいいじゃん」 「電話も嫌い。用もないのに何話せばいいの」 「…だったら何で付き合ったの」 「……………ノリと勢い?」 私の馬鹿みたいな解答に大きく溜息を吐き出して呆れられる。でも付き合うってさ、別にメールしたり電話したりすることを指すわけじゃないじゃん。手繋ぐとかキスするとかヤるとかそういうことをするために付き合うものでもないけど。ただ、互いの感情の延長線上にそういうことが成り立っているだけであって、何をすることが付き合うという的確な定義なんて存在しない。好きなら好きという原始みたいな単純で簡潔な結論じゃ何故いけないのだろうか。一緒にいて私が私のままでいられないのなら、それはただしい選択ではない気がするという、ただそれだけなのに。 「なんかもう…私当分恋愛はこりごりって感じ…」 「なにそれ彼女いない俺への当てつけ!?」 「別に。大体あんたモテるくせに彼女作らないだけでしょ」 「…ピンとくる相手がいないだけですぅ」 「はいはい言い訳言い訳」 「ちょっとぉ!?」 喚く勘右衛門をあしらいながら、ブランコから徐に立ち上がって大きく伸び上がる。夜風が気持ちいい。胸いっぱいに吸い込みながら、溜りに溜まったこのモヤモヤを全部吐き出してしまう。 「私、縄文時代辺りに生まれたかったなー」 「…なに急に」 「なんかさ、シンプルで良さそうじゃん縄文時代式恋愛」 「縄文時代って…」 「だって、好きって感情だけで成り立つんだから、面倒くさくないよ」 メールも、電話も、電気も、付き合うっていう文化も、体裁も、駆け引きも、何も無い。ただ自分の感情だけに従って、行動して、本能のままに。現代にどっぷり漬かった私が何を甘いことをと怒られそうだけども、私にとって恋愛はそんなスタイルでいい。互いの感情で成り立って、好きな時に触れ合えれば、それでいい。 「びっくりした…野生に帰りたいのかと…」 「違ぇよばかんえもん。なんか、四六時中こんなちっこい機械に縛られたくないって話だよ」 「ふうん…」 「ま、勘右衛門はマメそうだからすぐいい子でも現れるんじゃないの?頑張れって」 ケラケラ笑いながら、夜の公園をゆっくり歩く。色褪せた滑り台と、今はもうそれほど背丈の変わらないジャングルジム。木陰の下のベンチと、中央の大きな時計台。小さい頃から変わらないそれらをぐるりと見渡しながら、変わらないそれらに何となく心が凪ぐ。 「ねぇ、リョウ!」 背後で、勘右衛門が私を呼ぶ声が届く。振り返って、その表情を覗い見れば、口元は緩やかな弧を描いているのに、やたら真剣で真っ直ぐな瞳に思わず足を止めた。 「じゃあ、俺と縄文時代式恋愛しようか」 「はぁ?」 思っても見ない勘右衛門の言葉に、思わず半目で素っ頓狂な声を上げる。自分で言っておいてなんだけど、縄文時代式恋愛って何だか馬鹿丸出しだ。何言ってるんだと鼻で笑い飛ばそうとしたけれど、勘右衛門が数歩の距離を詰めていつかのようにその掌を差し出して、仄かに微笑んだ。 「好きだよ、リョウ」 「……………」 「リョウにはやっぱり俺しかいないと思うよ」 自信満々そうにそう言う勘右衛門の表情はどこか意地悪そうに笑っている。文明の利器なんかなくても、幼い頃から繋がっているこの目に見えない絆は、恐らくちょっとやそっとでは断ち切れない。切りたくても切れない、腐れ縁なのだから。言わなくたって伝わってしまう、私の弱いところを上手に埋めてそして一杯にしてしまう。幼馴染なんていう関係から恋人なんて、そんな漫画みたいなベタな展開は予想もしていなかったけど。ふ、と頬を緩めて勘右衛門を見つめ返してこう告げる。 「恋愛はこりごりだって今言ったばっかだろうが」 「えええ!そこはOKじゃないの普通!」 「甘ったれんな、そうトントン拍子に上手くいくわけないでしょ」 「はぁ〜…俺の一世一代の告白が…」 「大体、まさか今まで彼女も作らずフラフラしてたのはあんたまさか私が好きだからとかそういうのじゃないでしょうね」 「…悪い?俺は小さい頃からリョウ一筋なんですー、気付かないリョウも相当鈍いよね。俺がリョウに彼氏が出来たと聞く度何度ハンカチをイーってしたか…」 「昼ドラか」 イーっとしてみせる勘右衛門を笑ってやれば、憮然そうな表情をしていたもののやがて釣られて互いの笑い声が夜の闇に響いた。さっきまでの重苦しかった自分の心が嘘みたいだ。勘右衛門は、いつもそうやって私の心を軽くしてしまう。たった一つ、私が断ち切れて欲しくないと願うもの。他愛ない会話も、私を迎えに来るその優しさも、たった一つ、シンプルに告げられたその言葉も、全てが私の心を打ち鳴らす。 「まぁでも、」 「ん?」 その掌を取って、ぎゅうと握り締める。ぽかんとする勘右衛門を見上げながら、にんまりと笑って見せた。 「勘右衛門とだったら、縄文式恋愛もいいかもね」 「!それって…!」 「それは君の頑張り次第です」 ピシャリと言い放ち、繋がった手を引きながら歩き出す。連れられた勘右衛門が後ろでそんなぁ〜と情けない声をあげているが、掌だけはぎゅうっと握り締めて離さなかった。その熱に思わず私も笑ってしまう。目に見えない繋がりが私達を繋いで、きっとずっと離れない。それでいいよ。どうかそうしていて。 クラシック この掌だけは、ずっと私を繋ぎとめていてね。 |